第83話 工業都市を蝕む毒

 ロロはドラゴンエナジーが入ったビンの匂いを執拗に嗅いでいた。

 それはあまりに甘ったるく、鼻腔にしつこくまとわりつく匂いだ。

 ロロがあまりに不快感を示すので、他のメンバーも釣られて嗅いでみた。


「確かに甘い匂いはするが、そこまでひどいものか?」

「でも、アイリーンさん。メディが難色を示すほどだよ」

「ロロちゃんは嗅覚も優秀です」


 ロロはメディの下で修業を始めてから、貪欲に薬の知識を学び始めた。

 その吸収力もさることながら、嗅覚や味覚の鋭さはメディを唸らせる。

 まるで野生動物だとさえ思っていた。

 メディの父親曰く、下手な知識より五感だ。

 知識を頭に詰め込む過程で、感覚的な判断を養う訓練を怠った薬師は多い。

 その点、ロロの嗅覚は天性だった。

 しかしメディはロロの行動ただ一点を咎める。


「ロロちゃん、やたらと舐めてはいけませんよ。無味無臭の毒もありますからね」

「すまんのです……」


――薬師なら無臭でも毒を嗅ぎ分けろ!

――ペロッ! これは毒! なんてやってんじゃねえぞ!


「このドラゴンエナジーは毒です。それもかなり性質が悪い……」

「ど、どどど毒なのですか!」

「毒なのですよ。でも一口で死にません。これは長い時間をかけて……本当に……」


 メディが押し黙った。握り拳を作り、口はへの字だ。

 滅多に怒りの感情を見せない彼女だが、こと薬となると話は変わる。

 それはメディにとって、薬の扱いを間違った者がいるということだった。

 アイリーンやエルメダ、カノエはこの時も寒気を覚える。

 戦闘の実力者である彼女達だが、メディの薬師としての腕は戦闘に換算すれば三人と比べて遜色ない。

 もしメディがその気になれば、三人を毒殺することすら可能だとカノエは本気で思っていた。


「エクリさん。このドラゴンエナジーを売っている人がいるんですね」

「薬師ドクマーク……。労働者の味方、元気パワー……」

「ええと、ドクマークという人が薬師なんですか? その人が労働者の味方で元気パワーを与えていると。なるほど」

「早い、安い、うまい……」


 エクリの言葉足らずな説明だが、単語だけで何が起こっているのか理解できた。

 歯ぎしりをするメディを見て、アイリーンがフォローする。


「エクリは昔から話すのが苦手でな。人見知りも激しいが、ここまで話してくれたのは意外だ」

「破壊……」

「それはもういい」


 その後、エクリの断片的な単語から工業都市プロドスに起きている異変が明らかになる。

 薬師ドクマークは少し前からふらりと現れては、ドラゴンエナジーなるものの販売を始めた。

 最初は訝しんで誰も手を出さなかったがドクマークは初回無料と称してしつこく営業を続ける。

 根負けした労働者の一人が飲んだ途端、疲労感がすべてなくなった。

 ドラゴンエナジーの評判が一気に広がり、今ではプロドスの労働者が手放せないものとなってしまう。

 飲めば疲れが取れて、おかげで無茶な納期にも対応できるようになる。

 能率が上がったとして、発注元や工場長も今やドクマークとの提携を望んでいた。

 ある貴族は彼を抱き込もうと、高額な金を積んで接待をする始末だ。


「なにそれ、絶対やばい奴じゃん」

「薬師ドクマーク……聞いたことがあるわ」

「カノエさん、知ってるの?」

「近代薬学を説いて、薬師不遇時代に革命を起こすといわれている人物ね。百人の弟子を持ち、弟子入りするには相当厳しい条件が課せられると聞くわ」

「ひえぇ! メディ以外にそんなすごい薬師がいたんだねぇ! でもそういう話ならメディも知ってそうだけど……あ、まだすごい怒ってる」


 当のメディはドクマークのプロフィールなど頭にない。

 ビンを力いっぱい握りしめて、への字の口のまま睨みつけていた。

 そしてテーブルに叩きつけるようにして置く。


「ちょ、ビックリするじゃん」

「エルメダさん。魔法は魔力がなければ使えません。でも薬師は誰でも名乗れてしまうんです」

「う、うん」

「デタラメな仕事をする薬師のせいで、より治癒師が重宝されているという背景があります」

「うんうん……」


 なぜ自分にだけ語りかけるのか、エルメダは突っ込みたかったがその度胸はなかった。

 今のメディは怒りに満ちている。

 大人しく吐き出させるほうがいいと判断して、エルメダは思わず正座してしまった。


「ドクマークという人の話は私も聞いてます。以前、私がいた治療院にも弟子を名乗る人がいました」

「あ、それってまさかあのブーヤンってやつ?」

「あの人のお粗末な薬の知識と態度を見ていれば、師匠もどんな人か大体わかります。ひどい薬と一緒にひどい人もばらまいているんです」

「そ、そこまで……」


 メディはドクマークとの面識はないが、すでに嫌悪感しかなかった。

 ベッドでぐったりとしているエクリを見れば、メディの怒りの炎は鎮火しない。

 その様子を見たアイリーンは危ういと思った。

 メディらしくない。今、彼女がすべきことはドクマークへの憎悪をたぎらせることではない。

 アイリーンはメディの手を握った。


「メディ。気持ちはわかるが、まずやるべきことがあるのではないか?」

「……あ」

「エクリを頼む」

「そうです、そうですね。私、何やってるんだろ……」


 メディが我に返ったように調合釜を取り出す。

 いそいそと薬の素材を並べるメディを見て、アイリーンは安心した。

 腕はよくても、まだ精神が未熟なところがある。

 特に怒りに囚われた心は大人でも戻すのが難しい。

 だからこそ自分のような年長者が支えてやらなければ、とアイリーンはメディを姉のように見守っていた。


「エクリさん。あなたの体調は私が必ず戻します」

「仕事……?」

「いえ、人助けです」

「人助け……」


 エクリはメディが金をとるのではないかと疑っていた。

 仕事でなければ自分を助けるはずがない。自分が死ねば目的も果たせなくなるのだから。

 そう考えていたが、メディが真剣な表情で調合をしている姿を見ているうちに次第に眠気に襲われた。


「お薬、出します」


 意識が落ちる寸前、エクリは確かにその言葉を聞いた。

 その瞬間はあまりに心地よく、少しだけ休みたいと願う。

 師匠が死んでからは自分がやらなければ、と研究に打ち込んでいた鉄の心がほぐされていくようだった。

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