2-3

 お昼休みになりリュウと雑談をしていると三田が自分で教室まで出向いてきた。なにを言われるかはだいたい予想していたが、わざわざ取り巻きを三人も連れてくるところまでは想定していない。


「放課後、昨日と同じとこな。アマネちゃんも一緒だ。逃げたらわかってるよな?」


 三田に睨めつけられたリュウは石像のように動かなくなってしまった。


 強めに俺の背中を叩き、下卑た笑みを浮かべて出ていった。。他の連中もニヤニヤと笑っていて気味が悪かった。一色にも視線を送っていたが、一色の視線は文庫本に注がれたままだった


「かかったわね」


 と、本を読みながら彼女が言った。


「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」

「ここまで上手くいくとは思わなかったから、ついね」

「本当に上手くいくのか謎なんだけどな」

「大丈夫よ。あとは来栖くんが自分の仕事をこなしてくれれば問題ないわ」

「俺? 俺は大丈夫だよ。言われた通りにしてきたから」

「それならいいわ。あとは放課後を迎えるだけね。各々、昨日話し合った通りに行動すること」

「絶対楽しんでるじゃん」

「少しだけね」


 彼女はクスリとも笑わずにそう言った。


 一色周という少女と同じ時間を過ごせば過ごすほど、一色周という偶像が音を立てて崩れていく。決して悪いことだとは思わないが、どうやって接したらいいのかわからなくなってきてしまう。


 昼休みが終わり、続いて五時間目の英語、六時間目の物理が終わってしまった。正直、授業の内容などほとんど頭に入ってこなかった。三田を陥れるという一色の作戦のことを考えればそれも仕方がないと思う。きっとリュウもそわそわしていたに違いない。


 しかし一色はいつもと変わらなかった。話しかけてみたが変化は見られなかった。基本的に返事は「ええ」「そうね」ばかりだった。


 チャイムが鳴ってホームルームが終わり、生徒たちは思い思いの場所へと散っていく。俺と一色は顔を見合わせ、頷いてから立ち上がった。


 教室から出たところでリュウと合流し、俺たち三人は昨日の空き教室に向かった。階段を一段上がる度に心臓の鼓動が速くなっていくような気がする。本当にそうだとしたらすぐにでも心臓が爆発してしまいそうなのできっと気の所為だろう。鼓動が速くなりすぎて心臓が爆発するかまでは知らない。


 空き教室の前に立って深呼吸を一回、二回としているうちに一色が勝手にドアを開けてしまった。


「おいっ!」


 恐怖も緊張も感じさせず一色が室内へと入っていった。結局、俺とリュウはあとからついていく形になってしまった。本当であれば俺かリュウが先に入るべきだとは思うが、一色にはそんなものは関係ない。


 空き教室に入ってすぐ、男子生徒二人が俺たちを教室の真ん中に押しやった。ガチャンという音が聞こえた。ドアの鍵を閉められたのだ。


「ちゃんと来たみたいだな」


 三田が嬉しそうに言った。三田の後ろには男子生徒が二人、女子生徒が三人いた。三田と合わせれば合計八人か。もしも殴り合いにでもなったら分が悪いどころではない。そもそも俺もリュウも腕っぷしには自信がないから三田一人にボコボコにされてしまう可能性も低くない。


