第98話 森の暴威



 双剣を構える剣士は誰よりも早く戦場を駆け出した。

 周囲は水没した森の中、足場はうねり飛び出る木の根と僅かな土のみ。環境は剣士にとって劣悪の一言だ。


 それでも足に魔力を纏うおかげか水面をも蹴りつけて、足場の不利など知らぬと少年は自由に駆ける風となる。


「ッオラー!!」


 挨拶代わりに叩き込む左の一刀、続くは本命、渾身の右。

 いとも容易く接近し先手を取る少年剣士に、おお流石だと感心する俺と違い、勇者は冷静にその様子を観察していた。


 何もヴァンの速攻は趣味でも蛮行でもない。作戦だ。

 水面をも駆ける機動力、二刀流による手数、そして豊富な実戦経験は、初見の敵にも見事に対応してみせる優秀な切り込み隊長なのである。


「思った以上に硬いですね」


 剣士の二刀が巨大樹に残した傷は、家の大黒柱に猫が引っ掻き傷を残した様なものだった。

 俺は仕方がないと思う。そもそも太さも高さも東京タワーくらいありそうな化け物を相手に得物が剣はいささか無理があると思うのだ。アレを切り倒すのは斧でもチェーンソーでも難しかろう。重機をくれ。


 イグニスも同意見なのだろう。「どうする、私が一発入れて見ようか?」と、杖を構え勇者にお伺いを立てて。火力といえばやはりこの女。フィーネちゃんもそうだねと頷き許可を出す。


「あー待った。そんな余裕はなさそうよ」


「みたいですね。イグニス、俺の後ろに」


「むぅ」


 魔法を放つべく意気揚々と前に出た魔女を俺とカノンさんで背に庇う。

 ヴァンに先陣を切らせたのはアイツが身軽だからである。正直、相手の攻撃手段が想像もつかないのだ。


 だって木だ。動物ならば爪と牙にでも注意しよう。虫ならば針が危ないか。筋肉があり関節があれば、まだ動きの事前予測というものが出来る。ならば木はどう動くのか?生憎と木に攻撃された経験のあるものは誰もいなかった。


『うっとうしいなぁ。潰しちゃおう。ブチっとね。キャハハ』


 太刀を入れ続けるヴァンが気に障ったのか、耳障りな声と共に巨大樹は動きを見せる。聖剣から生えている様に見えていた根を持ち上げたのだ。


 その姿はさながらにイカとでもいうか。聖剣と繋がる根を残すも、大きい何本かが触手の様にウネウネと動き始めた。


「ふぅん。根を張る性質じゃないんだな。寄生樹の類か。なるほどそれで剣の魔力を」


 呑気に分析するイグニスと違い、俺は若干に青ざめる。

 蠢く触手の数は12本。所詮木の根と侮るなかれ、樹高うん百メートルの体を支えている巨大樹の根だ。一本一本が新幹線でも持ち上げたのかと思う迫力で、そしてソレは、子供が玩具でも振り回すかの様に振るわれて。


「ツカサ! イグニスを頼んだわよ!」


 カノンさんは俺を突き飛ばし、一番脆い魔女を死守しろと背中を見せる。

 一瞬深く目を瞑り優先順位を考えた。そう大事なのはまず俺よりもイグニスだ。この中で一番攻撃を躱せる確率が少なく、ついでに攻撃魔法も回復魔法も持っている。


 任せてと声を上げ、そのままに魔女を抱えあげた。突然の行為にひぁと悲鳴が漏れるが知った事か。躱す足が無いのなら俺が代わりに足になればいいのだ。


「ぬおお、来た来た来た」


 狙われたわけではない。むしろ動き回るヴァンに攻撃を当てようとした流れ弾。

 それでも勢い余った触手がこちらに突っ込んでくる事に変わりなく。


 まるで迫りくる壁だった。巨人に木槌でも振るわれたかのような大面積の暴力が襲ってくる。


 ゴウと風切る根は、速度はそれほどでないにしろ、その重量は一体どれ程になるのか。

 周囲にならぶ巨木を薙ぎ倒すとまではいかないが、大きくしならせ今にもへし折りかねない勢いだ。もしアレに当たれば、というのは見えた結果だ。人間なんて簡単にペシャンコである。


 イグニスを頼んだ。その言葉通りに俺は必死に駆ける。ヴァンの様に水面を、とまではいかないが、女の子一人抱えようとも根の上を飛び跳ねる程度は造作ない。


「カノンさん!?」


(カカカ。豪気よな。嫌いじゃないわい)


 元居た足場にはまだ僧侶が残っていた。直撃のコースなのだが、まさかカノンさんにして逃げ遅れたわけではないのだろう。


 拳をバキボキと鳴らし、掛かってこいと言わんばかりに荒れ狂う触手を待ち受けている。


「植物が、調子乗ってるんじゃ、ないっつーの!!」


 僧侶はあろう事か拳をぶちかましたのだ。


 緑光を纏った拳が炸裂する。衝突の衝撃は凄まじく、音と風が逆巻き水面を叩く。

 足場が苔生し滑りやすいだけに、イグニス共々水に落ちない様に、暴れる風と跳ねる飛沫に踏ん張り耐えた。


 途中、頭上を何かが通過する気配を感じて、まさかと思い僧侶の姿を慌てて探すも、晴れた視界からは先ほど立っていた足場ごと消失していて……。


「うわぁあ!? カノンさーん!?」


「はーい。生きてまーす。くっそー駄目だったわ」


 声は予想外に足元から響き、見れば青髪の女性がプカプカと水面に浮かんでいた。

 表情は眉間に深く皺を作り、悔し気というか不完全燃焼というか。どちらにせよ満足の行く結果は出なかったようだ。

 

