第15話「大迷宮・第二層」

 第八王国。早朝。

 ウィルトシャー平原特有の朝霧が深く街を包んでいた。

 この時間でも、表通りにはまだ昨夜の喧騒を引きずっている者たちがにぎやかに酒をかわしている。

 しかし、一本道を入った裏通りは、まるで別世界のように静まり返っていた。


「いてっ、押すなよ」


「しっ! 黙って歩け」


 たくさんの小柄な影が連なって道を歩き、転びかけた一人の声に鋭い叱責が飛ぶ。

 ドゥムノニア王立学園第三十六期生、総勢七十名の姿がそこにはあった。

 夜半に街に到着した生徒たちは、食事だけを終えると早々に就寝を命令され、夜も明ける前から宿を出る。

 まだ目的も場所も説明されていなかったが、ハルトムートは「昇降機へ向かっているな」と、頭の中で地図を反復した。

 やがて想定通り昇降装置の設置された広場の前で行進は止まる。

 ここは駆け出しの冒険者が数多く通う第一層から、世界でも数十人の選ばれた冒険者にしか探索を認められていない第六層まで、そのすべての階層を貫く、世界にたった一つの竪穴が存在していた。

 アーティファクトと魔法の力によって動く三機の昇降機が据えてあり、冒険者ギルドの迷宮管理官が、それぞれの冒険者を許可された階層へと送り届ける。

 冒険者の命に直結する重要な仕事――であるはずの――迷宮管理官は、教師から重そうな袋を一つ受け取ると、にやにやしながら生徒七十人を第二層へと送った。


「よし、魔物除けの護符の範囲内で装備の確認をしたらすぐに出発だ。もうここは大迷宮の中だ、気を抜くな」


 教師の指示で、みな自分の装備品の確認を行う。

 一つ角を曲がっただけで漆黒の闇に包まれている迷宮の先を不安げに見つめ、生徒たちは武器を構え、荷物を背負った。


――大迷宮。


 それは神代じんだいの古代文明が残した世界中に広がる遺跡である。

 ここで発見される遺品アーティファクトは、現代の技術では再現できない品々だ。

 第一層でも見つかる、ボタンを押すだけで魔力も使わずに小さな火をつけることのできる火つけ棒シュトライヒホルツから、第六層でしか見つからない、巨大なドラゴンを使役できる指輪まで。

 その価値は様々だが、世界中で商人が扱う富と繁栄の象徴。

 冒険者は強力なモンスターと戦い、未踏の迷宮からアーティファクトを見つけ出し、世界は回ってゆく。

 ここはそういう場所だった。


「前方! クラーヴェン・スピナーだ! 迎撃しろ!」


「ハルトムート隊、出ます!」


「フリードリヒ隊も出る!」


「もちろんエッポ隊も出るぞ! 行け! カミル!」


 教師の警告に合わせて、いくつかのパーティが前へ出る。

 巨大なハサミを持ち、薄紫色の甲殻に包まれた蜘蛛のようなモンスターが、威嚇の声を上げて出迎えた。

 ベルの突進。

 後ろに続いたマルティナの髪をかすめ、何本もの矢がモンスターへ飛ぶ。

 硬い甲殻にはじかれ、ほとんどの矢はダメージを与えることは出来なかったが、ギフトの力で高速回転した数本は、棘のある脚に突き立った。

 青白い血液が噴き出る。

 身体の勢いに大きく振りかぶった拳の速度を加え、ベルのブラスナックルがはしる。

 突き立った矢を押し込み、その傷を起点とした打撃は、甲殻のヒビを大きく広げた。


「マリー!」


「はい!」


 振り下ろされたモンスターのハサミを避け、ベルは地面を転がる。

 追いついたマルティナは指示を理解し、ベルの作ったヒビに沿って手を滑らせた。


連射ライエンフォイヤー!」


 ギフトの起動ワード。

 マルティナの手のひらから、連続して小さな爆発が発生する。

 傷の中、硬い甲殻に閉じ込められた爆発は、普段の何倍もの効果を発揮し、マルティナの胴回りよりも太いモンスターの脚を一本ちぎり飛ばした。

 蟹と蜘蛛の醜悪な複合体、クラーヴェン・スピナーがバランスを崩し、床に倒れる。

 地面を蹴り、弱点である首をたたき伏せようとしたベルの前を、刹那、黄金のきらめきが通り過ぎた。


蜂の一刺しビーネンシュテヒ


 落ち着いた声。ギフトの起動ワード。

 黄金色こがねいろに輝く剣先が、空気の壁を突き破る。

 一瞬の後、モンスターの首から上は、まるで最初から何もなかったかのように消し飛んだ。

 首が無くなったことを理解できていないのだろう、胴体だけが何度か立ち上がろうともがく。

 しかしそれもすぐに終わり、剣をおさめたカミルは、土煙を上げて倒れる胴体へと背を向けた。


「……この程度のモンスター、一撃で仕留めろ」


 ベルの横を通り抜けるカミルがささやく。

 現世代最強とうたわれる異能ギフトの力を初めて目の当たりにしたベルは、好敵手ライバルの強さに喜びを隠しきれず、わずかに笑った。


「よし、目的地まではもう少しだ。治療を受けるもの以外は続け」


 教師の一人が先導し、暗闇の中を進む。

 元第五層レベル冒険者である教師たちにすれば、第二層程度、庭を散歩するようなものなのだろう。

 しかし、普段は疲れなどほとんど感じない赤襟ギフテッドの生徒たちですら、恐ろしいモンスターの徘徊する第二層という環境下では、汗を流し、荷物を背負いなおした。

 身体能力が強化されていない白襟ギフトなし青襟きぞくの疲労はそれを上回る。


「よし、ここだ。各自休息をとれ」


 足を引きずり、荒い息をはきながら彼らがたどり着いた場所は、何の変哲もない行き止まりの小部屋だった。

 しかし、神経をとがらせていたベルを含む数名は気づいた。

 数メートルの高さに見える、小さな……本当に小さな穴から漏れ出る、モンスターの気配に。

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