第1章 絆
絆~前編
彼女は賢くて、優秀だった。何より、とても勇敢だった。私はパートナーとして彼女のことを今でも誇りに思っている。これから私が語るのは、一匹の犬との思い出だ。たかが、犬と思うかもしれない。しかし、彼女は私を未来へ導いてくれた。あの時も、これから先もずっと、私にとって彼女は大切なパートナーである。その名はクドリャフカ。生物史上、初めて宇宙を旅した犬である。
私達が出会ったのは1956年の冬だった。私が26歳、彼女が2、3歳の時。人間で言うと、24歳~28歳頃だろうか。彼女は元々モスクワ市内をうろつくただの野良犬だったが、動物を宇宙へ飛ばすという弾道飛行の計画の為に国に保護され、研究所に連れて来られた。
私は元々、動物関連施設で働いていたが、宇宙開発に大変な興味があり、仕事をする傍ら、メディアで情報収集をし、専門家の講演会などにも足を運んでいた。そこで専門家達が将来、宇宙へ犬を飛ばす計画を立てていることを知り、私はますます宇宙への興味が湧いた。私もぜひその計画に携わりたいと強く思うようになり、講演会の後に講師を務めた専門家に自ら声を掛け、話を聞いた。そんな私の熱意が専門家の間で広まり、遂にソ連宇宙開発の総責任者であるヤコフの耳にまで届いた。
ある日突然、ヤコフ本人から電話があり、宇宙へ飛ばす為の犬の訓練をしてみないか、と依頼があった。私は迷うことなく、即座に承諾したのだった。
候補になる犬は20匹ほどいた。それぞれに専属の飼育員、所謂トレーナーが付き、訓練を行うのだが、私はそのトレーナーの一人に任命されたのだった。
「君が担当する犬はこいつだ」
犬の訓練などを行うというモスクワの航空医学研究所に赴くと、ヤコフは私の前に一匹の犬を連れてきた。小型犬、雑種、メス、といったところだろうか。体は決して大きくないが、すらっとしていてスマートだった。顔は茶色、体は白という色合いだった。ヤコフの命令で足元に座らされた彼女は、私の顔をじっと見つめていた。
「名前はクドリャフカだ。見ての通り、とても大人しい。きっとお前のいうことをよく聞くだろう。まぁ、うまくやってくれ」
「クドリャフカ、初めまして。私はオリガ。あなたが宇宙へ行けるよう、これからしっかりサポートしていくわ。よろしくね」
私は腰を落として彼女に目線を合わせると、喉元を優しく撫でた。決して長くはない短くて細やかな彼女の毛は肌触りがとても滑らかで、よく手入れをされているようだった。彼女は私の言葉に目を細めた。しかし、少し警戒しているのか、表情を変えることはなかった。これが、私とクドリャフカの初めての出会いだった。
その後、私はヤコフから飛行計画の大まかな説明を受けた。政府からはまだ打診がないが、我々はいずれ宇宙へ犬を飛ばす計画を実行すること、この打ち上げに成功すれば、冷戦の相手である米国よりも先に宇宙へ生物を送り込むことに成功することになり、我が国が米国よりも有利な位置に立てることなど……ヤコフは早口で語った。その口調には熱意がこもっているのが分かった。
更に私は思った。彼は、早くこの計画を実行したくて仕方がないのではないかと。しかし、彼のその熱意は「宇宙へ向けられたもの」ではないような気がして少し不安になった。
当時、世界の国々において宇宙開発は未だ薄明期であり、人間はもちろんのこと生き物を宇宙に飛ばすなどあり得ない時代だった。だからこそ各国は宇宙開発に力を入れ、様々な計画を実行していた。特に人間を宇宙空間へ送り込む有人宇宙飛行計画にいたっては我先にと各国が最も力を入れている計画だった。折しも我が国は米国との冷戦の最中。どちらが先により進歩した計画を成功させられるか、熾烈な宇宙開発競争が毎日のように繰り広げられていた時代だった。
恐らく、ヤコフの頭の中は宇宙開発というよりも、そうした国家や権力といった事柄が大半を占めているのだろう。米国よりも早く計画を実行すること、そして自分の手腕を国に認めてもらうこと。それらこそが彼の希望なのかも知れない。彼は、持っていた鞄から飛行計画に関する膨大な資料や書類を取り出すと、険しい表情で言った。
「この資料には、今、私が話した計画の大まかな流れが記してある。大切にとっておいてくれ」
