ルベルスの器
夏木
第1話 手紙の送り主
古びた家の前にある郵便受けへ五年ぶりに手紙が入っていた。そのことに気が付いたのは、たまたま郵便受けに手紙を入れる配達員を目撃したからだ。
手紙など届かないからしばらく開けていなかったせいで、雨や風、老化からきしんでしまった郵便受けの扉を開け、手紙を取り出した少年・ノアは緊張と期待を抱きながらそれを確認する。本当に自分宛なのか、誰からなのか、何の用があったからか。何もわからないままに。
取り出した白い封筒の表にはノアの名前が書かれていた。確かに自分宛のものだ。ひっくり返して送り主を確認してみたけれども、そこに名前は何も書かれていない。
「誰だろう?」
さっきまでやっていた畑作業を完全に中断し、土で汚れた手袋を外して封を破る。乱雑なやり方であるが、中身を破らないように細心の注意を払った。
おかげで重要な手紙の中身は、多少汚れてしまったが、破損することはなかった。
「これは……おや、じ?」
入っていたのは便箋たった一枚。そして書かれている内容もほんの僅か。
『俺の所に来い ――ヴォルク』
ヴォルクこそ、ノアの実父。血の繋がった唯一の家族であるものの、最後に会って話をしたのが、五年前のことだ。
今は生きているのか死んでいるのかも分からない、そんな状況であったがこの手紙のおかげで安心を得た。
「母さんっ! 親父、生きてたよ!」
さっきまで使っていた農具を置き去りにし力強く手紙を握りしめて、ノアは走る。
向かった先は家の中――ではなく、畑を横切った先にある林の中。人気のない木々の間をぬった先、木の葉がかすれる音に小鳥の鳴き声がよく聞こえる場所だった。
決して人が立ち入るような所ではない。その証拠に、足元は人ひとり分があるいてできた程度の草木がつぶれた道しかない。こんな辺鄙な場所にノアは天気に関わらず毎日欠かさず通っていた。
なぜなら、ここには大切な人が眠る石の墓があるから。
ポツリとたたずむ墓に刻まれている名前は『ソフィア』。三年前に亡くなったノアの母である。
母が眠る墓の前にしゃがみこみ、先ほどの手紙を開いて見せた。
「ねえ母さん、生きてたよ……ちゃんと。これで母さんも安心できるね」
返事は返ってこない。それでもノアは満足し、しばらくの間、その場にとどまった。そして、決意をする。
「俺、親父を探してくるよ。それでここに連れてくる! 母さんのこと、何も知らないんだもんね」
手紙を片手にノアは立ち上がり、思い立ったが吉日、さっそく身支度を整え始めるのだった。
☆
若いながらに一人で生活を送ってきたので、ノアの手際はとてもいい。
汚れた服を脱いでは全身と共に洗い、動きやすく丈夫な服に着替える。自ら切りそろえた銀の髪がまだ濡れたままに、テキパキと皮の鞄に荷物を詰めていく。
近所しか出た事のないノアにとって、父を探すということに向けて必要なものなどわからない。だが、わからないながらに、あって困らない物を入れる。
「お金と、水筒。数日分のご飯もかな。他は着替えも? 必要なら買えばいいのか? お金はー……あんまりないけど、途中で稼げるかな? ああそうだ手紙も持って……そうだ、写真も。他は―……」
あれやこれやと詰めていったときには、三十センチほどの横がある鞄はパンパンになってしまった。肩から背負えばそれなりの重さがあったが、普段行っている農作業のおかげで難なく背負って家を出た。
「おやおや、ノア。そんな大荷物でどこへ行くんだい?」
「親父のとこ!」
「おやま」
家を出てすぐ、お昼時であるために自宅に帰ろうとしていた近くに住む老婆にノアは声をかけられた。
老婆とは顔見知りでもあり、ずっとノアのことを気にかけてくれていたこともあってノアは老婆に駆け寄って手紙を見せる。
「ふむふむ……ヴォルクからかい? まったくのんきな男だねぇ、あいつは」
「まあ、そうだよね。そういう親父だもん」
