第72話 リーシャの依頼

「わざわざ来てもらって悪いね」

「いえ、宿の新メニューに貢献できるなんて光栄です!」


 メディはリーシャの依頼で、宿の厨房に招かれる。とはいえ、メディとしても意外だった。

 料理に関してはメディも素人であり、リーシャ一人で事足りると思っていたのだ。

 事実、リーシャは厨房内の指揮において抜かりがない。個人の資質を見抜いて、すでに右腕に据えようとしている者を考えている。

 リーシャを料理長として調理補助が八名、全員が素人だが真剣な眼差しだ。

 中には包丁を握った事もない者もいるが、そのモチベーションは凄まじい。夜遅くまで厨房を使わせてほしいとリーシャに頭を下げるほどだ。

 居残りをして毎晩のように練習を重ねている。


「ほら! ちゃんと挨拶するんだよ!」

「おはようございますッ! 本日はご鞭撻のほど、よろしくお願いしますッ!」

「ご、ごべんたつ?」

「あー、いや。ちょっと誤解があるね。メディ、あんたに頼みたいのは新メニューの開発そのものじゃないんだ」


 メディは頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。ロロは広い厨房に興味深々で、包丁に手をつけようとしていた。


「コラッ! 危ないから触るんじゃないよ!」

「ロロちゃん。大人しくしていてください」

「直立ふどーをつらぬくのです!」

「いや、そこまでしなくてもいいんだよ……」


 ロロに調子を崩されたリーシャだが、改めてメディに依頼内容を話す。

 それは開発した新メニューの栄養バランスだ。リーシャとしては、この村や山の豊富な資源を活かさない手はない。

 ただ味がいいだけの料理であれば、他の町や王都の高級店にでも行けばいい。

 リーシャが求めているのは最高の味だけではなく、最高の料理だった。


「最高の料理ってのはね、身体の芯まで労わるものなんだ。せっかく来てくれたのに不健康な食事をさせるのはもったいない」

「そこまで考えていたんですねぇ!」

「いや、ほとんどカノエって人の受け売りだけどね」

「カノエさんが?」

「そのカノエさんもメディの事ばかり話していたよ」


 つまり巡り巡ってメディに行き当たる。よくわからないものの、メディはひとまず納得した。

 さっそく新メニューの一つが厨房の面台に置かれて、メディは思わず唾を飲む。

 カイナネギの薬膳スープ、バーストボアのオルゴム草添えステーキ、ウリダケのバターソース和え。そしてデザートにキラービーの蜜を使用したゼリー。

 これのどこに意見を言えばいいのか、メディは迷っていた。


「ふぉおおーー!」

「ロロちゃん。はしたないですよ」

「メディおねーちゃんも涎が垂れてるのです」

「えっ……」


 思わず口元を拭った。リーシャが照れ笑いしつつ、メディに頭を下げる。


「味については誰もが絶賛してくれてさ。それは料理人冥利に尽きるんだけどね」

「誰だって絶賛しますよ!」

「アイリーンさんには完璧だと言われて、エルメダは全部食べつくして感想も何もあったもんじゃない。カイナ湯にいるアンポンタンみたいな三人なんか、姐さん呼ばわりだよ」

「それで栄養バランスを見てほしいと?」

「アタシもそれなりに知識はあるつもりだけどね。あんたのほうがそういうの詳しいだろ。もちろん食べてくれても構わないよ」


 メディはまず涎を存分に垂らしているロロに譲った。あまり食べさせるのは教育上、よくないがここで待ったをかけるのはあまりに酷だ。

 それにメディなら食べずとも、見ただけで判断がつく。


「カイナネギの薬膳スープにクラホフの実をわずかに加えてください。このままだと塩分過多ですが、実を加えることで薄められるんです。それに味もあっさりして、より口当たりがよくなりますよ」

「クラホフの実かぁ……」


 リーシャがクラホフの実を刻んで作り直してから一口、すする。


「た、確かにこっちのほうが味がしつこくないね」

「次に気になったのがウリダケのバターソース和えです。レッドハーブを加えてみてください」

「レッドハーブ?」

「レッドハーブには脂肪燃焼と新陳代謝向上できる成分が含まれています。ウリダケの成分と合わさる事で、更に効果が高まるんですよ」

「知らなかったねぇ……」


 リーシャ他、スタッフ一同は必死にメモを取っている。

 メディのより詳しい成分説明はリーシャも初めて聞く。彼女の料理人である以上、旨味を引き出す成分は把握していた。

 リーシャは考える。もしメディが料理人の道を歩んでいれば、自分以上の存在に化けたのではないか。

 メディの素質は薬師だけに収まらない。底にあるものを見定めようとしたが、リーシャは立ち眩みを起こす。


 その刹那、リーシャの中で星々が輝く空間が広がった。

 無限の奥行きがあるように思える果てしない世界。理解しようと手を伸ばしても何も掴めない。


 そして空間全体が大渦のようにうねり、抗う術もなく流される。気がつけばリーシャは脂汗を流して、床に手をついていた。


「ハァ、ハァ……」

「リ、リーシャさん!?」

「いや、ごめんよ。なんでもない……」


 リーシャは一人の職人としてメディに踏み込んでみたが、あまりに危険だと悟った。

 メディの力量は計り知れない。理解しようとするべきではない。そこにあるのは理解不能の空間なのだ。

 リーシャはメディに嫉妬の感情が芽生える。しかし、そこで激情に流されるほど愚かではない。

 寸前のところで堪えて、リーシャは立ってメディの目を見た。


「……メディ。アタシの前に現れてくれてありがとな」

「は、はい?」

「あんたはアタシの世界を広げてくれた。これからもよろしく頼むよ」

「あ、あの。まだ細かいところがあるんですけど……」

「えぇ?」


 そしてメディの怒涛の指摘をリーシャは真正面から受け止めた。朝食、昼食、夕食。すべてを統合した上での栄養バランス。

 一つのメニューで済むはずもなく、終わる頃には日付が変わろうとしていた。リーシャは糧にして、見習い達は精魂尽き果てている。

 ロロは満腹になり、床にお座りして寝込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る