銃と魔法と臆病な賞金首4

雪方麻耶

プロローグ

 川が近くなったせいか、先程から通り抜けていく風に少しだけ湿り気を感じる。そして、空気に含まれ漂う匂いまで変化した気がした。

 不思議なもので、海や川など水の近くになると、なんとなしに雰囲気が切り替わる。人々はその異なる空気を鋭敏に感じ取り、安らぎを得る。水は生命に直結している存在だからだろうか。

 船体が視野に入った時、光来は思わず感嘆の声を上げた。


「うわっ、これ? これに乗れるの?」


 次の目的地であるエグズバウトに行くため、光来たち一行は、川に面したサイレイクという街まで来ていた。


「川を上るだけだって聞いてたから、もっと小型のものを想像してた」

「川といっても、この国有数の大河だからね。このくらいの規模でないと」


 興奮する光来の背後で、リムが説明した。


「大河?」


 島国で、しかも東京で育った光来には、大河など縁がないものだった。だから、大きな川の風景を想像しても、江戸川や荒川以上のものは湧かない。 

 さらに近づくにつれ、大きな船を浮かせる川の全容が目に入ってきた。その光景に、光来は自分の目を疑った。


「……うそ」


 向こう岸が霞んでおり、空と水面が線一本で隔てられているように見える。最初に川だと教えてもらっていなければ、海と勘違いしてしまうほどの広さだ。真っ先に思い浮かんだのは、臨海公園から眺める東京湾の景色だった。


「これ、川じゃなくて、河口っていうか湾だろ?」

「いいえ。川よ。海はずっと先」

「はー……。たまげた」


 タバサの一件があり、少し塞ぎ込んでいた光来だったが、初めて見る規模の眺めに元気が引き出された。この世界に飛ばされて以来、不思議で不慣れな経験の連続で、すっかり心が麻痺してしまっていると思っていた。しかし、大自然の力は、そんな変化など些末なことだと言わんばかりの圧倒的な力を見せつけた。否も応もなく、精神が高ぶってくる。


「早く行こうぜ」 


 思わず駆けだした光来の後ろでは、ズィービッシュが呆れていた。


「なあ……。あいつの出身地のニホンって村は、そんなに辺境にあるのか?」

「ワタシが知るわけないでしょ」


 シオンのそっけない返事に、ズィービッシュは肩をすくめた。


「それもそうか」


 光来が異世界からの来訪者であることは、ズィービッシュにはまだ教えていない。一つ間違えれば、イってしまっている人間だと思われ、伝えるにはそれなりのタイミングを要する。リムとシオンには既に伝えている。リムは信じると言ってくれているが、シオンはまだ半信半疑といったところだ。

 光来たち一行は、蒸気船に乗船すべく波止場を目指していた。



 波止場とは不思議な場所だ。

 ラバウズ・リズンは、常日頃からそう思っていた。

 初めて蒸気船を見たとき、一瞬で虜になった。まるで出会った瞬間に結ばれることが分かる、運命の人と出会ったかのような衝撃が全身を貫いた。初めて見たのは、まだ実用には至っていない実験的なものであった。しかしラバウズは、これは将来、帆船に変わる移動手段になるに違いないと予感した。

 予感は的中し、実用化されると瞬く間に蒸気船があらゆる街まで繋がるようになった。その劇的な変化は、一晩で蜘蛛が巣を張るのを眺めている気分だった。蒸気船に懸ける情熱は夢へと昇華した。ラバウズは、自分は絶対にこの新しい乗り物と関わる仕事に就こうと決めた。

 必死に勉強もしたが残念ながら努力は実らず、操舵手の資格を取ることはできなかった。だが、こうして業務員として波止場に勤務することで、一応、夢は叶ったと言える。

 サイレイクの波止場に就任してから、ほぼ毎日のように川風を受けながら蒸気船の行き来を見ている。そして、波止場に訪れる人々もだ。

 ラバウズが波止場を不思議な場所だと思うのは、この場所が様々な人間模様が演じられる舞台だからだ。出逢いがあり、別れがあり、出発があり、帰着がある。人生のドラマが濃縮されている舞台であり、演じる人々は全員が主役だ。己の人生という長くも短くもある芝居を演じ、真実の喜怒哀楽を表現する。

