第十七話 ウスカリーニェ

「ニーズベステニー、私は恐ろしいよ。まさかお前が、これほどの物を用意していようとは。完敗だ。こちらが考えていた作戦が無駄になってしまったな」


 勇猛な戦士が集うアストライア族の族長、ムドラストが呆れた声でそうつぶやく。きっと今、タイタンロブスターの魚眼で真上を見ているのだろう。


 周囲から動揺と歓喜の声が巻きあがる。

 皆一様に、真上を見上げていたのだ。そして全員が気付いた。俺が何を狙っていたのか。今までの魔法全てが、何のために機能していたのか。


「師匠なら知っているでしょう、ここがどういう場所か。そう、この真上は彼らが日中狩りをする場所だ。獰猛な彼らを興奮させるのはそう難しいことではないでしょう」


 海中を凄まじい速度で駆け抜けるおびただしい量の影。どうやらお腹ペコペコの状態で来てくれたらしい。既に理論上の最高速に至っている。


 彼らが出現した途端、全軍が地面を掘り返して隠れ始めた。これは理性による判断ではなく、タイタンロブスターの習性である。言わば反射反応のようなもの。

 それほどまでに、俺たちはあれを恐れているのだ。


 ウスカリーニェ。彼らは恐るべき海の捕食者、細身のサメである。

 アストライアの物語では光に例えられることが非常に多く、まさにその通り。彼らは銀色の鱗を怪しくしならせ、光のような速度で海中を駆ける。


 巨大イカペアーに並び立つタイタンロブスターの天敵であり、支配領域の外では一流の戦士であっても単独で勝利するのは難しい。奴らには罠以外の有効な対策が存在しないのだ。


 奴らはアストライアの技術でも解明できない奇怪な性質を持っている。

 なんと、水系魔法を放つたびに加速するのだ。


 俺も現代の知識を用いて研究に参加した。そして驚くべきことが分かった。


 地球と同じく、彼らの骨格は軟骨でできており、とてもあれほどの速度に耐えられるものではないのだ。

 よしんば掛かるGに耐えられたとしても、獲物に食らいついた瞬間に身体が勢いに負けてはじけ飛ぶはずである。


 こちらで計算し、理論上での最高速は導き出した。しかし実際の彼らは研究者の計算を遥かに上回る速度で海を駆ける。どころか、現時点で彼らの加速に上限は見つかっていない。


 では魔法に何か秘密があるのかと思って魂臓を摘出し、痕跡を調べつくした。しかしそれでも彼らが加速し続けられる秘密は見つからなかった。


 だが彼らはタイタンロブスターや巨大イカペアーのような知能は持ち合わせていない。魔法に関しては、生まれ持った物以外にないのだ。そしてこちらの罠を見破ることもできない。


 身体の全てが謎に包まれた生物ウスカリーニェ。彼らは間違いなく脅威であり、俺たちタイタンロブスターの天敵と言える。


 ただし、今この場では別だ。ウスカリーニェはこの海域を代表する捕食者。圧倒的速度と敵を恐れない魂で、どんな強敵をも打ち倒し食してしまう。


「なるほど、わざわざ燃費の悪い渦巻き魔法を指示したのはこのためか」


 ムドラストがぽつりと呟く。少し感心しているような声音だ。今日の知恵比べは俺の勝ちかな。


「ここはウスカリーニェが昼間にペアーと競争を繰り返す珍しい海域の真下。渦巻き魔法でメルビレイの血液を打ち上げ、奴らが臭いに釣られて降りてくるのを誘ったのだな」


「その通りです。彼らは非常に獰猛で、どんなに強い生物も脅威とは思わない。爆裂魔法を放っても必ずここまで来てくれると確信していました。そして恒温動物のメルビレイは我々よりも血液が温かく、ウスカリーニェの鼻を良く刺激する。こちらの思惑通り、彼らはメルビレイに夢中になっていますよ」


「本当に末恐ろしい男だ。アグがこのことを知ったら、きっと手放しでお前を称賛するだろうな。もちろん私もお前を称える。良くやってくれた、ニーズベステニー」


 やった。アストライア族随一の頭脳を持つムドラストに、戦略でここまで褒められることは中々ない。


 正直めちゃめちゃ嬉しい。だって彼女の指揮の方が俺の何倍も上手いのだから。ただ、水生生物に関する知識量のただ一点だけは、俺が勝っている。それがたまらなく嬉しく、そして誇らしいのだ。


 ウスカリーニェはさらに加速を続ける。使っている魔法自体はそう珍しくはなく、回転する水の槍を撃ちだす魔法だ。それはメルビレイには通用せず、簡単に打ち消されている。


 しかし問題はウスカリーニェの性質で、自らが撃ちだした槍を追い越すほど一気に加速しメルビレイに噛みつく。

 細身であっても奴らはサメであり、その咬合力はクジラの硬い外皮を簡単に食い破ってしまった。


 と、次の瞬間、俺の発達させた疑似聴覚が微細な音を感じ取った。

 きっとメルビレイのコミュニケーションだろう。彼らの言葉が理解できるようにと鍛えていたが、まだ何を言っているのかは分からない。しかし何か情報を共有したことは分かった。


