05:いざ廃校へ


「……ここで、合ってんだよな……?」


 ずり落ちそうなリュックを背負い直しながら、俺は目の前の建物を見上げる。

 スマホのGPSで位置を確認してみるが、目的の場所はここで間違いないようだった。


 俺の前にそびえ立っているのは、いわゆる廃校だ。

 廃校といえば、窓は割れて草木は伸び放題、今にも崩れ落ちそうで汚らしいイメージを持っていた。

 けれど、この校舎は想像していたよりもずっと綺麗に管理されている。


「とりあえず、動画用に少し周りも撮っとくか。必要なければ消したらいいし、何かの繋ぎに使えるかもしんないしな」


 配信のお陰ですっかり独り言が通常運転となっている俺は、施錠されている正門の鍵を開ける。


 廃校とはいえ、勝手に立ち入れば不法侵入になってしまう。なので、事前に役所に許可を貰って鍵を借りてきたのだ。

 動画にもするわけなので、その辺りはきっちりしなければならない。

 配信をする上で炎上商法という手段もあるが、俺はできる限り正攻法で人気を得ていきたいので、炎上は避けたい人間だ。


 立ち入り希望者は案外多いものなのか、予備の鍵はもう無いらしい。そのため、絶対に失くすことはできないものだ。


 敷地の中に立ち入った俺は、スマホのカメラを起動して動画モードで撮影を開始する。

 都内から高速バスで大体一時間半ほど。撮影は夜がいいだろうということで、今は少し日が傾き始めた頃だ。

 スマホで夜の映像を綺麗に撮影できるのか不安はあるが、まあどうにかなるだろう。最近のスマホの性能を甘く見てはいけない。


「ここが本日の舞台となる廃校でーす。告知の通り、今日はここでとある都市伝説を試してみようと思ってまーす。実際見ると結構雰囲気あるよ~。伝わるかな?」


 喋りながら校舎全体を映してみるが、いつものように返ってくるコメントはない。

 普段もほぼ独り言のはずなのだが、やはり文字であっても反応があるかどうかでモチベーションは変わってくるものなのか。


「中に入りまーす……と言いたいトコなんだけど、まだ俺だけなんだよね。他の人たちの到着を待つんで、お楽しみはもう少し後……」


 その時、画面越しに黒い人影を見た気がして、俺はスマホを下ろして肉眼でそれを確認しようとする。

 だが、三階の窓の辺りを移動していたように見えた影は、どこにも見つけられない。


「? 気のせい……か」


 撮影のために他の訪問者と日程がぶつからないよう調整しているので、人がいるはずがない。

 見間違いだと結論付けた俺は、録画停止のボタンをタップする。


 ただ、今日この場にやってくるのは俺だけではない。都市伝説の検証をするにあたって、配信者仲間たちにも声をかけているのだ。

 まだまだ寒さも抜けきらない季節である上に、急な呼びかけに応じてくれたメンバーには頭が上がらない。


 本来ならば生配信が一番盛り上がるのだろうが、生憎とオフでの配信は初めてのことだ。

 うっかりマスクが外れないとも限らないし、誰かの映ってはいけないワンシーンが映り込まないとも限らない。

 それ以外にも、何かトラブルがあってもいいように、今回は撮影を終えた後に編集をした動画を投稿する形を取ることにした。


 慣れないことをするのだから、安全策としてこのくらいが丁度良いだろう。

 この企画が成功したらまた、改めて生放送でオフ撮影をしてみたらいい。何事も経験を積んでおくことは大切だ。


「……けど、緊張すんな。俺ちゃんとやれんのか……?」


 昇降口前の柱に背を預けながら、俺は他のメンバーがやってくるであろう正門の方を見つめる。

 配信上の付き合いは長くとも、オフで顔を合わせるのは実は全員が初めてのことだ。


 ましてや俺は、配信仲間の前でも『ユージ』というキャラクターを作っている。

 この撮影が終わるまで、間違っても俺が陰キャだとバレるわけにはいかない。視聴者を得るためとはいえ、少しだけ不安や憂鬱な気持ちもあった。


「あの、ユージさん……?」


「えっ!? あっ……!」


 少しばかり気を抜いていた時に声を掛けられて、思わず上擦った声が出てしまう。

 慌ててそちらに向き直ると、そこにいたのは一人の女性だった。


「もしかして……カルアちゃん?」


 もしかしてと言いながら、俺は確信を持っていた。

 画面越しに目にしているとはいえ、彼女の姿を見間違えるはずがない。

 真っ白なニットに膝上丈のスカート。長い黒髪が艶めいていて、防寒対策のための厚手のコートでもこもことしているのが可愛らしい。


(うわ……うわ……! 画面で見るよりスゲー可愛いんですけど! 顔ちっさ! 目でっか!)


「良かった。えっと、初めまして……っていうのも、何だかおかしいですね。この間はコラボありがとうございました。それから、今日はお誘いありがとうございます」


「いや、こちらこそありがとう。カルアちゃん怖いの苦手だろうし、来てもらえるとは思わなかったよ」


「苦手ですけど、面白そうだなって思ったので。こういうの、一回やってみたかったんですよね。一人じゃ絶対やらないですし、せっかく機会をもらえたんだからって、思いきって来ちゃいました」


 面白そうとはいっても、苦手なものは苦手だろう。

 ましてやこんな場所で初顔合わせだなんて、抵抗があったとしても無理はないというのに。

 配信上だけでなく、彼女はやはり前向きな性格をしている女性なのだろう。


「ダメそうだったらいつでも言って。動画は撮りたいけど、無理してまでやるものでもないし。編集すればどうとでもなるから」


「ありがとうございます。ユージさん、優しいんですね」


「女の子怖がらせて喜ぶ趣味は無いだけだよ。それに、せっかく参加してくれたんだから、楽しんで帰ってもらいたいしさ」


 実際、怖がるカルアちゃんはかなり可愛いのだが。

 彼女に嫌われたくはないので、俺は紳士的な振る舞いを見せることにした。


 これまでは配信上での付き合いだったが、こうして直接顔を合わせることができたのだ。

 あわよくば、彼女と付き合うことができたら……というよこしまな気持ちも、無いといえば嘘になる。

 というか、健全な独り身男子だったら誰だってそう考えるものではないのだろうか?


「そういえば、早めに着いちゃいましたけどご迷惑じゃなかったですか?」


「まさか! びっくりはしたけど、話し相手ができて嬉しいよ。こんな場所じゃ、動画用に一人で喋るくらいしかなかったから」


「そうですか? なら良かったです」


 本来なら、待ち合わせの時間まではまだ小一時間ほどある。

 俺は初のオフ企画ということもあって、トラブルがあってもいいように早めに到着していたのだ。

 だからこそ、こんなに早くカルアちゃんがやってきてくれたことは嬉しい誤算である。


(早起きは三文の徳……とはちょっと違うけど、カルアちゃんと二人きりになれるとかラッキーすぎる)


 それから俺たちは、先日のコラボについてなどの他愛もない話をしながら、残りのメンバーを待つ時間を過ごしていた。

 すっかり打ち解けて一時間ほどが経過した頃、正門の方に人影が見えてくる。

 一人ではなく数人が連れ立っているので、バスの乗降所で合流したのかもしれない。


「あ、来たみたいだな」


「そうですね。楽しくて、時間があっという間でした」


 お世辞なのだろうが、そんな風に言われると嬉しくて舞い上がってしまいそうになる。マスクをしていて良かった。


(……いよいよ始まるんだな)


 もう一度背後の校舎を見上げた俺は、配信者として新たな一歩を踏み出すことに、少しだけ高揚していた。

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