第5話 直線の迷路

 緑色の小さな粒上の何かが飛んでいる。リリは最初、ホタルか何かだと思ったが人よりずっと大きな木々が茂って影が光を遮ろうとしているにしても、この日の昇っている時間にこんなには光るものだろうか。


 リリは山道の崖にある窪みに設置された休憩用のベンチに腰掛けて昼食のサンドウィッチを食べていた。二つ目のたまごサンドを食べている時に、ふと目の前の異様な景色に気がついた。山道の入り口からここまでこんなものは飛んでいなかったはずだ。


 生き物なのか、それとも埃か何かは見ただけではわからなかった。最後の、三つ目のツナサンドを食べ終え、水槽のお茶を飲んでいる時だった。何枚かの色あせた落ち葉が何枚かゆっくりと落ちてきた。その緑の小さな発光体たちは、その地に落ちていく落ち葉に集団で群がり、落ち葉そのものが発光体のようにくっつきはじめた。その様は明らかに生き物のそれだった。リリは再びリュックを担ぎ、先に見える石段へと目指した。


 道は急な階段になった。湿った石造りの階段に苔がまとわりついており、獣道のように人の足が踏んだところだけ苔が薄くなっている。階段の脇には歩くものを出迎えるように足のひざまでもない長さの草木がちらほらと生えている。遠くから滝の音がする。


 リリはこの傾斜が比較的高い階段を登るにつれて、辺りにうっすらと霧がかっていくのを感じた。しかも風でより肌寒くなる。階段にまとわりつく湿気と苔で足下を滑らせないように踏み込みを意識して歩いてみる。石階段を踏み締める音が辺り一帯に響いた。


 リリは腕時計で時刻を確認した。麓の入山口から歩き始めて三時間半が経とうとしている。こまめに休憩を挟んでいたせいなのか、リリ自身はあまり疲れを感じていなかった。急な階段を登り終えて、また緩やかな道に差し掛かったところで古い線路と鉄のポールを組み合わせた柵が左側の崖がある方にかかっていた。


「駅は近い!」


そう思いリリは地図を確認した。今までのペースを考えるとあと二十分で目的地に着く計算になる。薄い霧が風に身を任せて流れている。同じように緑色の粒上の物体も風に流れはするが、風が弱くなるとまた元の場所へ戻ろうとする。


 たくさんの人や動物に踏まれたであろうその道を一歩一歩踏み締めていくとリリはなぜここまで来たのか、その目的を忘れそうになっていた。あの教室でのみんなとの打ち合わせも、ヤンがわざわざ図書室から持ってきたあの重そうな本の匂いも実は元から無かったのではないかという気になってきた。左には線路を流用して造られた柵、右には苔をまとった岩の壁、時折そこを突き破って大木が鎮座している。リリが途方もない景色で我を忘れそうになりながら歩き進めて行くうち、このまま山頂まで続きそうな道は途中で行き止まりになってしまっていた。


 あまりにも唐突に、柵と一枚の「当山道はここで行き止まりのため、引き返してください」と書かれた薄汚れた看板があるだけで、リリは狐につままれた気持ちになり、また唐突な道の終わりというどこからか湧いてくる薄ら恐怖感のようなものが心に中から滲み出てきた。道を間違えたのか。リリはとっさに地図を確認した。しかし、どこかで脇道にそれたわけではなく、たどった地図の道筋が間違っているわけでもなかった。確かに地図上でも行き止まりは存在する。けれど、それは廃駅を通り過ぎてからもっと先にあるはずだった。


「この道、いや、この山、何か変だ」


周りの景色、歩いた大方の時間、地図の情報。それらを照らし合わせて出たリリの結論はそれだった。

「もし、ここが地図通りに行き止まりの場所だとしたら…目的地の廃駅は通り過ぎたことになる」

行き止まりにたどり着いた時に確認した時刻はリリがその前に、急な階段を登り切って線路でできた柵を目にした時と比べると一時間も経っている。だが、リリ自身は十分と経っていない感覚だった。


「わからん…分からん…解らん…」


リリはそう心の中で呟きながら、道を引き返すことにした。その間にどこか自分が見落としている箇所がないか、念入りに見回しながら進んだ。すると、さっきまで岩の壁だと思っているところに大人一人がやっと入れるアーチ型の入り口が見つかった。アーチ型とは言っても大変こぢんまりとした、もしこれが駅の入り口ならば、一日に数えるくらいの利用者しかいなかったのではないかという規模だった。


「あった…私はここをさっき見落としてたんだ」


その入り口は人に棄てられて何年も経った朽ち果てたものではなく、いつでも訪問者を招き入れるような『生きた』入り口だった。

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