第73話 理玖30
アザミさんは一度離れてから、毛布を持って帰ってきた。
一つを恭子さんに渡す。僕は暑かったので必要なかったけれど、断るのが申し訳なくて受け取った。
警察の人たちが忙しなく動いている中、アザミさんの先導で校門から外へ出られた。
ちらちらと見られたけれど、呼び止められることはなかった。
停まっていたパトカーに乗ると、運転席には交番で見るような制服姿の警察官が座っていた。
アザミさんはその人に、僕らを病院へ送るように指示している。
それから、僕らのほうへ移動してくる。恭子さん側の窓が開いた。
「明日には桔梗が話を聞きに行くよ。それまでは病院にいてほしい。ご家族が心配するかもしれないが」
間をおいて、恭子さんは「うちは大丈夫です」と答えた。
それに対してアザミさんは頷き、今度は僕のほうを見る。
「森咲トオルくんはすぐに帰ってくるよ」
「はい」
「今日か、明日か。まあ、どちらにしても夜になるだろうけれど」
「はい」
アザミさんはそれから少しだけ僕らのことを無言で見てから、運転席に「出してくれ」と声をかけた。
車がゆっくりと路地を進む。
アザミさんはすぐに僕らに背を向けて学校へ戻っていった。
車内は静かだった。
僕は疲れていて、話すのも億劫になっていた。
恭子さんは窓の外を見ているみたいだった。
その姿を見ていたのだけれど、目を閉じると、身体の何もかもがずっしりと重く感じたので、そのまま眠ることにした。
でも次の瞬間には恭子さんに起こされた。
目を開けると車が停まっていた。
もう病院の前だった。さっき眠ったところだと思っていたのに。
なんだか損をした気分になりながら車から降りる。警察の人もエンジンを止めて一緒に降りた。
病院の正面入り口は閉まっていた。
この病院に最初に来たときと同じだ。
僕は救急と書かれた案内板を指差してから、先にそっちへ歩き始めた。二人が後ろをついてくる。
裏口には誰もいなかった。
もしかしたら都築先生が待っていてくれるかと期待していたのだ。
僕らが裏口から入るの見届けて、警察の人は帰っていった。
エレベーターで八階へと上がる。とりあえずは僕の病室へと向かうことにした。
眩しいナースステーションを通り過ぎ、暗い廊下を歩く。
自分の病室に入ると、ほっとした気持ちになった。
まるで本当の自分の部屋になったみたいだった。
部屋の中央まで進んでから、明かりをつけようと振り返ったところで恭子さんが病室にいないことに気づいた。
慌てて扉を開ける。
扉の向こうで、恭子さんは途方に暮れた顔をしていた。
僕が急いで戻ってきたのを見て少し笑った。
申し訳ない気持ちが膨らんで、なんだか悲しい気持ちになったけれど、本当に悲しいのは僕じゃない。
だから僕は明るい顔をしてから、明るい声を出した。
「恭子さん、入ってください」
そう僕が言うと恭子さんは頷いて、病室に入ってきた。
それからナースコールで看護師さんを呼んだ。
最初は交代でこっそりとお風呂に入って、僕の病室で一緒に眠ろうと思っていたけれど、僕には恭子さんに貸せる着替えがなかった。
それに警察からここにいるようにと言われたのだから、恭子さんがコソコソする理由もない。
看護師さんは僕らを見ても驚かなかった。連絡があったのかもしれない。
お風呂に入っている間に恭子さんの部屋の準備がでたので、恭子さんはそちらに移った。
渡された入院着を見ながら、誰かに洋服を持ってきてもらわないと帰れないと笑っていた。
深夜だった。
空気が揺れた気がして目を覚ました。
入口のほうを向くように寝返りを打つ。スライドドアが静かに開くのが見えた。
「トオルさんですか?」
「起こした?」
トオルさんが入ってくる。
いつもより顔が青ざめているように思えた。
「いいえ」
ベッドサイドの椅子に座ると、僕が身体を起こそうとするのを、やんわり手で止めた。
「大丈夫でしたか?」
「ああ、なんとかね」
それから、トオルさんとわかれたあとの話をした。
恭子さんのことも。
「これから恭子さんのことも助けてくれますか?」
僕がこんなお願いをしても良いのかわからない。けれど、僕にはそれしかできない。
「もちろん。彼女が気になる?」
「はい。今日会ったばかりなのに不思議なんですけれど、苦しい思いをしてほしくないんです。同じ境遇だからですか?」
「そうだね」
トオルさんはそう言ってから、僕の額の髪を優しく払った。
母さんに同じようにされることを思い出した。
どうしているだろうか。
母さんに会いたい。父さんにも、おばあちゃんにも。
ホームシック?
素直にそのことを話す。
笑われるかと思ったけれど、トオルさんは頷いた。
「すぐにでも帰られるよ」
「本当ですか?」
「ああ。俺の血がもうなくなっているからね」
「え?」
僕は両手で自分の顔や身体を触る。実感はない。
「戦っている二人を見ても、大丈夫だっただろう?」
そういえば、あんなに血を流して二人は戦っていたのに、僕は何も感じなかった。
ちょっと前ならば惹きつけられていたはずなのに。
それに、ずっと僕のすぐ側にあったあの風景が、もうどこにも、なくなってしまっていた。
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