第77話 胸に秘めて



 一日というのは短いもので、何をしなくても勝手に終わってしまう。

 俺とイグニスは牧場付近の草原でだらけて喋っているだけで日が暮れてしまった。一方で、同じく話し合いに出かけていた吸血鬼と虎のコンビは休息とは程遠い時間を過ごしてきたようである。


 時よ止まれ。あるいはそう願えば、神様の居るこの世界では本当に時間が止まる事もあるのだろうか。そんな奇跡もあるのかもしれない。何せ目の前の少女が羽織る上衣は、時の止まった部屋に眠っていた品だからだ。だが、願い叶わず吸血鬼は忙殺されていた。


 シャルラさんは夕食の席には来たものの机に突っ伏して動く気配がない。彼女の灰色の髪がまた燃え尽きた感じにちょうどよくハマっている。犯人はちょび髭とリーゼント。凶器は数字。動機はお金のため、だ。なんて奴らだ。


「人間って、なんであんなに数字が好きなんですかね……」


 やり手の商人二人に質問責めにあったシャルラさんは、夏休みの終了前日に宿題を一気に終わらせた様な顔で呟く。


 ラルキルド領の長として文字も計算もそれなりに覚えのある吸血鬼ではあるが、通貨も流通してないのんびり暮らしをしていたのだ。拷問にも等しい時間だった事だろう。


 やる事、やりたい事、やらなければいけない事。多々ある選択肢の中から、何もしない事を選んだ俺たちはとても贅沢な一日を過ごしたのかも知れない。


「まぁこれからは執務も増えるでしょうから、側近でも探したらいいのではないですか?」


 グビグビと酒を呷った魔女は、早速に次を注ぎながら言う。どの道一人では回りきらなくなるだろうと。俺もそう思う。シャルラさんの館には使用人の一人も居ないのだ。これで経済が動き始めたら本格的に忙殺されるのではないか。


 半身が吹き飛ぼうと首がへし折れようと立ち上がる不死身の怪物が過労で死ぬ事はないのだろうけれど、きっと倒れるくらいはすると思う。

 

「そうですねぇ。領の中でも賢く真面目な者を……いえ、あるいはルーラン殿の様に外からでも?」


「足りないなら用意する。基本ですね」


 イグニスが薦めるのは貴族の出自の人だ。家督を継がない者は稼ぎに出るのが当然で、教養もあるから実に使い勝手が良いらしい。なるほどと目を輝かせる吸血鬼だが、給金の相場を聞いてまたも机に倒れた。そりゃ有能な人を雇うならお金は掛かるよね。


 食べきれない料理を人の皿に投げてくる魔女にお返しの黒いブロッコリーを投げつけていると、シャルラさんの言葉を聞いていたジグルベインが、なら丁度良い奴が居ると言う。


(お前さんたち、シエルの所に向かうのであろう? 城の管理はアイツがしとったから経理は得意だ。無償で働かせよう。儂が言っちゃる)


 シエル。確かジグの傘下で幹部だった人だ。そういえば人類未踏の森に住んでいるとかでイグニスがウキウキだったか。何が面白くてそんな場所に居るのやら。しかし経理の出来る知り合いならば誘ってみるのは良い案ではないだろうか。


「シャルラさん、シエルさんって人に会ったら頼んでみましょうか?」


「シエル様にですか? 居れば心強いですが、その、人間嫌いですのでお願いは難しいかと」


 放っておいても100年置きくらいにはひょっこり顔を出すから気長に待つらしい。

 ちなみに前に来たのはどのくらいかと聞いたら50年程前だそうだ。後50年はさすがに気が長すぎないかなぁ。


「頑張って連れてきますね!」


 俺はシャルラさんの変化を素直に嬉しく思う。

 300年以上も外という架空の敵に怯え、味方に虚勢を張り続けた彼女。領の全てを一人で抱え込んでいた人が、今は自然に人を頼ろうとするのである。


 果たしてどのような心境の変化なのだろうか。いや責任感なのかもしれない。

 イグニスの領主講座。そして実際に訪れた人間の町。自分の不足をしっかりと認め、領主たるべく成長しているのではないか。


 成長という意味では、手が大きすぎて枝豆の様なものに苦戦するティグも随分成長したと思う。友達が領を出てから変わってしまったと外の人間に不信感のあった虎男。そんな彼が、人間の商人の護衛を引き受けるほどに心を開いてくれた。


 凄いなと本心から尊敬する。出会ってまだほんの10日を過ぎたばかりだ。二人とも、この短い期間の間に目標を見つけて、なんとも立派になってしまった。もはや人間の町は凄いだろうなんて上から目線ではいられまい。俺も彼女らに負けないくらい頑張らねば。


「はぁツカサとも明日でお別れか。いつでも遊びに来いよ」


 シャルラさんと同じく商人に拘束されていたティグは、珍しく酒に手を出し、半ば意識を飛ばしながら言った。アルコールに弱いのだろう。ガパガパ呷る魔女と違いペロペロと舐める様に飲んでいただけなのだが。なお、吸血鬼は顔色も変えずイグニスのペースについていける。強い。


