㉔続々々・エロ下着店主、自らの過去を語るのこと。


「私はいった。

『だめだ。お前を脅している連中には、八百長試合の相手は他を当たれといってやるんだな』


『そのうってつけの相手がまさに兄さんなんだよ。兄さんには僕という弱みがある。やつらは僕を痛めつける前にこの話をした。一回きりでいいとも。兄さんが少しばかし自分のプライドを売ってくれたら、僕は毎日定量のヘロインをもらえるんだ』


『一回ですむはずがない……仮にそうだとしても、それで俺はなにを得る? 俺になんのメリットがあるんだ?』


『なにもない。でも、僕のためにやらなきゃいけないんだ、兄さんは』


 昔からずっと知っていた人間と、ましてそれが血のつながった兄弟とこういう話をするのはほんとうにやり切れなかったよ。


 結論が出ないまま病院に着いた。

 私は弟に肩を貸して中へ引きずっていった」


               ◇

 

 ここまで話した店主の老人はぷつりと口を閉じ、壁に背をもたれさせた。


「話は終わった? じゃ、そろそろ伝票みせてもらえます?」

 瀬乃がいった。


「それで、あなたはやらなかったんでしょう? 八百長試合を」

 糺一は瀬乃を無視していった。


「やらなかったなんて誰がいったね? 私がちんけな試合ひとつ落とすことで弟を助けられるのならそれをやらない理由はないはずだ――そういう風にそのときは思った。あるいは、そう思いこもうとした」


「はあん? けっきょく妥協したの? ダッサ」

 瀬乃は吐き捨てるようにいった。


「それで……八百長は一回ですんだのですか」


「すむはずがない。一回やってしまったのなら、その一回は応じたという事実そのものが次の脅迫の種になるんだ。わかりきったことだったのだがね。そして、自分の自尊心を売るのにも抵抗がどんどんなくなってゆく。そうやって使い捨てられたボクサーは沢山いるんだろう、私も含めて」


「それはわかったけど、なんでエロ下着屋になったんスか?」

 瀬乃は無遠慮にいった。


「ボクサーとしての評判を完全に失ったあと、私はヘロインマフィアどもの商売の一角である売春宿の用心棒にまで身を落とした。で、向こうにいる」

 そういって店主は店の奥を親指で示した。


「向こうにいる豚女の親父ってのがそこの出入りの商人だったんだ。娼婦たちの身に着ける下着やら、その他の大人のオモチャやらを扱う、な。ここまで話せばあとは想像つくだろう。ボクサー崩れなんぞ、つぶしのきかない人間の代表格だ。肉まんが相撲取りの物まねをしているような娘を押っつけられて、あとはエロ下着でも売るよりないのさ」

 店主の老人は言葉をきった。


 瀬乃はようやく長話が終わったかといわんばかりに鼻を鳴らした。

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