第128話 クールビューチー


 スティーリア・ウェントゥスと、はにかむ少女はそう名乗った。はて、どこか聞いた名前だなと、俺はそのスティーリアさんの事をぼうと眺める。


 儚げな女性だった。肌は陶磁の様に白く透き通り、白藍の長い髪が揺らめけば季節外れの粉雪が舞うような清涼感。全体的に色素が薄い中、意志の強そうな金糸雀色の瞳が妙に浮き立ち印象的だ。


 うちの魔女様に出会った時は触れたら火傷しそうだなと思ったものだけど、この少女はその真逆。触れたら溶けてしまいそうな可憐さは、雪女とでも愛称をつけたくなる雰囲気だった。


「おほん、なにか言いたい事でも?」


「あ、いえ。なんでも。こんな格好でごめんなさい。俺はツカサ・サガミといいます」 


 人が来たので場所を譲ろうかなと、それでは御免あそばせとスッと立ち上がり背を向ける。優雅にフェードアウトする気だったのだが、後ろから「待ちなさい!」と声が掛かってしまった。俺は引き留めてくれるなよと思いつつ、仕方なしに振り返った。


「……なんでしょう?」


「ポタを連れて行かないでちょうだい!」


 ですよねー!



 庭園を少し進んだ先には広場があって、そこには机が5卓ほど並んでいた。

 周囲は花と緑に囲まれてなんともお洒落な空間である。なるほどこんなところでお茶でも飲んでいれば、きっと誰でもお上品に映る事だろう。


 ほほう綺麗なものだと見渡しながら、気分だけはお貴族様に食事の続きをする。

 するのだが、対面には不機嫌そうに俺を睨みつけながら、抱える猫を撫でる雪女の姿が。

 道の先に座れる場所があると、この席を案内して貰ったはいいが、ずっとこの調子なのであった。


「あのー。猫、好きなんですか?」


 食事がさくりと終わるならばとっとと食べて逃げるのだが、生憎まだ時間が掛かりそうなので、会話の取っ掛かりにでもなればとジャブを打ってみる。


「べ、別に猫なんて好きじゃないんだからね!」


(おおツンデレじゃ! ツンデレさんじゃぞ!)


 どちらかというと、あの猫撫声とデレ顔を忘れて欲しくてツンツンしている感じだろうか。肌の紅潮が分かりやすいので見ていてとても面白い人だった。


「違うの。違います。猫が好きなのは認めます。けれど先ほどの私は本当の私ではありません」


「完全に油断してたし、むしろ真の姿だったのでは……」


「お願いだから忘れてちょうだい!」


 一生の不覚とでも言いたそうに苦渋な表情を見せる少女。それでもデブ猫の腹を揉む手は止めないので本当に猫が好きなのだろうなと思う。


 俺も抱きたいなーと物欲しげな目で見ると、スティーリアさんは駄目ですと、若干に猫を遠ざけながら、「貴方は」と。恐る恐るといった態で口にした。


「勇者一行の人ですよね? 人類未踏の踏破、あの黒妖との和平。本当に素晴らしい成果だと思います」


 澄まし顔、とでも言うべきか。まるで本来の自分はこうだと言わんばかりの、なんとも取り澄ました表情だった。惜しい。あるいは初対面にこの顔で挨拶をされたらクールビューティーと称しただろう。先にポンコツぶりを見せられてしまったので、俺の中ではなんかもうクールビューチーがせいぜいだ。


「ありがとうございます。名誉を勇者と分かち合う事が出来て光栄です」


 とりあえず定型句で感謝の言葉を述べたところで、俺は手のひらをポムと打ち鳴らす。

 勇者一行で思い出したのだ。喉に引っ掛かっていた魚の小骨が取れた心地だった。そう、スティーリアという名前は、イグニスが勇者一行へと推薦した名前だったではないか。


「ヴァンくんから聞きました。勇者様が私などを求めているのは、その、本当なのかしら?」


 話の方は勇者より一足早く剣士が伝えに行ったらしい。ヴァンめ逃げたと思ったら意中の女の子の所に行っていたとは。もげるべし。


 とはいえ、スティーリア嬢の表情は喜びとは別の、どちらかというと不安や困惑という色が強い様子だった。


「ええ。優秀な魔法使いと聞いて是非と言ってましたよ」


 澄まし顔が崩れかけた。今にもムフリと笑いたいのだろう。あくまで冷静に対応しようとする雪女だが、頬がピクピクと痙攣している。イグニスならば殴りたくなるようなドヤ顔をする所なので新鮮な反応である。


「こう見えても私、貴族院の魔法科を首席で卒業してますので」


 俺はらしいですねと相槌を打ち頷いた。なにせあの魔女が名指しをするくらいなのだから、彼女は本当に魔法使いとして優秀なのだと思う。


 だからこそスティーリアさんの困惑は不思議だった。勇者一行といえば名誉職なので指名されたならば、もう少し喜ぶものと勝手に思っていたからだ。


「実はあんまり気乗りしないんですか?」


「違うわ! 違うわ! 勇者様には恩もあるし、家族もきっと快く送り出してくれると思うの」


 雪女は両手でバイバイをするようにパタパタと手を振った。クールな表情が崩れるのはそれはもう一瞬であった。そして、「でも」と、デブ猫を抱きしめて、「少し不安」と後付ける。


