#07  シュウ 20

―シュウ 20―



「今日はバイトの後、そのまま練習行くから夕飯はいらない」

「うん、わかった。行ってらっしゃい」

 詩織と一緒に生活をするようになって、一年が経とうとしていた。高円寺駅から徒歩10分。木造アパートの6畳一間の部屋で、ひっそりと生活していた。だって、大家さんには二人で住んでいることは内緒だからだ。

 なにしろぼくらにはお金がなかった。一緒に住もうなんて偉そうなことを言っておきながら、それまで大学生だったぼくはまったくといっていいほど貯金もなかったのだ。

 親に頼み込んでお金を借り、保証人になってもらい、なんとか今の部屋を借りられた。もちろん女の子と一緒に住んでるなんて、親には内緒だ。

 高円寺はいい街だ。商店街は活気があって、野菜も惣菜も安い。いい感じの定食屋さんがあるし、古着屋さんもいっぱいある。何より、歩いている人がおかしいんだ。長髪のバンドマンや、キョンキョンみたいなトんでる女の子や、ブルーハーツのヒロトもどきとか、みんな個性ありすぎでしょ。いやぁ、大宮にはこんな人たちはいなかったねぇ。

 テレビでは好景気だって言ってるし、ローリング・ストーンズが来日して盛り上がってたしさ、なんかいい時代なのかもしれないな。

 ぼくは詩織と東京に来て良かったって思ってる。生活するって大変なことだけれど、詩織となら楽しいもんだ。お金も二人で働けばなんとかなるし。ぼくは近所のビデオレンタル店でアルバイト、詩織は新宿の小さな広告代理店で事務の仕事をしている。


「ごめん、遅くなった」

 音楽練習スタジオ。階段を降りた地下のフロアはいくつもの部屋に分かれ、かすかに楽器の音が漏れて聞こえてくる。

 入口の二重扉をがっちりと閉め、ぼくは準備を急いだ。メンバーはそれぞれ自分の楽器のセッティングをしている。ギャギャーンとエレキ・ギターの歪んだ音がスタジオ中に響いた。

 ぼくは音楽活動を始めていた。四人組のロックバンドでヴォーカル担当だ。

 詩織と生活を始めたぼくは、何かをやりたかったのだ。詩織みたいに、何かをがんばってみたい。自分に自信を持てるようなものを何か持ちたい。そんな思いがぼくを動かしたのだった。

 特別自慢できるようなこともないぼくには、ロックバンドくらいしか思い浮かばなかった。世間ではバンドブームだなんて言って、かっこいいロックバンドがあふれていた。そりゃあ憧れるのも自然ってもんだ。高校の頃に、遊びで組んでいたバンドのメンバーに連絡を取ってみると、ヴォーカルを募集しているという。

「なぁ、アツシ、オレをヴォーカルで入れてくれよぉ」

「おーシュウ、おまえルックスいいもんな。んー確かにアリかもなぁ」

 ぼくは半ば強引にそのバンドに入り込んだのだった。


「じゃあ、この前の新曲から行こうぜ」

 リーダーでもあるぼくの友達、アツシが合図をする。曲を作っているのもアツシだ。ぼくの好みの音楽かと言われたらちょっと違うんだけど、でもかっこいい曲だと思うよ。

 ドラムのビートに乗ってベースがグルーヴを作り、アツシのギターがコードをカッティングする。そしてぼくのヴォーカルだ。なんというか、ヴィジュアル系のはしりとでも言うのかな。BOOWYとかが流行ってたからね。いかにもロックバンドってな感じで、なかなかいいバンドだと思う。

 まだ3回しかライヴはやってないんだけれど、手応えは充分だ。チラホラと女の子のお客さんが付きつつあるんだ。

「じゃあ次は来週な。シュウ、また」

 スタジオを出ると、アツシがぼくに手を振る。

「あれ、みんなは?」

「あぁ、ちょっと三人で寄るとこあるんで。シュウすまない。また」

 ふーん、まぁ一人でメシ食って帰るかぁ。ぼくはイヤホンを耳にかけながら、のんびり駅まで歩いた。ザ・フーの『マイ・ジェネレーション』、かっこいいなぁ。

 その頃、メンバー三人はラーメンをすすりながら話していることを、ぼくは知らなかった。


「なぁアツシよぉ、ヴォーカルのシュウちょっと浮いてねぇか?」

「そうなんだよなぁ。雰囲気がちょっと違うって言うか」

「そうか?まぁ、そのうち合ってくるよ。なんてったってあいつは顔がいいじゃん。今はライヴでお客を増やさなきゃだしさぁ。女の子が付き出したじゃん。あいつのおかげだぜ」

「でもさぁ、長い目で見たらなぁ・・・」


 ギャギャーン、ダカダン!

 ライヴハウスにロックバンドの激しいサウンドが鳴り響く。薄暗い客席。お客の入りは7割といった感じだろうか。ずいぶん女の子が増えたなぁ。ステージから見える客席、最前列では女の子たちが飛び跳ね、盛り上がっている。真ん中あたりには詩織の姿もある。

 ぼくはステージで歌いながら、得意気だった。なんかロックスターみたいじゃん。イエーイ。

 ライヴを終え、汗びっしょりのぼくらは控室に戻った。

「お疲れい」

 汗を拭きながらメンバーに笑いかけると、ベースのタクヤが不機嫌そうな顔をしている。

「シュウよぉ、おまえ走りすぎだよ。演奏と合ってなかったじゃねぇかよ」

「え、そうだった?」

「まぁまぁ、それだけテンションが上がってたってことだからさぁ」

 アツシが間に入ってくれて、険悪になりそうだった雰囲気はかろうじて保たれた。それでもぼくは上機嫌だった。こんなぼくだってステージに立って歌える。人前に出て、自分を表現することができるんだ。デヴィッド・ボウイの『スターマン』ってな気分だ。