「ちゃんと来ますよ。先輩からの呼び出しなんで」


 俺がそう言うと三田は大声で笑った。


「いい心がけだな。まあ、こんなことしなきゃの話だけど」


 ポケットから取り出したのはスマートフォンとモバイルバッテリーだった。


「掃除用具入れの中で固定されてた。デカイバッテリーつけて録画ボタン押して、俺たちがなんかしたときの保険にでもしようってか?」


 三田が顎をしゃくると、後ろにいた先輩たちが俺たちのポケットをまさぐり始める。探していたのは三人分のスマートフォン。


 先輩たちからスマートフォンを受け取った三田はまた笑った。


「ちゃんと録画されてるみたいだな。ポケットに入ってりゃあ音声だけだがないよりましってわけだ」


 三つのスマートフォンの液晶に何度か触れた。録画を停止したんだろう。床に叩きつけないところだけは褒めてやりたい。


 俺は奥歯を強く噛み、ゆっくりと視線を落とした。


「お前らの負けってわけだ。んじゃ、お楽しみの始まりだな」


 男子二人と女子二人がこちらに向かってくる。急いで一色を横に突き飛ばしたが、そのせいで逃げ遅れてしまいぶん殴られた。眼前にヒーターがあるんじゃないかと思うほどに頬が熱く痛む。リュウも他の先輩とやりあっているみたいだが、先輩の体格がいいせいでリュウも殴り倒されてしまった。


 肝心の一色だが、やはり三田に捕まった。


「お嬢さんはこっちで楽しもうな」


 俺とリュウはうつ伏せにされて腕を後ろに回された。キツく締め上げられ、身じろぎをするだけで腕が痛む。そして一色は仰向けに寝かせられ、先輩たちに身体を押さえつけられていた。俺とリュウはまだいいが、一色に対しては手荒すぎる。


 こういう状況で先輩たちをぶん殴って、ヒーローのように助け出せるような力は俺にはない。無力さに涙が出てきそうになる。強く奥歯を噛み過ぎて顎が痛くなってくる。それでも俺はこの状況でなにもできない。


 そう、あのときと同じだ。


 そう、誰かのために無力を悔いてるんじゃない。


 そうだ、俺は、自分が無力なことがイヤなんだ。自分のことしか考えていないから、俺は自分のことが嫌いなんだ。


「お前らもアマネちゃんの裸見てみたいだろ? ちゃんと見せてやるから安心しろよ」


 女生徒の一人がスマートフォンを一色に向けていた。そんな中で、三田は容赦なく一色の制服を剥ぎ取った。


 ビリビリというブラウスが破れる音がして、いくつものボタンが宙を舞った。一色の白い腹があわらになった。


 もう一度大きな声をだそうとした。けれど思い切り殴られて、それ以上のことはできなかった。


 三田の手が一色の脚を撫で回す。そして、その手が乳房へと伸びていった。


 そのとき、コンコンっとドアがノックされた。


 全員の動きが停止した。ドアの向こうのすりガラスには人の影がある。


「いいか、一度しか言わないからよく聞けよ」


 ドアの向こうの主が喋り始めた。


「俺は面倒事は嫌いだからな、こういうことを公にするといろいろと仕事が増えるんだ。今から五分後にまた戻ってくる。そのときに問題があった場合はそれなりに対処を考えなきゃならん。いいか、五分後だからな」


 すりガラスの前から人影が消えた。同時に先輩たちの力が緩み、俺は無理矢理拘束を解いた。同時に拘束を解いたリュウがドアの方へと向かって鍵を開ける。俺は一色と三田の元へと向かった。


「お前らが呼んだのか」

「さあ、どうでしょうね」


 一色に手を伸ばして立ち上がらせる。


「それだけじゃ、ないんですけどね」


 スラックスのポケットから一本のボールペンを取り出した。


「最近はこういうボイスレコーダーもあるんですよ。そのへんの電気屋でも売ってるみたいです」

「てめえ……!」

「それだけじゃないですよ。ちゃんと録画もしてあります。途中までですけど」

「は? でもスマフォは俺たちが見つけた。それに室内にはほかになにもなかった」

「ちゃんと探したみたいですけど、ちょっと詰めが甘いんじゃないですかね。最初にスマフォ見つけて気が緩んだんじゃないですか?」

「じゃあどこにあるってんだよ」

「それは言えません。言ったら意味がない。でも途中までの録画と録音音声を合わせれば十分証拠になるとは思いませんか?」

「そんな脅しが通じると思ってんのかよ」

「制限時間が五分っていうこと、忘れてませんよね?」


 三田が顔を歪めて怒りをあらわにした。けれどこれからどうするのかを決めあぐねているのか、どうにも声が出てこなかった。


「私も」


 そこで一色が口を開いた。


「私も、学校生活をかき乱すようなマネはしたくありません。もしもこれ以上なにもしないというのであれば、私たちはその証拠を使うことはしないでしょう」

「そんな口約束信じられるかよ」

「それでも信じるしかないのではありませんか? 停学では済まなくなる可能性だって十分ありえるんです。それを考えれば、ここで条件を飲んでおくのが正解だとは思いませんか?」

