第8話 境遇

「……(フルフル)」


 女の人は、悲しそうな表情でかぶりを振った。


「だ、だったら、警察を呼んだほうが絶対にいいですよ? 何かあってからじゃ……」

「…………………………」


 女の人は、唇を噛んでうつむいてしまった。

 一体、どうしてこの人はそこまで警察を避けるんだろう……。


 まさか犯罪者・・・、ってことはないよなあ……。

 だけど、さっきこの人が叫んだ言葉。


『戻ったからってどうだというんだよ! どうせどこに逃げたって、居場所を見つけ出して、追いかけてきて、追い詰めて、ありとあらゆる嫌がらせをして、私の居場所を奪っていくくせに!』

『どうせあなただって、私なんていなく・・・なればいい・・・・・って思ってるくせに! 私なんて……私なんてえ……っ!』


 つまり……この女の人は誰かから嫌がらせを受けているってこと、それも、かなり粘着質な連中に。

 それだけじゃない。まるで、この僕までもが女の人を忌避きひしているかのような、そんなふうにうがったとらえ方をしていた。


 ……よし。


「……お尋ねしますけど、僕とあなたは、その……面識はない、ですよね……?」

「? は、はい……」

「で、でしたら、さっきはどうして僕があなたがいなく・・・なればいい・・・・・って、そう思ってると考えたんですか?」

「っ!?」


 あ……どうやら、余計なことを聞いたっぽいなあ……。


「そ、その! 別に答えなくてもいいですから!」


 しまったと思った僕は、慌ててそう告げた。

 余計なことに首を突っ込みたくないのは間違いないし、それに……女の人は、また泣きそうな表情になってしまったから……。


 なのに。


「……あなたも、私のことを知ったらそう思いますよ」


 ぽつり、と呟き、女の人は目を伏せてしまった。

 震える手で、マグカップを握りしめながら。


 僕は……。


「……そんなこと、ない」


 何故か、そんなことを呟いてしまった。


 そもそも、僕は誰か・・を忌避するんじゃなくて、ほぼ全ての人を忌避しているんだから。

 だから、今さら女の人のことを聞いたからといって、これ以上変わるなんてことはあり得ないんだから。


「嘘です」


 でも、女の人はキッ、と僕を睨み、有無を言わせないといった声で否定した。


 そして。


「私の名前を聞いても、そんなことが言えますか?」

「あなたの名前、ですか……?」


 女の人の言っている意味が分からず、僕は思わず聞き返す。

 名前に呪いがかかってるとでも言うつもりだろうか?


 女の人はギュ、と拳を握り、意を決してすう、と息を吸うと。


「……私の名前は、“柿崎かきざき初穂はつほ”」


 そう、僕に告げた。


「え、ええと……柿崎さん、と呼べばいいですか……?」

「……名前なんて、好きに呼んでくれて構いません」


 とりあえず、女の人……柿崎さんの名前を聞いてもピンとこなかったので、そう確認したんだけど、どうやらそれが気に入らなかったようだ。


「それよりも、“柿崎”という名字に聞き覚えはないですか?」

「名字? “柿崎”ねえ……」

「……ネットで検索したら分かりますよ」


 首を捻る僕に見かねた柿崎さんは、そう言って促す。

 とりあえず言われるまま、僕はスマホを取り出して“柿崎”という名字を検索してみると…………………………あれ?


 出てくるのは、二年前のニュースの記事ばかりだった。

 それは……『柿崎ファーム』という企業による、巨額の詐欺事件のことについて。


「……ひょっとして」

「ふふ……そうですよ。その詐欺事件を起こした『柿崎ファーム』の社長が、私の父です」


 柿崎さんは、口の端を吊り上げた。


「ホラ、幻滅しましたよね? 私は詐欺師の娘なんです。なのに、なんの責任も取らないで、騙した人達にお金も返さないで、こうやってのうのうと暮らしてるんですよ」

「…………………………」


 肩を竦めながら自虐的にわらう柿崎さん。

 だけど……その言葉には語弊がある。


「……じゃあ、さっきの不審者はそんな柿崎さんを追いかけ回している連中、ってことなんですか?」

「ふふ……ええ。アイツ等は、私の居場所を見つけてはネットにさらして、嫌がらせをし続けるんですよ。誹謗中傷だらけの手紙を投函したり、酷い時はドアなんかに落書きしたり」