ヤコフはその膨大な書類を無造作に差し出した。彼は普段は愛想が良かったが、少々気分屋なところがあるようだ。計画に対する不安か、それとも、自分の思うような宇宙計画を実行させてくれない政府への不満なのか、それとも何か気に入らないことでもあるのか……理由は分からないが、今の彼はとても不機嫌だった。眉間に寄った皺はとても深く、表情も険しい。
それだけではない。その態度や表情からは、人を見下しているような雰囲気さえ感じた。先ほど感じた不安がますます大きくなる。私は何も言わずにその書類を受け取った。スカウトの電話をもらった時は良い人に思えたのだが……ふと、視線を感じて足元に目をやると、クドリャフカがそんな私達の様子をじっと見つめていた。彼女もまた、不安そうな表情を浮かべていた。
「君達にはこれから早速、訓練に取り掛かってもらう。私の後についてきてくれたまえ」
こちらの返答も待たずに彼は颯爽と歩き始めた。年は40半ばだろうか。大柄な体格で、胸を張り大股で歩くその姿は良くも悪くも威厳があった。私はクドリャフカのリードを引き、小走りで彼の後を追ったのだった。
ヤコフに案内され、辿り着いたのは様々な機械や、ロケットのレプリカが並んでいる広い部屋だった。その中には先ほども記した、飛行計画の候補となる24匹ほどの犬がトレーナーと共に待機させられていた。不安そうに尻尾を落とす者、しきりに吠える者、一方で嬉しそうに駆け回る者もおり、様々だった。
「イワン、最後の一組を連れてきた。後はよろしく頼むぞ」
ヤコフはそのたくさんの犬達に囲まれている一人の青年に声を掛けると、こちらを見向きもせずに足早に部屋から立ち去って行った。青年はヤコフに軽く一礼するとこちらを振り向き、私の顔を見た。
「君がクドリャフカのトレーナーかい? 初めまして、僕はイワンだ。生体研究グループのリーダーとして、犬たちとそのトレーナーを指揮することになってる。よろしくね」
黒縁眼鏡をかけた背の高いその青年はとても愛想が良く、私の顔を見て嬉しそうに笑みを浮かべていた。30半ばぐらいだろうか、見た目は若そうに見えるが、その落ち着いた物腰から私は自分よりも彼の方が年上だということを悟った。ヤコフとは全く逆の彼の態度に心から安堵した私は差し出された手を取り、握手を交わした。イワンは部屋中にいる犬とトレーナー達を集めると、真剣な表情で語り始めた。
「最初に言っておくけど、この訓練は厳しいものになると思う。だから、本当は君達に担当の犬達とじっくりコミュニケーションを取り、信頼関係を築いてから訓練を受けて欲しかった。だけど……君達には言っておくけどこの計画を上の人たちは早く実行しようと僕達を急かしている。そう、僕達には時間がないんだ。
だから、君達には犬達とのコミュニケーション、それから訓練を同時に行っていってもらいたい。大変なこともあると思う。上手くいかないこともあると思う。だけど、決して犬達を責めたり、虐めたりしないで欲しい。君達は、どうか彼らを『犬』ではなく『対等な一人の人間』として見て欲しい。真剣に彼らと向き合って欲しい。もしも、不安なことがあったら遠慮なく僕に相談して欲しい。共に宇宙のため、地球の未来のために頑張っていこう」
ヤコフとは対照的な彼の姿勢に私は驚くと同時に感動を覚えた。私は関連施設に勤めていたこともあり、「一人の人間として対等に動物と向き合う」という考えを元々持っていた。同じ志、そして考えを持つリーダーの元で働けることがこれほど嬉しいものなのか、と思った。周りを見ると、皆真剣に彼の言葉に耳を傾けていた。頷く者もいる。私と同じで、ここにはこれまで動物と深く関わってきた者が大勢いるのだ。誰もが彼の熱意に強く心を動かされているように思えた。
彼は次に、飛行計画の説明、そして、実際に乗り込むカプセルに犬を慣れさせる為の訓練の説明を始めた。それによると、訓練は全部で五段階に分けられるようだった。具体的には、閉鎖空間に体を慣らす、気密服を着せ固定する、外からの刺激に耐える、排泄器具を装着する……などである。
クドリャフカはとても冷静で優秀だった。当然だが、出会ったばかりの頃、彼女と私はまだ深い信頼関係を得られていた訳ではなかった。が、それでも彼女は与えられたミッションを着実にこなした。