「カノン! もう何やってるの!?」


 俺同様に離脱したフィーネちゃんもカノンさんが迎え撃つのは予想が出来なかったのだろう。慌ててた様子で合流して湖に浮かぶ僧侶を回収する。


「違うの。足場が持たなかったの。本当よ」


 長い髪を雑巾のように捻じり、バシャバシャと水を絞り出しながらカノンさんは言う。

 証拠を見ろと指さしたのは宙に浮かぶ触手で、大きくひしゃげたソレは、水の滴る僧侶ほどにボタボタと赤い液体を零していた。


 絶句である。

 先ほど頭上を通過した影はカノンさんを薙ぎ払ったのでなく、殴打により逸らされたのだろう。もし踏ん張りの利く大地だったならばと考えると、もはや空笑いしかでなかった。


『痛いー! 痛いー! なんなのコイツら、もう嫌いー』


「確かに硬いけど、私の拳の方が硬かったようね」


 ふっとニヒルな笑みを浮かべるカノンさんだが、ここでイグニスがネタばらし。

 どうやら神の加護らしい。自分より強い敵だとか、背に守る人が居るなどの特定条件により神聖術の効果は飛躍的に伸びるのだそうな。


 でも理屈はどうあれ根を一本潰した事実に違いなく、その拳はまさに神の宿る拳か。

 初めての超巨大生物相手への有効打が確認できた瞬間だった。


「俺を忘れてるんじゃねーぞ」


 本当に忘れてたのだが、根に追われていたヴァンも一端合流したようだ。

 まさにその時、どこからかボシャンと根が落ちて、大きな飛沫と波が一気に押し寄せる。一体どうやったのか、剣士も根を一本切断してきたらしい。


 少年はヘヘと鼻先を擦りながら自慢する。

 魔力を込め集中的に叩けば斬れない事はなく、斬り込みさえ入れば自身の激しい動きで自壊するそうな。馬鹿のくせに相手の自重と遠心力を利用したようだ。相変わらず戦闘感だけはいい奴だ。


「おっと、これは私も見せ場を作らないとだね」


 お荷物扱いは嫌だからねと決め顔を見せる赤髪の少女は、しかし現在進行形で俺の手荷物なわけで。せめて降りてから格好をつけて貰いたいものである。


「お荷物がんば!」


「おー今なら巻き込まれないし派手にいけお荷物」


「……降ろそうか?」


「もういいよ、このままで」


 いじけた魔女は少々八つ当たり気味に魔法陣を展開し、耳元でハスキーな声が告げるのはお得意の火炎槍の鍵言語。


 魔法陣よりズズリと形成されるは燃え盛る炎の騎乗槍。

 それは初めて見た時の、骨竜の頭部を吹き飛ばした時と同じくらいはあるだろう、巨大な物だ。


 射出された炎は告げた文句の通りに、弓より早く飛来して、槍より重たく突き刺さり、貫き燃やす。


 生きた木は水分が多く、根に突き刺さった炎の槍はジュウと水分を蒸発させ黒煙を濛々と立てて。焼け焦げる音と巨大樹の悲鳴が重なった。


 どうやら根を貫くどころか本体にまで届いたようだ。

 大きな根にポッカリと開くトンネルは周囲の水分を飛ばし尽くしたのか、ブスブスと煙を上げならが発火するも、流石に燃え広がる事はない。


 あーあーと奇声共に、あれは痛みにのたうち回っているのか。みだりに触手を振り乱すものだから火炎の槍が刺さり炭化していた部分から根はボロリと崩れて。


「どやー」


「「わあーうぜー」」


 ドヤるイグニスに思わずヴァンと声が重なってしまった。

 魔女は頬をフグの様に膨らませボコボコと胸元を叩いてくるが、まぁそんな事はいい。


「いけそう……かな?」


 直な感想を口にする。一時はどうするものかと思ったものだが、流石は勇者一行。戦闘力だって半端ない集団だ。


「そう……だね?」


 フィーネちゃんも笑顔で答えてくれそうになったが、その言葉は疑問形で終わった。

 言葉の途中で俺の背後を見て、目を見開いたままに固まっている。

 嫌な予感をビンビンに感じながら振り向けば、なるほど言葉も出なかろう。


 巨大樹は三本の根を失い、木にらしからぬその出血により湖は真っ赤に染まっている。

 そうとも。僧侶が、剣士が、魔女が。確かに森の暴威に一矢を報いたはずだ。

 だというのにウネウネと踊る触手の数は未だに12本。数が数えられなくなったかと思い、もう一度数え直すが12本。


「嘘でしょ、剣の魔力を吸って回復してるの!?」


 森にケヒヒと耳障りな声が木霊する。


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