「俺たちが卒業する間際にその証拠を使って学校を追い出すかもしれねえだろ」

「そんなことをすればアナタ方は逆上するでしょう。私たちもそれは望んでいません。先程も言った通り、私たちは波風立てず終わらせたいんです。私たちはこのことを他言しない。代わりにアナタ方は私たちに手を出さない。その条件で手打ちにしてもらえませんか」


 してもらえませんか、とは言うが、どこか脅迫のようにも聞こえた。きっと抑揚のなさと毅然とした態度がそう思わせるのだ。


 三田は他の先輩たちと顔を見合わせ、静かにため息をついた。


「わかった、それでいい」

「これで帰らせてもらいますが、最初に見つけたスマートフォン、返してもらえますか?」


 三田は舌打ちをしたあとで、携帯充電器とスマートフォンを投げてよこした。


「それでは失礼しました」


 一色は制服の前を抑えながら彼らに背を向けた。俺はその背中を追ってドアに向かった。途中で「返してもらえますか?」と先輩からスマホを返したもらった。教室を出るときに見た三田は、苦虫を噛み潰したような顔と、阿吽像を足して割ったようななんとも言えない顔をしていた。


 階段を下りながら、俺はワイシャツを脱いで一色の肩にかけた。


「ありがとう、外村くん」

「これくらいは、まあ。で、本当にあれでよかったのか?」

「ええ、無駄にことを荒立てたくないから」

「荒立ててもいい案件だと思うんだけどな」

「そうしたらなにをしでかすかわからないでしょう、ああいう人たちは」


 俺のワイシャツに腕を通し、前のボタンを素早く止めていく。


「それにしてもあのハッタリは効いたな」

「録画なんてできるわけないわ。そんな機材を隠しておく場所はないし、そもそも一日で機材を揃えるのも難しい」


 これも一色の案であった。一応動画を撮る準備だけはしておき、見つかったら仕方がないと諦める。見つかれば残念、見つからなかったらラッキーくらいの気持ちだった。


 その代わりにボールペン型のボイスレコーダーを三つ買って一人一つずつ持つことにした。これを取り上げられたらさすがにまずかった。


「本当にスマホ見つけたら身体検査やめたな」


 リュウが関心するように言った。


「あの人たちはプロではないわ。目当ての物が見つかれば安堵して身体検査をやめる。その布石として、隠すようにして教室にカメラを設置したんだもの。教室のカメラも見つけて、私たちが所持するスマートフォンも回収した。当然気も緩むわ」

「ちょっとだけ一色さんが怖い……」


 少し前までは関心していたはずなのに、今となっては顔を青くしている。一色を敵に回すまいと心に決めたに違いない。俺だって一色のことは敵に回したくない。


「それにしてもよく引き受けてくれたな」


 俺が言うと、リュウがため息をついていた。


「一応、二つ返事でな。それにしてもあの人、ホントに教師の自覚あるのかね」


 空き教室に現れたのは同級生でもなければ先輩でもない、正真正銘うちの学校の教師だ。普通の教師では大事にしてしまう可能性があったため、あの場に現れる人物はこちらも吟味する必要があった。もしもことを大きくすれば報復が怖い。となれば普通の教師ではなく、面倒事を嫌うような人でなくてはいけなかった。


 白羽の矢が立ったのは担任の志倉航一郎だった。


「ぶすーっとしててめちゃくちゃ話しづらかった。でも引き受けてくれてよかった」

「あの志倉がねえ」


 志倉に空き教室に来てもらおうと言い出したのはリュウだった。俺はあの人が動くとは思わなかったから反対したのだが、結果的に上手くいったのでよかった。どうやって説得したのか訊いてみたいところではあるが、この面倒くさそうな顔を見る限り思い出させない方がいいかもしれない。