彼女はどうしてこんなにも勇敢なのだろうか、私はどうしても、その理由を知りたかった。彼女の中で、何か信頼に値するものがあるのかもしれない。それはここにいる誰か、それとも野良犬だった頃に彼女が経験した何かなのか……
私はそれらをイワンに相談したこともあったが、彼にも検討がつかないようだった。その頃からだろうか。私は積極的にクドリャフカとコミュニケーションを取り、彼女との時間を大切にするようになった。彼女が何故、こんなにも勇敢なのか、その理由を知りたいということもあったが、何よりも過酷な訓練を乗り越えるにはトレーナーとの信頼関係が重要だと思ったからである。犬達は研究所を寝床としているため、自宅には連れて帰ることができない。そのため、研究所に赴いてからの毎日の休憩時間、定期的な散歩、そして休日など、私はその全てをクドリャフカと共に過ごした。
「あなたは野良犬だったのよね? どんな毎日を過ごしていたの? 私はね……」
私は散歩をしながらクドリャフカに自分のことを語った。人間同士が仲良くなる時と同じように。最初、クドリャフカはあまり興味を示さず、私の方を見向きもしなかった。それどころか、ツンとした態度で私の一歩前を足早に歩いていたのだ。しかし、めげることなく毎日語りかけていると、徐々に彼女の態度が変わっていくのが分かった。
こちらを見向きもせず一歩前を歩いていた彼女が、私の顔を見上げながらすぐ隣を歩くようになったのである。私は彼女と歩幅を合わせ、雪の積もる真っ白な小道を歩くのがとても楽しかった。また、彼女が私の顔を見上げ、私の話に興味深そうな眼差しを向けてくれることがとても嬉しかった。冬はとても寒かったが、私の心は春の日差しのように温かだった。
そんなある日、閉鎖空間の訓練を行っていた時のことである。犬たちは本番同様にヘルメット付きの気密服を着せられ、チェーンで固定された。しかし案の定、彼らは暴れ出した。噛みつかれる者、引っかかれる者、トレーナーからはケガ人が続出。訓練は一時的に中止となる大変な騒ぎとなった。これにはさすがのクドリャフカも大きくて固い気密服や冷たくて無機質なチェーンを見ただけで怯えてしまい、私がリードを引っ張り、「立って!」とか「座って!」などという指示を出しても一向に動こうとしなかったのである。この訓練の初日はこうした大騒ぎを引き起こしただけで終了してしまった。
「あのクドリャフカが全く動こうとしないなんて……」
彼女が訓練を拒む姿を初めて目にし、私は酷く動揺していた。彼女が拒むのも無理はない。小さくて狭いカプセルの中で気密服を着せられ、固定されるということは、真っ暗な闇の中で手足を縛られるようなものだろう。私は自分の身に置き換えて考えてみたが、あまりの恐ろしさに背筋が寒くなったほどだった。どうすれば……どうすれば、彼女がこの訓練を乗り越えられるだろうか。私は頭を悩ませた。
翌日の朝、私達はいつものように散歩に出ようと、入り口の扉を開けた。そこで私の目にある物が飛び込んで来た。人間が一人入ることが出来るぐらいの大きな土管だった。それは、研究所の入り口横に打ち捨てられていた物だった。長い間使われておらず、その上からは大量の雪が降り積もっていた。真ん中の空洞部分には半分ほど雪が吹き込んでおり、研究所の壁側に面した奥の部分は灰色のコンクリートが剥き出しになっている。また、ところどころ汚れや土がこびりついていた。随分と長い間そこにあったようだが、私は今までその存在に全く気づかなかった。その土管を目にした私は瞬時にあることを思いついた。
「良いことを思いついたわ! クドリャフカ、今日の散歩は短時間で済ませるわよ! さぁ、走りましょう!」
手をポン、と軽く叩いて声を挙げた私を見上げ、クドリャフカが不思議そうな顔をしている。散歩には必ず行かなければならない決まりがある為、私はとりあえず先にそれを済ませてしまうことにした。クドリャフカの歩幅に合わせながら私達はいつものコースを小走りで駆けた。
研究所に戻ると、イワンと数人のトレーナーを呼び、ある考えを打ち明け協力を申し入れた。イワンは満面の笑顔で承諾してくれた。まず私達は、打ち捨てられていた土管を研究所の庭に運んだ。とても重い。真冬にも関わらず皆、一瞬で汗まみれになった。次に土管を綺麗に清掃し、真ん中の空洞部分に器具を取り付け、前後方の入り口に扉を付けた。あっという間に完成した。皆、期待の眼差しでその土管を見つめている。