「…………………………」

「それだけじゃありませんよ? 勤め先まで調べて、私が“詐欺師の娘”だってことを匿名でバラして、そこにいられなくするなんてことも当たり前ですね」


 ああ……確か犯罪者の家族っていうのは、いつまでもそうやって付きまとわれて、まるで人権すらないかのような扱いを受けるって、何かで見た記憶が……。


「警察を呼ばないのは?」

「ふふ……以前にも同じ目に遭った時に警察を呼んだことがあったんですけど、その時、警察は何て言ったと思います? 『犯罪者の家族だから、少々のことは仕方ない』って言ったんですよ」


 なんだよ、それ……守るべき警察が、なんで一緒になって誹謗中傷に加担してるんだよ……。


「それに、警察沙汰なんかになったりしたら、私はまたここから出て行かないといけなくなります、し……」


 そうか……アパートの大家だって、面倒事は避けたい、よなあ……。


「ふふ……それもこの場所がバレてしまった以上、時間の問題ですけどね……」


 そう言って、柿崎さんはドアのほうへ視線をやって口の端を持ち上げた。

 でも、その紺碧の瞳は涙をたたえていて……。


 そして。


「もう……疲れた、なあ……」


 薄く笑いながら、柿崎さんが静かにそう告げた瞬間、頬に一滴ひとしずくの涙がつたった。


 あはは……ふたを開けてみたら、本当にどうしようもないくらい面倒事だったなあ……っ!


 ――ドンッッッ!


 僕は思わず、拳で壁を思いきり殴りつけた。

 何だよ……これじゃ柿崎さんのほうが、僕なんかよりもよっぽど理不尽な目に遭ってるじゃないか。


 僕なんかよりも、よっぽどつらい思いをしてるじゃないか。


「……私、部屋に戻りますね」


 そう言って、柿崎さんがそそくさと立ち上がった。多分、僕が他の連中と同じように、柿崎さんに嫌悪感を抱いたんだと思ったんだろう。

 あーもう……何やってんだよ、僕は……っ!


「す、すいません……壁を叩いて怒ったのは、決して柿崎さんに対してじゃなくて、その……追いかけ回してる連中や警察に対してで……」

「っ!?」


 僕は深々と頭を下げて謝ると、柿崎さんが息を飲む音が聞こえた。


「だ、だけど! わ、私は“犯罪者の娘”で、同じ空気だって吸いたくないですよね……!」

「そんなことないですけど……」

「で、でも、あなたは私を避ける態度を取ってますし……」

「はは……実は僕、人が……特に女性が苦手・・・・・なんです……」


 そう言って、僕は苦笑した。


「とにかく……僕が分かったことは、罪を犯したのは『柿崎ファーム』の社長だった柿崎さんのお父さんで、柿崎さん自身も被害者・・・だってことです」

「あ……」


 そう話した瞬間、柿崎さんの瞳からぽろぽろと涙があふれ出す。


「わ、私は、詐欺をしたお父さんの娘、で、不幸になった人に償わないといけなくて……!」

「どうしてですか? こう言ってはなんですが、悪いのは柿崎さんのお父さんじゃないですか。もちろん、償うべきなのも」

「でも! 私は被害者のためにも不幸じゃなきゃいけないんだ! みんな・・・がそう言うんだよ! みんなが!」

みんな・・・なんて知りませんよ。少なくとも僕は、あなたが不幸じゃないといけないだなんて、これっぽっちも思いません」

「私は……私はあ……うああああああああ……っ!」


 そして……柿崎さんは両手で顔を覆い、伏せながら号泣した。

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