8.9 ジャンヌとリッシュモン大元帥(2)

 フランス大元帥でありながら、リッシュモンは本来なら配下に収めているはずのフランス軍にわざわざ「共闘」を申し入れた。これほど下手に出たというのに、部外者のように扱われて長時間待たされた。


 フランス軍の構成は、オルレアン包囲戦から引き継いだ形だった。

 オルレアン公(シャルル・ドルレアン)の代理として、異母弟のデュノワが中心的な指揮系統を担っていたが。


「結局、は包囲戦で勝ち切れなかった。私とジャンヌの援軍がなければ勝利はあり得なかった。そうでしょう?」


 デュノワの「私生児」という出自は侮られやすい。

 代わりに、オルレアン公の娘婿アランソン公が発言権を強めていた。

 リッシュモンを受け入れるかどうかでも、この二人は意見が分かれた。

 ジャンヌの同意がなければ、リッシュモンの共闘申し入れは拒絶されただろう。


「よく来てくれました。王太子さまの味方なら、いつでも誰でも歓迎しますよ」


 ようやく陣地に迎え入れられたものの、アランソン公はまともに挨拶するつもりはないようで、ジャンヌが素朴な身振りと言葉づかいで歓迎の意を示した。


「お嬢さんがあのジャンヌ・ラ・ピュセルか」

「わあ、あたしのこと知ってるんですか!」


 以前、思いがけずオルレアンで出会ったことからもわかるが、リッシュモンはフランス軍の動向から離れているように見えて、意外と情報収集に余念がない。

 アランソン公をはじめ顔見知りの幹部たちには見向きもしないで、初対面のジャンヌに対してずいぶんひどいことを——ある意味、とてもリッシュモンらしいのだが——言い放った。


「お嬢さんは神から遣わされたそうだが、それが真実かどうか私にはわからない。もし真実だとしても、私がお嬢さんを畏怖することはないだろう。神は私の心が正しく、清廉潔白であることをご存知だからだ」


 さらに、淡々と冷徹な言葉を続けた。


「もしお嬢さんが悪魔から遣わされたなら、さらに恐れない。私は邪悪な罪人を……、特に陛下に仇なす逆臣たちを何人も処刑してきた実績がある」


 王をかどわかしているなら処刑も辞さない、と警告したのだ。

 もしかしたら、リッシュモンが突然現れて共闘を申し入れたのは、実際にジャンヌと対面して正体を見極めるための口実だったのかもしれない。


 アランソン公は、リッシュモンの参戦をしぶしぶ認めたが、


「それくらいにしましょう」


 敬愛するジャンヌが脅されているのを見て、黙っていられなくなった。

 愛する女性の名誉を守るために戦うのは貴公子のステータスだ。


「あとは私が話すから、ジャンヌは下がってて」


 もともと、アランソン公はどんな女性にも親切な優男だったが、ジャンヌには格別優しかった。リッシュモンの暴言を見過ごすことはできない。


「大元帥閣下は経験豊かな方ですから、当然ご存知ですよね? 入隊したばかりの新参者は、徹夜で見張りをするのが慣わしです。やっていただきましょう」


 その場に居合わせた兵たちは、国王に次ぐ権威を持つ大元帥を新兵扱いすることに驚いた。アランソン公はわざと嫌がらせをして、リッシュモンが怒って出ていくように仕向けたかったのだろうか。ジャンヌは軍の慣例にうといため、この件に口を挟むことはなかった。


「ブルターニュからロワール川をさかのぼる強行軍で、さぞ疲れているでしょうが……。例外は認めません」


「承知した」


 リッシュモンは慣例を受け入れて、一晩中、寝ずの番をすることになった。

 副官グリュエルとブルターニュ兵は、大元帥を侮辱するような命令を受けて不満を抱いただろうが、リッシュモンに従うほかなかった。


 この夜、リッシュモンがアランソン公の嫌がらせを黙って受け入れたおかげで、連日連夜戦い続けていた兵士たちは、一晩ゆっくり休むことができた。ささやかな出来事だが、これもまたフランス軍の快進撃が成功した一因だろう。





 夜間の警戒中、敵方に目立った動きはなかったが、内部ではリッシュモンに近づく影があった。


「こんばんは」

「ジャンヌ・ラ・ピュセル……」

「あたしも付き合います。少しおしゃべりでもしませんか」


 ジャンヌは返事を待たずに、松明を立てかけると対面に座った。


「聞きたいことがあるんです」


 差し入れにパンのかけらと干し肉を少々、ワイン入りの革袋を持ってきたが、リッシュモンは警戒しているのか手を付けなかった。


「王太子さまのこと、どう思ってるんですか?」

「なぜ、そんなことを聞く?」


「だって、あたしはあなたのことをよく知らない。ある人は『王太子さまに嫌われている』と言ってて、別の人は『一番信頼できる人だ』と言ってる……。でもね、さっきのあなたを見てあたしは確信したの」


 アランソン公の短絡的な考えとは裏腹に、ジャンヌはリッシュモンの一連の振る舞いを見て「大元帥は正しい人」だと認識したのだった。




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