13.9 四月一日(5)シャルル七世の野望

 リッシュモンの気が変わる前に、本題に入ろう。


「先日、ブルボン公が亡くなってクレルモン伯が後を継いだ」

「聞き及んでおります」

「アジャンクールで捕らわれてから19年、一度も帰国が叶わないまま……。これで何人目だ?」


 今にして思えば、5年程度で解放されたリッシュモンはだいぶ運が良かった。

 彼らは全員、リッシュモンの戦友で同じ境遇の虜囚仲間だった。


 考えようによっては、いち早く自由を得たリッシュモンがイングランド・ブルゴーニュの同盟を離れて、シャルル七世を擁するフランス側についたせいで、残りの虜囚が解放されない状況を生み出したともいえる。

 宮廷でリッシュモンへ向けられる敵意は、優れた資質や性格、身分や血筋への対抗心だけではなく、アジャンクール後の境遇にまつわる妬みもあるのかもしれない。


『なぜ、おまえだけが帰ってきた? 先に帰国したおまえが大人しくしていなかったせいで、◯◯家の父が……兄弟が……帰国する道が断たれたのだ!』


 理不尽な言いがかりだが、当事者と家族の心情は理解できる。


 ブルボン公の死で、シャルル・ドルレアンことオルレアン公はますます焦りを感じているだろう。

 特にここ数年、妻子を亡くしてから手段を選ばなくなった。本来なら実父の仇であるはずのブルゴーニュ公や、アジャンクールの元凶であるイングランド宮廷にまで秘密裏に働きかけている。対フランス戦で旗色の悪いイングランドは、オルレアン公の交渉に耳を傾けるだろう。


 オルレアン公、ブルゴーニュ公、イングランドの三者にとって、もっとも都合のいい落とし所は……、


 シャルル七世の廃嫡を認めて、オルレアン公が「イングランドに従属するフランス王」として即位する——。


 やもめとなったオルレアン公に、イングランド王族系の妻と結婚させれば外戚として宮廷を支配できるし、息子が生まれれば次代のフランス王だ。かつて、ブルゴーニュ無怖公が、私の兄と娘(今はリッシュモンの妻だが)を結婚させて宮廷を支配しようとした構図そのものだ。


 以前の私だったら、平和のために身を引いて退位しても構わなかった。

 イングランドはともかく、ブルゴーニュ公とオルレアン公に引け目を感じていたから。自分は王にふさわしくない、向いていないと思っていたから。


「だが、今は違う」


 自然と手に力がこもり、つかんだ服の裾を引き寄せる形になる。


「私はフランス王として生涯を全うする。絶対にだ……!」


 誰にも王位を譲らない。誰にも王冠を渡さない。

 穏やかといえば聞こえがいいが、臆病で流されやすい私がこれほど強く決意したのは、他ならぬジャンヌに報いるためだ。あの子が信じたが真実だと証明するために、私は名実ともにフランス王にならなければいけない。


「誰にも邪魔はさせない。誰も私を止められない」


 だが、現実的に、シャルル七世の王位をおびやかす者は多い。

 もし、オルレアン公がイングランドとブルゴーニュ公になびくとしたら、異母弟のデュノワ伯、娘婿のアランソン公、似た境遇のブルボン公は向こうにつくだろう。


 家族同然のアンジュー家もあやうい。

 現在のアンジュー公であるルネ・ダンジューが囚われの身である以上、重大な弱みを握られているに等しい。


 ブルターニュ公は、英仏のはざまで昔ながらの二枚舌外交を繰り広げている。

 義母ヨランド・ダラゴンの口添えにより、公弟のリッシュモンを大元帥に叙したおかげで、かろうじて繋ぎ止めているにすぎない。もし、アンジュー家が心変わりすれば、必然的にブルターニュ公も私から離れる。


 オルレアン包囲戦以来、フランスが有利に戦いを進めているのは間違いない。

 だが、家臣たちが一斉に反転して、私が孤立し、失脚する可能性は大いにあり得た。


「そこで、貴公だよ」

「何を期待しておられるのです? 忠誠心ならすでに十分捧げています」


 知っている。だが、この先もっと必要になる。

 私の野望を叶えるためには、絶対に裏切らない強力な味方が必要だ。


「ありがたいことに、私は臣下に恵まれている。デュノワを筆頭に、忠誠心を捧げる家臣は何人もいる。だが、アルテュール・ド・リッシュモンしか持っていない感情があるだろう?」


 服の裾から手を離さないまま、もう片方の空いた手でリッシュモンの胸をとんと叩いた。扉をノックするように。


「ここに秘めた想い、執着心……。それが欲しい」


 最後に会ってから数年の間に心変わりしている可能性もあったが、先ほど探りを入れた感触は悪くなかった。


「貴公を、忠誠心よりももっと強い絆で繋ぎ止めたいんだ」


 堅物かたぶつ大元帥の鉄面皮を引き剥がし、隠している中身を解き放つ。

 はたして、は私という「餌」に食いついてくれるだろうか。


「何も、誰も信じられないが……、あの子に報いるためなら、利用できるものは何でも利用する」


 リッシュモンの胸ぐらをつかんで引き寄せた。


「貴公が危険だって? 私の名誉を傷つけ、貞節をけがす……?」


 そんなものは私の野望と大義に比べたら、ささいなことだ。


「私をみくびるなよ、リッシュモン……」


 互いの吐息を感じるほど間近に迫りながら、王への忠誠心では収まりきらない大きな好意とはち切れそうな欲望を持つというこの悪趣味な大元帥を挑発——もとい、決意を表明した。


「私のすべてを捧げよう。貴公のすべてを受け入れよう。その代わり、これから何が起きようと唯一無二の完全な味方になるんだ」


 私の野望を叶えるために、王ではなく好意と欲望は大いに利用価値があった。




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