 直後、俺たち魔法部隊が撃ちだしたよりも遥かに巨大な渦潮が発生する。群れが半分になったとしても彼らの魔法技術はやはり凄まじく、俺たちが扱える魔法の範疇を遥かに超えていた。


 なるほど初心者がやりがちなことだな。

 奴ら、俺たちタイタンロブスターのことは知っていたのに、ウスカリーニェのことは知らなかったらしい。


 思い知ると良いさ。彼らが知能を持たないのに、何故巨大イカペアーやタイタンロブスターと渡り合えているのか。


 渦巻き魔法でウスカリーニェを巻き込み、一点に集めて叩くつもりだったメルビレイは、次の瞬間度肝を抜かれることになる。


 なんと驚くべきことに、襲い掛かるウスカリーニェの群れは、そこに渦巻きなんて無いとでも言わんばかりに海流を突破したのだ。


 これにはさしものメルビレイも対応しきれなかった。

 タイタンロブスターだって足を取られ無抵抗のまま蹂躙されるほどの海流の中、ウスカリーニェはそれを易々と突破したのだ。当然だろう。


 これが、彼らがこの海域の覇者でいられる所以。

 彼らには水系魔法、特に水流操作系は全くと言っていいほど通用しないのだ。


 メルビレイには巨大イカペアーのような数に物を言わせた包囲網もなければ、俺たちのように土系魔法と炎系魔法の組み合わせで罠を設置することもできない。


 だからメルビレイはウスカリーニェには敵わないのだ。

 なんせ、彼らは水系魔法以外使えないのだから。


 渦潮の中から続々と飛び出していくウスカリーニェ。彼らの目的はただ一つ、食事である。

 実に単純だろう。彼らに俺たちの戦争など関係ない。だからこそ、巻き込むのは簡単なのだ。


 しかしウスカリーニェだけに任せている訳にはいかない。

 体格差がありすぎる。ウスカリーニェは細身のサメであり、メルビレイの十分の一程度しかないのだ。


 あれではメルビレイに致命傷を与えるのに時間がかかるし、彼らが満腹になってしまえば戦闘は雑になる。


 まだ、まだ待つんだ。部隊を動かすならもう少し待たなければならない。ムドラストも分かっているだろう。彼女は俺よりもウスカリーニェのことをよく理解している。


「来たぞ、圧力砲だ。全員衝撃に備えろ。近接部隊は突撃の準備だ!」


 直後、全身を激しい振動が襲う。節足がはじけ飛ぶことはなかったが、ここまで距離が離れていても確かに感じる衝撃。きっと中心地はもっとすごいことになっているだろう。


 ウスカリーニェを嫌がったメルビレイが、一斉に圧力砲を放ったのだ。きっと何かの合図があったはずだが、俺の耳には入らなかった。


 自らが生み出した渦潮を打ち消し、ウスカリーニェの群れも粉砕して余りある一撃。超質量を持つ彼らにふさわしい奥義だ。


 まさかウスカリーニェにこんな力技が通用するとは。単独の圧力砲なら彼らの速度で掠りもしないが、あれほど大量の圧力砲を一息に放たれては、最速のサメと言えど避けきれなかったらしい。


 俺の予想では圧力砲は無駄うちに終わるはずだったが、まあこれでも良い。最終的にウスカリーニェは罠に嵌めて処理するつもりだった。手間が省けたと思えばなんてことはないだろう。


「うむ、良い攻撃だ。だが私の軍は、その程度では怯まない。近接部隊、突撃ー!」


 勇猛果敢な近接部隊が地面から突如現れ出でた。先頭にはもちろん大英雄アグロムニーの率いる精鋭部隊がいる。


 彼らは圧力砲を全く恐れることなく、メルビレイの頭部に張り付き鋏の連撃を加え始めた。中には俺が開発したひっつき爆弾を食らわせ、ヒットアンドアウェイ戦法で戦っている者もいる。


 彼らが圧力砲を恐れないのにはちゃんとした理由があるのだ。実は、ウチョニーに頼んでいたことがある。


 それは圧力砲のクールタイム計測。あれは魔法ではなく生態的な力故、クールタイムなんて存在しない可能性もあった。しかし以前に戦ったメルビレイが圧力砲を連射してこなかったことから、数秒程度時間を置く必要があるのではないのかと考えた。


 ウチョニーは身体が大きく頑丈な外骨格を持っている。彼女なら圧力砲を受けても無事でいられる確信があった。むしろ鋭利な水の槍の方が危険であった。


 しかし彼女の強力のおかげで近接部隊は戦えている。

 12秒、それが限界だ。たった12秒のクールタイムを置いて、彼らは圧力砲を放つことができるのだ。


 ただし、もしも奴らが圧力砲を数回ずつに分けて使用していたら、この作戦は使えなかった。


 ウスカリーニェは彼らの一斉砲撃を引き出すために呼び込んだのだ。圧力砲を控えたままでは、近接部隊があまりにリスキーすぎる。


 俺とムドラストの思考が完全にリンクしていたらしい。知識量と経験が合わされば、奴らなど恐れるに足りん。

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