 ライヴの後は、打ち上げってことで居酒屋で飲むんだ。詩織は大勢で飲むとかそうゆうの好きじゃないから、ライヴが終わるとすぐに帰っちゃう。アツシやタクヤが、来てくれたお客さんに声をかけてた。おかげで今日は人数が多いなぁ。女の子がいっぱいいる。人気出てきたってことかな。だって、最初のライヴの時なんてメンバーと友達数人だったもんな。メンバーは上機嫌で盛り上がってる。でもぼくは正直、苦手だ。女の子にチヤホヤされる感じはもちろん悪くないんだけど、居心地悪いって言うか。だってみんなが好きなのは、ステージの上のぼくだろ。ぼくが本当はどんなヤツかなんて知らない方がいいんだ。

「じゃあな、また」

「おう、みんなも気を付けて帰れな」

 終電間際、居酒屋を出て駅方面へ歩く。女の子がぼくに近づいてくる。近くに座ってたコだ。

「シュウさんってけっこう無口なんですね。意外」

「そう?あんまり好きじゃないんだよ。大勢で飲むのって」

「ねぇ、もう一軒行きません?」

 そのコがぼくを見る。精一杯に化粧をした顔。カラフルな服装。派手なコだなぁ。人気が出るってこうゆうことなんだろうなぁ。ここはロック・スターらしく、おおいに乱れてしまいたいとこだけど、、、。

「明日、朝早いんだ。またライヴ来てよ」

 たとえロック・スターでも、詩織を裏切ることはできないなぁ。

 

 部屋でアコースティック・ギターを弾きながら、ラジカセに向かって鼻歌を歌う。ラジカセの内臓マイクで録音しては、また巻き戻し。ギターはまだ、決して上手くはなかったけれど、コードくらいならなんとか弾ける。ジャラランとギターを鳴らしながら、ふーん、ふーん・・・とメロディーを作っていた。

「何してるの?」

 キッチンで夕飯を作っている詩織がぼくに聞く。

「曲作ってんだよ。オレもさぁ、自分で作った曲を歌ってみたいなぁって思ってさ」

「へぇ、いいじゃない」

「今はさぁ、全部アツシが作った曲じゃん。別に歌うのはオレじゃなくてもいいわけよ。やっぱりさぁ、オレじゃなきゃダメだっていうようなさ、そんな歌をうたいたいなぁって思うんだよなぁ」

「ふーん。ねぇ、シュウ。わたしの知り合いで音楽やってる人がいるのね。一人で弾き語りでライヴやってると思うんだけど、今度一緒に行かない?」

「へぇ、まぁいいけど」

「何か参考になるかもしれないよ。今度ライヴのスケジュール調べておくね」

 ぼくはまるで気にせず、聞き流していた。


 バンドではデモ音源をレコーディングする話が進んでいた。設備の整ったスタジオでぼくらの歌をレコーディングし、その音源でさらに売り込みをかけようと盛り上がっているのだった。練習の後、喫茶店でぼくらは顔を突き合わせ頭を悩ませていた。

「レコーディングは全部で4曲な。曲目を決めなきゃだ」

「やっぱ『スイング・スター』は外せないだろ。『エンジェル・ビート』は?」

「あれ、ドラムきついぜぇ」

 ぼくは煙草に火を点け、ふっと高校生の頃を思い出していた。仲の良かったアツシとよくふざけ合っていた。どこにでもいる、ごく普通の高校生。まだ何者でもなかった。

 このバンドがうまく行ったら、もっと人気が出たら、例えばレコード・デビューなんてことにでもなったら、ぼくは何者かになれるかもしれない。みんながぼくに注目し、ぼくに憧れるんだ。ぼくの胸は高鳴っていた。頭の中で、クイーンの『ウィ・ウィル・ロック・ユー』が流れていた。ドンドンパッ、ドンドンパッ。

 しかしその一ヵ月後、まったく予期してなかったことが起こるのであった。


「おう、アツシ」

「ごめんな、呼び出して」

 いつもの喫茶店で、アツシと二人で会った。いつもはメンバー四人で訪れていたそのお店で、二人というのはなんとなく気恥ずかしい感じがした。

「話があるのかな?その前にオレからいい?」

 ぼくはジャケットのポケットからカセットテープを出して、テーブルに置いた。アツシが不思議そうにぼくを見るのだった。

「曲作ってみたんだよ。アツシに聴いてもらいたくてさ。もし気に入ってもらえたら、バンドでやりたいんだ」

「あぁ、そうなんだ・・・」

 アツシが戸惑った表情をしている。そして言い出しにくそうにぼくに切り出した。

「実はさ、新しいヴォーカルを入れることになった」

「・・・え?」

「今度のレコーディングはそいつで行く。シュウごめん」

 ぼくは事態が理解できず、言葉を失っていた。

「この前タクヤがさぁ、いいヴォーカルがいるって連れて来たんだよ。オレはシュウを推したんだけど、スタジオ入って歌を聴いたらさぁ・・・。悪いと思ってる」

「あぁ、そっかぁ。それはしょうがねぇよなぁ。しょうがねぇよ」

 ぼくの声は少し上ずっていたかもしれない。そしてぼくは詩織の顔を思い浮かべた。詩織になんて言おう。詩織はどんな顔をするんだろう。詩織の前ではかっこいい男でいたかった。

 あぁ、ねぇ誰か、トム・ウェイツ聴かせてくれよぉ。『土曜日の夜』とか・・・。


          ーつづくー


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