「クドリャフカ! 出来たわよ、あなたの恐怖を克服する道具が!」
私は土管の入り口を開けた。クドリャフカは目の前にある大きな土管を見て、尻尾を下げて後ずさりを始めた。空洞部分は前後方に扉を付けた為に光を全く通さず、真っ暗闇だ。私は後方の扉からその中に入った。縦の幅は申し分ないが、横の幅はやっとのことで一人入れるぐらいの狭さだ。懐中電灯で前方を照らし、私は怯えるクドリャフカに手招きをした。
「おいで! 暗いけど、あなたは一人じゃないわ。私がいるから安心して!」
しかし、クドリャフカはくぅんと小さな声で鳴き、尚も尻尾を下げている。表情も強張っている。私は一旦、土管から出るとクドリャフカの身体を抱きかかえ、再び土管の中に入った。クドリャフカは驚いて一瞬きゃん、と声を上げ手足をバタつかせた。少々乱暴かと思ったが、訓練を成功させる為だ。仕方がない。
一部始終をイワンが見守っていたが、何も言わなかった。私は大人しくなったクドリャフカの身体に器具を取り付けた。それは訓練用のカプセルの中にある固定器具と同じ物だった。トレーナーの一人が後方の扉を閉めた。完全な真っ暗闇だ。クドリャフカは恐怖でガタガタと震えていたが、私は後ろから彼女の頭や背中をそっと、優しく撫でて励まし続けた。
「クドリャフカ、大丈夫よ。真っ暗で怖いけど、私がずっとついているから安心して」
カプセルの中に一人で入るのは怖い。増してや固定されるのである。それならまずは誰かと一緒に入ってその状況に慣れさせてはどうか?というのが私の考えだった。訓練用のカプセルは当然ながら犬用に作られているので人間が一緒に入ることはできない。そこで、私は偶然土管を目にしたことでそれらの方法を思いついたのである。最初は五分、次は十分、と徐々に時間を長くしていき、私達は根気よくこの土管を使った練習を続けた。
「大丈夫、怖がらなくていいの。あなたはとても強い子よ。きっとこの暗闇に勝てる日が来るわ」
私は彼女の頭を撫でながら、真っ暗闇の中で励まし続けた。すると数日後、クドリャフカの身体の震えが止まり、自らの足で土管の中へ入っていくようになっていったのである。これにはイワンを始め、トレーナー達も驚き、この練習を試す者も増え始めた。クドリャフカは遂にたった一人で土管の中に入ることに成功したのである。
それから更に数日後、私の他にも頭を悩ませたトレーナー達が訓練用のカプセルで一部の犬達を固定することに成功した。犬達もようやく落ち着きを取り戻したようだった。土管での練習の成果か、はたまた彼らの姿に触発されたのか、クドリャフカも遂にこの訓練を乗り切ることが出来た。
「よく頑張ったわねクドリャフカ! あなたは本当に素晴らしい女の子だわ!」
誇らしげにカプセルから出て来た彼女の頭を思い切り撫でながら褒め称えると、彼女は嬉しそうに口を大きく開けて尻尾を振った。この訓練のおかげで私とクドリャフカは、この日から深い信頼関係を結ぶことができたのだった。彼女を含む一部の犬達は、なんと最長で20日間も固定されることに成功し、この訓練は素晴らしい結果を出すことができた。
犬たちの適応の早さに私達は毎日救われていた。普通ならばもっと時間がかかるはずである。これは、野良犬だった彼らの能力を即座に見抜き、選抜したヤコフの優れた力量によるものでもあった。
この頃から訓練は更に厳しいものとなり、夜の遅い時間までかかることもあった。そんな時、私は研究所の外にある小さな庭に出て、クドリャフカと一緒に草むらに寝転んだ。星を見るためだ。
「クドリャフカ、今日は大変な一日だったわね。怯えて暴れまわった他の犬に蹴られたり……」
彼女はくぅんと鳴くと私の言葉に少しだけ悲しそうな顔をして、蹴られてしまった小さな足を舐めていた。今日の訓練は外からの刺激に耐える、音や振動に慣れる、といった耐性訓練だったが、機械の大きな音に驚き怯えた一匹の犬が大暴れし、近くにいたクドリャフカの足を蹴り飛ばすという騒ぎがあったのである。幸い、大事には至らなかったが、イワンも私も肝が冷えた出来事だった。私は彼女の小さな足を撫でながら、頭上に広がる満天の星空を指さした。研究所は小高い丘の上にあり、周りには建物や遮るものが何もなかった。その為、明かりに邪魔されることなく星がよく見えたのである。