「ふぅん。ツカサも随分懐かれたものだね。私は誘ってくれないのかい?」


「お前は……来なくていい。怖い」


「ははは。この猫め酔ってるな。どうれ回復魔法を掛けてあげよう」


「イグニス殿冷静に。詠唱はやめましょう、ね?」


 今頃はルーランさんとアドロックさんも酒でも酌み交わしている頃だろうか。親方と子分。その関係性をいまいち理解してはいないのだが、文字通りに親と子の関係ならば、きっと俺なんかが理解してはいけないくらいに深い絆があると思う。


「明日でシャルラさんともお別れですね。短い間でしたけど、とても楽しかったです」


「お二人と出会ってからは怒涛の様な日々だったので、本当に寂しいです。ありがとう友人。是非またラルキルド領へお越しくださいね」


 次に訪れる時はきっともっと良い領になっているからと、にぱりと微笑むシャルラさんの何て眩しいこと。


 勿論です。そう言ってグラスを差し出せば、シャルラさんが、イグニスが、そしてティグがグラスを寄せてくる。別れを惜しみ、再会を約束しながら、杯を乾かした。



 シャルラさんに言わなかった事がある。言えなかった事がある。

 それはうちの魔女が出した推測だ。


 深淵の計画は、人間との不和を狙い、獣人や魔族を煽って武器を持たせる事だった。

 作物を魔法で駄目にされ、食糧難と病で危機に陥っていたラルキルド領ではあるが、果たしてこの状況、吸血鬼は武器を取る事はあるだろうか。


 シャルラさんの性格を加味すれば、答えはNOだ。

 領の魔族はシャルラさんが居る限り安全だと思っているが、シャルラさんは人間には勝てないと知っている。だからこそ、彼女は領に引き籠っていたのだ。


 なら、深淵はどうやって吸血鬼を戦いの場へと引きずり出そうとしたのか。

 一回目はブルタさん。子爵の息子をあえて領に送り込んだ。彼は言わば時限爆弾だ。

 悪魔憑きの症状で徐々に衰弱するから、ラルキルド領で不審死させて争いの種火にされる予定だったのではないかとイグニスは推測した。


 ありそうだ。

 信用して送り出したのになんて事を、やはり魔族。とでも言いがかりをつけて粛清の大義を得るのである。酷いマッチポンプだ。


 しかし肝心の爆弾ブルタさんは、見合いが破談しクーダオレ領に戻ってきてしまった。計画はまる潰れである。


 なお見合いの件だが、ブルタさんはオークと言われた事は気にしておらず、醜い自分とも向き合ってくれるシャルラさんにガチ惚れしたそうだ。見舞いの際に綺麗な身体になって今度は真剣に縁談を申し込みたいと言っていたが、その場でごめんなさいされていた。どんまい。


 そして、二度目。俺の見逃していた違和感。

 俺たちがラルキルド領に行くきっかけになったのは、吸血鬼の牙で作られた首輪が発端である。流行り病のために、首輪を売って薬代を稼いでいる獣人が居たのだ。


 よくよく紐解けばその獣人こそが深淵の手先で、獣人の仲間に人間は信用出来ないぞと吹聴し火種を振りまいていたわけであるが……。


 イグニスがこう言うのだ。なんでわざわざ牙を売ったのだろうなと。

 そうだ。金が欲しいなら魔獣でも狩ってきて、それを売ればいいのではないか。シャルラさんならば大型魔獣でも倒せるだろうし、アイツは金になる。


 俺はシャルラさんに聞いた。なんで牙なんて売ったんですかと。返答はゴウトが金になると言ったからだと。嫌な汗が出た。


 魔女は言う。仮に獣人達に叛乱を起こさせるならば、決起に踏み切るには旗振りが必要だと。


 そしてこの国には伝説がある。混沌の魔王の幹部にして、国との争いに勝ち、領地をもぎ取った男。その名を【影縫い】シャルラさんの父にして、最強の【吸血鬼】である。


 シャルラさんは知らぬ間に首謀者にされているのではないか。影縫いの名で人を集めて、もし叛乱でも起きようものならば、その責任の矛先は誰に向くのか。最悪である。深淵は平穏に暮らすシャルラさんを強制的に戦いの場へと押し出そうとしているのではないか。


 所詮は魔女の妄想。手に持つ断片から繋ぎ合わせただけの未来予想図。現実は小説よりも奇なり。これでだけで真実を見たと言えるなら誰だってホームズだ。


 イグニス、それはないよ。俺がさせないよ。この瞬間、深淵は俺の明確な敵となった。

 

 魔族が獣人が、前を向き握手をしようと手を差し出していて。それを人間が触るな汚いと跳ね除ける。なんて悲しい。なんて恥ずかしい。


 俺はシャルラさんと笑顔で別れると決めた。こんな話は知らなくていいのだ。彼女は300年、もう充分に苦しんだのだから、詰まらない話で笑顔を曇らせる必要はないだろう。


 残念だったな深淵。どこの誰かは知らないが、お前の計画なんて全部潰してやるよ。うちの魔王様がな!


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