 なんとも間が良いのか悪いのか。スティーリアさんは、ヴァンから勧誘の話を聞き、心を整理しようと思い庭園に出てきた所だったようだ。


「参考にしたいのだけど、貴方は冒険に不安は無いのかしら?」


 質問を聞いて俺はなるほどと、雪女の戸惑いが腑に落ちる。

 勇者一行。そりゃあ華の職業だ。夢見て憧れる人も多いのだろう。しかし、栄誉の裏の苦労までもを想像する人はおそらく少なくて。そしてスティーリアさんは話が来た時に、浮かれる事なくちゃんと現実と向き合ったのである。


 秘境に喜んで足を運ぶ変態と行動していると忘れがちだが、普通貴族の令嬢は冒険を好むまい。


 故郷を離れるのだ。無事に帰れる保証も無いのだ。風呂に入れない、食事は不味い、眠るのは地面の上と、なんとも不便な生活を強いられる。スティーリアさんの身になって考えれば本当に勇気の必要な決断を求められているのだと感じる。


 俺は返答に悩んだ。

 俺にだって不安くらいはあるが、楽しいというのも事実だったからだ。そして何より、俺なんかの言葉が彼女の人生を左右するかもという状況が重かった。だから、悩んで悩んでこう答える。


「それは……それは、自分で確かめてみてください」


 スティーリアさんは、何か気の利いた言葉で自分の背中を押してくれるのを期待したのだろう。不安は無いのかという質問に自分で確かめろなんて、あやふやな答えが返ってきて、黄色い瞳を真ん丸にしていた。


「そう。そういう事。つまり貴方は冒険をするという事も選べないようでは冒険をする資格もないと。不確かな事柄を確かめるのが冒険だと言うのね!」


 言ってません。俺、そんなに深く考えてないよ。

 思ったのは、勇者と共に歩く人ならば、扉の先に何があるのか自分の目で確かめる人間が好ましいなと、そう思っただけなのだった。


 まぁなんか前向きに受け取って貰えたので、別段否定する事もなく、ただ曖昧な笑みでやり過ごす。


「ありがとう。そうね。きっとこの胸の重さを楽しめないようでは、勇者一行になんて成れないのよね」


 スティーリアさんは選択の答えを告げなかったが、表情はどこか晴れ晴れとしていて。心の中ではきっともう答えを決めたのだろうなと思う。


 次にあの愉快な勇者一行と冒険をするとき、もしこの可憐な少女もメンバーに加わわっていると考えたら、次が一層に恋しくなるのだった。


「にゃー」


 俺はコイツと旅に出たい。



 デブ猫の手伝いもありなんとか料理を完食した俺は、雪女と一緒にパーティー会場に戻る事にした。


 まずやった事は給仕のオッサンにご馳走さまだボケと大皿を突き返す事だったのだが、その時のリアクションは「うわっコイツまじで食ったよ」とでも言いたげなドン引きな顔だった。ちくしょうめ。


 どうでもいいのだが、料理には結構マヨネーズが使われているものもあった。宮廷料理に庶民の代表調味料が使われている可笑しさと嬉しさは、きっと俺だけが味わったことだろう。


「でイグニス、なにかあったの?」


 スティーリアさんがイグニスを紹介して欲しいと言うので連れてきたはいいが、何やら会場の空気は少しばかり固かった。みんなして声を潜めて聞き耳を立てているというか、喧嘩の成り行きを見守る様な、重苦しい雰囲気が漂っているのである。

 

「ああツカサ、お帰り。今ちょうど面白いところさ」


 会場から視線を集めているのは勇者と対面する男性だった。

 先ほどすれ違った、陰鬱な空気を纏う青年だ。頭低く視線は床に落とし、さながらに心の対ショック姿勢。まるで夏休みの宿題が終わらないまま新学期を迎えた学生が担任と向き合っている様に感じる。


「あちらはテネドール伯爵ね」


 スティーリアさんの呟きにイグニスが口端を三日月の様に持ち上げた。赤い双眼が怪しく輝き、心の高笑いが聞こえてくるようである。黒衣を纏い、杯の中で赤い液体を弄ぶその様は、これを魔女と言わずになんと言おうか。


「おい、なにしたイグニス」


 テネドール。人の名前も顔もすぐに忘れる俺だが、その響きだけは忘れない。

 悪魔に侵されたブルタさんをラルキルドに送り込んだ人物。亜人排斥派に属し、深淵との関係が濃厚とされている男なのだった。


 常識で考えればそんな人物が自ら勇者の前に立つことはありえなかった。

 勇者は嘘と悪意を見抜く。もしその身に後ろめたさがあるのであれば、この場に姿を表すなんて出来るはずがないではないか。


「あなたは何を驚いているのかしら。ラウトゥーラの森というのはテネドール伯爵領なのでしょう。ならば伯爵が顔を出すのは当然だわ」


 絶句する。こいつ、踏破記念に託けて強制召喚しやがったのだ。

 見せてやるぜ貴族流。そんな言葉を思い出す、実に陰湿な嫌がらせだった。


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