「あなたはもうすぐ、この満天の星空を駆け回ることができるの。凄いことなのよ。私、とても羨ましいわ」
私は小さい頃から宇宙が大好きだった。父に連れられて、夜空の満天の星を眺め、時には星座を見つけた。図鑑を買って惑星の勉強をした。土星の輪、大きい縞模様の木星、赤々とした火星……色々と勉強する内に宇宙へ興味が沸き、いつか宇宙に携わる仕事がしたいと思うようになった。しかし私は、それと同じくらい自宅で飼っていた犬が大好きだった。
彼女は雑種の小型犬で捨て犬だったが、ある日突然、庭に迷い込んできたところを保護して以来、我が家族の一員となった。彼女は体が弱く、短い生涯だったが、私はそんな彼女に出会ったことで捨て犬、野良犬といった不幸な犬達を保護する仕事がしたいと思い、関連施設で働いていたのである。そして今、犬、宇宙、という一見共通点のないそのふたつの事柄に携わることができる仕事に就いている。とても奇跡的で光栄なことだと思う。ヤコフのことはあまり好きではないが、彼には感謝をしなくてはならない。
そんなことをぼんやりと考えている内に、ふとあることを思いついた。
「そうだ、クドリャフカ。あなたは訓練に関してはとても優秀だけれど宇宙のことは何も知らないのよね?」
私の問いかけに彼女は首を傾げて不思議そうな顔をした。
「宇宙へ行くのだから、あなたはそれらのことをよく知っていなきゃダメよ。だから、私がこれから毎日、宇宙のことをあなたに教えてあげるわ。そうね……季節の星座とか、太陽系の惑星とか。これらは私の得意分野だから」
私が得意げになってそう語ると、クドリャフカは興味深そうな顔をして私をじっと見つめていた。私は空を見上げた。
「あの一番明るい星は北極星。こぐま座という星座の一部なの。その下にいるのが、こぐまのお母さん、おおぐま座よ。おおぐま座の尻尾を辿ると、柄杓の形ができるでしょう? あれを北斗七星っていうのよ」
クドリャフカは私の言葉に目を輝かせて星を指し示す私の指の先を必死に目で追っていた。すると、一筋の明るい光が夜空を素早く横切った。
「あっ! 流れ星よ! クドリャフカ、一緒に願い事しましょう!」
クドリャフカが無事に宇宙へ行けますように……私は心からそう願った。目を瞑っていると、すぐ側で息遣いが聞こえた。驚いて目を開けると、クドリャフカが心配そうに私の顔をぺろぺろと舐めていた。いつまでたっても目を開けず、押し黙っている私を見て不安になったのかもしれない。
「ああ、ごめんね、大丈夫よ! そうそう、クドリャフカ、あの流れ星はね、彗星が残した塵なの。あっそれにはまず彗星の説明をしないといけないわね……」
それから私の解説は長いこと続いた。夢中になってしまい、ふと気が付くと隣でクドリャフカが気持ちよさそうに寝息を立てていた。私は、しまった、と思いながら彼女の頭をそっと撫でた。私は素直な彼女のことが大好きだった。幸せそうな寝顔が愛おしく感じられ、いつまでもこうして彼女の頭を撫でていたい気分だった。
「オリガ! いつまで庭にいるつもりなんだい?!」
いつまでたっても庭先から戻らない私達を心配したのか、イワンが息を切らしてやってきた。いつもは穏やかで優しい彼だが、犬たちの身に少しでも良くないことがあると、途端に厳しい口調になるのだった。彼は犬たちを大切に思っているのである。私はそれを理解しているつもりだった。再び、しまったと思い慌てて立ち上がった。
「オリガ、彼女と仲良くするのは構わない。だけど、度が過ぎたことはやめてもらいたい。彼女の身に何かあったら大変だよ」
「ご、ごめんなさい……気をつけるわ。ごめんね、クドリャフカ……」
いまだ寝息を立てている彼女を抱えながら、私はそう呟いた。イワンは落ち込んでいる私の姿を見て、ふぅとため息を吐くと「全く君は仕方がないな……」と苦笑いを浮かべていた。
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