老婆は丁寧に手紙をノアに返す。
「ところでどこにあいつはいるんだい?」
「……さあ?」
「あんたねぇ、居場所がわからないと探しようがないんだよ? わかるかい?」
「あ、そっか! そうだったね! うん? じゃあ何処に行けばいいんだろう……?」
父が生きているなら会いに行くべき。それしか頭になかったから、どこに行くかも考えていなかった。
「考えなしに動いてしまうのが、ノアのいいところでもあり悪いところだよ」
「ううっ……ごめんなさーい……」
せっかく決めて荷物をまとめたというのに、どこへ行ったらいいかわからない。一気に気落ちしてしまい、ノアは肩を落とした。
「そんなに気を落とすことないさ。手がかりを辿って行けばいいんだから。この手紙が入っていた封筒はどこだい?」
「封筒?」
どうして封筒まで必要なのかわからなかったが、ノアは言われるがままに届いた封筒を差し出す。
それをしわくちゃの手で受け取った老婆は、ピントが合わないからか封筒と顔の距離をうまく調節しつつジッと目を細めた。
「何してるの?」
「ああ、ここだい。あたしゃ目が悪くてよく見えないけれども、ここに判子が押してあるだろう? それに文字が書いてないかい?」
「んんん?」
封筒には送り先であるノアの住所。その上に配達のために使われている消印だった。円状の消印の中には、日付と共に地名が刻まれている。
日付は今からちょうど四年前。場所は『パイシース』。ノアが暮らしている地『エリース』からはあまり離れた場所ではない。山を一つ越えた先であり、徒歩でも半日あればたどり着くであろう都市であった。
「四年前のパイシース……」
「なんだい、ずいぶん前の手紙が届いたもんだねぇ! こりゃ郵便屋に文句言っといた方がいいよ! 届けるのが遅いって!」
「あははー……」
随分前の手紙ならば、今、パイシースに父が滞在しているとは考えにくい。父の生死が怪しくなってしまったことに、ノアは酷く落ち込んだ。
見かねた老婆は、ノアの肩を叩き、優しく声をかける。
「とりあえずパイシースに行ってみなさい。ずっとそこで暮らしている人ならば、ヴォルクのことを覚えている人がいるかもしれないよ。あれだけ、目立つことが大好きな男だ。絶対いるさ」
見た目も行動も全てが派手で目立つ存在であるヴォルク。
たくましい筋肉で構成された強靭な肉体に、ノアと同じ銀の長髪と蒼い瞳を持っている。金使いも荒く、酒やギャンブルが好きではたから見ればダメな男と見られても否定できない。隠密なんて言葉は大嫌いで、常に体を動かしているような騒がしい男でもある反面、誰よりも仲間思い。村の誰かが怪我をしたとなれば、担いで隣の村にある病院に連れていく。そんな一面を知っているから、ノアは父を嫌いになることはなかった。
ヴォルクが家を出ていった理由も、旧友が大変なことになっているからという理由だった。だからノアも、母も止めなかった。解決したら帰って来ると思っていたから。
「見つかるかなぁ?」
「見つかるさ。おばあの知り合いもパイシースにいるから、そいつを訪ねるといい。奴の記憶力だけは信じてもいい。記憶力だけだけど」
「?」
強調するように繰り返して言うものだから、ノアは何が合ったのだろうと首を傾けた。
「パイシースにいるジジイ。名前はデシベル。死んでも死なないような男さ。そいつを頼んなさい」
「デシベルさんだね!」
「ああそうだ。どんな昔のことも覚えているネチネチしたジジイだよ。ささ、早く行ってきなさい。日が暮れちまうよ」
「はーい! 行ってきまーす」
父に会うために、まずは老婆の知り合いであり、何でも覚えているというデシベルに会うことを目的にノアは手紙を大切にしまい込んでパイシースへと歩いて向かった。
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