 ラバウズは、勤務地こそ何回か変わっているが、人生の半分を波止場の業務員として勤めている。それだけ長く一つの仕事に携わっていると、知らず知らずに身に付く特技ともいうべきものが一つや二つはあるものだ。職業病と言ってもいい。ラバウズの場合、人々の機微を感じ取る観察眼がそれだった。

 目の前を横切る者を見ただけで、どんな目的でこの波止場を訪れたのかなんとなく分かる。表面に出さないように意識していても、人生の喜劇悲劇が滲み出てしまうものだ。

 さっきの若者は、夢を抱いての希望にあふれていたし、今通り過ぎた中年は、人生に疲れ切っていた。

 本当に、人生様々だ。そんなことを考えていると、一人の女が乗船券を差し出してきた。あと二十分程で出航する蒸気船のものだった。


「空いてるかしら?」


 女は、主語もなしに尋ねてきた。

 乗船券を差し出しながらの質問なので、ラバウズはこの女が乗ろうとしている蒸気船の混み具合を訊いていると判断した。


「それほど混んではいません。ゆったり座りながら、旅を楽しめます」


 ラバウズは、愛想よく答えた。


「そう。なら、それほど迷惑は掛からないわね」

「?」


 ラバウズは、女の言った意味が分からなかったが、愛想笑いは崩さなかった。これから旅に出る人を仏頂面で送り出しては、業務員失格だ。

 それにしても……。

 ラバウズは、いつもの癖で改めて女を観察した。もちろん、礼に失さぬよう、飽くまでさり気なくだ。涼し気な眼。すっと滑らかな鼻。皮肉的な笑みを浮かべる唇。一言で評するなら、とびきりの美人だった。しかし、そこはかとなく漂う雰囲気は、人生を楽しんでいるようではなく、薄幸そうな美人と言えた。まるで、ガラス細工の花びらだ。


「なにか?」


 女の一言に、ラバウズは心臓が飛び跳ねた。決して悟られないよう気をつけたし、これまで視線で客を不快にさせたことなどなかった。顔が火照るのを自覚しながら、なんとかごまかそうとした。


「あ、あの、お一人でご旅行ですか?」

「なんで、あんたにそんなこと答えなきゃいけないのよ」


 ラバウズの質問に、女はいきなり不機嫌になった。


「いえ……、女性の一人旅は、案外危険なものですから……」

「嘘言わないで。人のことをジロジロ見ていたくせに」


 ラバウズは、顔が熱いのを通り越して汗が噴き出してきた。笑顔が引きつったものになるのを自覚し、それが余計に焦りを誘った。

 女はラバウズの困り果てた顔を見て、ふっと目を細めた。


「いいのよ。視線を集めるのは、いい女の条件ですもの」


 一転して上機嫌に振舞い、乗船券をひらひらさせたりする。どうにも、複雑な性格の持ち主のようだった。


「人に見られるってのはいいことよ。自分が存在している証だもの」

「はあ……」

「人間は人の間にいて、初めて人間なの。一生孤独で誰にも認められなかったら、それは存在しないのと一緒じゃない?」

「お客様、そろそろ出航時刻が迫っておりますが……」

「分かってるわよ。うるさいわね」


 女は、再び乱暴な台詞を吐き、待合所に向かった。

 去りゆく女の後姿を眺め、ラバウズはまるで鉛を飲み込んだ気分になった。あれは薄幸なんかじゃない。不幸に魅入られている女だ。あの女の行く先々に不幸が待ち構えている。例えば、彼女が乗ったために、蒸気船が沈没事故を起こすとか……。

 ラバウズは、脳裏を過ぎった不吉な考えに慌てて頭を振った。

 馬鹿な。何を考えているんだ。

 なんの脈絡もない考えを笑い飛ばそうとしたが、ラバウズは、長年客に振舞ってきた笑顔を上手く引き出せなった。

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