「んじゃ、俺このあと予定あるから帰るわ」


 リュウは親指を立てたあとで颯爽と走り去ってしまった。交友関係が広いというのは大変そうだ。


「私たちも帰りましょうか」

「そうだな」


 帰り支度のため教室に戻り、何事もなかったかのように学校を出た。俺たちは今日の事件がなかったように過ごすのだ。相手を陥れて大衆に知らせることもできた。それをしなかったのは今の生活を壊されたくなかったからだ。それは俺も、一色も、リュウも同じだった。


 今日も一色と帰宅することになった。帰り道がほとんど一緒なのだが、彼女とは共通の話題というものがほとんどない。世間話をしても長く続かない気がする。


「巻き込んでしまった申し訳なかったわ」


 一色へと視線を向けるが、彼女は真っ直ぐ前を見て、いつもと変わらぬ無表情で歩き続けていた。


「気にしてない。それに三田のことだ、一色さんだけじゃなく俺に嫌がらせをするって意味もあったんだと思う」

「それは中学校の出来事があったから?」

「そういうこと。だから一色さんのせいってわけじゃない」

「外村くんがそう言うなら気にしないことにするわ」


 髪の毛を払う彼女の姿を見て、なんだかカッコいいと思ってしまった。


 計画性があって、それでいてちゃんと他人のことを考えている。背筋はピンと伸びて自信があるように見える。他人からの評価を気にしないのか、誰に対しても接する態度を変えない。


「一色は苦手な科目とかあるか?」

「人間なんだから苦手科目はあるわ。でもどうして?」

「なんていうか自信があるように見えるから、かな」

「自信があるように見える?」

「我道を行くというかなんというかそういう部分あるだろ。そういうのって自信がなきゃできないのかなと思って」

「自信なんてないわ。私は何一つとして自信がない」

「なにもないってことはないだろ」

「そうね、確かに他人よりも優れているだろうという部分はある。けれどそれが自信になっているかどうかと言われると疑問だわ」

「人より優れていれば自信になるんじゃないのか? 人よりもできるから自分が優れている点を実感できるような気がするけど」


 学校という場所は競わせる場所だ。誰が優れ、誰が劣っているのかを決める場所だ。誰かよりも自分の方が上であるということが数字として、評価として現れるから自信につながってやる気になる。やる気になるから、さらに上を目指そうとする。


「いくら人より優れていようとも、圧倒的に他人よりも劣っていると感じている部分があるだけで自信なんて持てないものよ」

「そんなことないだろ。劣ってるなんて――」

「アナタにはなにもわからないわ」


 一色はピシャリと言い放った。自分の殻に閉じこもるようで、それでいてこちらを引き離すような冷たさがあった。


 三田との一件があって、少なくとも他の生徒よりは距離を縮められたと思っていた。そのはずなのに、数時間後の今、俺たちの距離はぐっと遠のいた。そういう気がした、という感じではない。


「かも、しれないな」

「かもしれないんじゃない。絶対、なにがあっても、アナタには私の気持ちはわからない。少しの間一緒の時間を過ごしたくらいで他人のコンプレックスを理解できるとは思わないで」


 俺は歩くのをやめ、一色は歩き続けていた。物理的にも俺たちの距離は遠く離れ、結局一色はこちらを振り返ることなく道を右に折れていった。彼女の背中は最後までいつもと変わらなかった。ピシッとしていて、自信があるように見えて、それでいてどこか寂しそうだった。


 終わったんだなと思った。


 なにが?


 決まってる。俺と一色の関係だ。もう仲良くすることもない。いや、元々仲良くしていたわけではなかったのだから、協力関係が解消されて元に戻るだけに過ぎない。


 そう、元通りになるだけなんだ。


 一色の背中を見送り、ため息を吐いたあとで歩きはじめた。彼女に追いつかないように、少しだけ歩幅を縮めて。

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