7.2 ラ・ピュセル(2)3月7日:狂王の教訓

 3月7日。少女がシノンに到着した翌日であり、謁見の前日でもある。

 私は、少女の護衛を務めた二人の騎士ベルトラン・ド・プーランジとジャン・ド・メスを城に招いた。


「シノン城へようこそ」


 二人の騎士は、ロレーヌ・シャンパーニュ地方ヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールによって選ばれた。


 ロレーヌ地方はブルゴーニュ派の勢力圏だが、ロレーヌ公の娘婿ルネ・ダンジューは幼い頃からずっと私を慕ってくれている。老齢のロレーヌ公は半ば隠居状態で、19歳になったルネが実質的な統治を任されているようだ。ボードリクールはルネ・ダンジューに仕えているからか、ブルゴーニュ派が大多数を占める地域では数少ないシャルル七世支持者だった。


「長旅、大義であった。道中で危険はなかったか?」


 顔を上げるように促すと、ベルトラン・ド・プーランジが進み出てきた。

 三十代半ばで、少女を護衛する一行の責任者だ。


「幸い天候にも恵まれ、敵や賊に遭遇することも道に迷うこともなく、快適な旅路でした」

「それはよかった」

「すべては神の思し召しでしょう」


 領地を所有する貴族で、平時はヴォークルールで聖職者を務めている。

 一行の中で、少女についてもっともよく知る人物だ。


「護衛対象のについて率直な意見を聞きたい。ラ・ピュセルの素性、貴公が旅の途中で見聞きして感じたこと……、何でもいい」


 ベルトラン・ド・プーランジは、以前から少女の両親を知っていた。

 シャンパーニュ地方ドンレミ村の勤勉な農夫で、治安の悪化を見かねて村のために防衛用の城をひとつ購入したという。父親はジャック、母親はロメと呼ばれている。


「教会の仕事で何度か村を訪れたことがあります。学はなくとも勤勉で善良ないい夫婦で、悪い評判を聞いたことがありません」

「母親の呼び名から察するに、ローマに巡礼したことがあるようだね」

「陛下のおっしゃる通りです」

「熱心なキリスト教徒のようだが、ドンレミ村の両親が少女を……、自分の娘を預言者だと主張して差し出したのか?」


 親子関係とは難儀なもので、わが子の美貌や能力を高く売り込もうとしたり、または貧しさや愚かさを誇張して哀れみを誘い、物乞いをさせる——、そういう親子の話はいくらでもあった。


「いえ、ジャンヌの両親は、娘の預言も旅立ちも反対していました」


 意外な返答だ。


「では、誰が少女を仲介した?」

「これといった仲介者はいません。守備隊長のボードリクール卿が教会のミサに参加していた日に、突然ジャンヌが現れて『神の声』を伝えたのです」

「それはつまり、少女本人が自分を売り込みに来たということか? 預言者だと自称して?」


 ベルトラン・ド・プーランジは眉根を寄せて黙りこみ、私は自分の失言に気づいた。おそらく、少女を侮辱されたと感じたのだろう。


「失礼した。話を続けて」

「私はボードリクール卿とともにその場にいました。ジャンヌに仲介者はいませんし、両親は娘を村に引き止めたかったようですが、ジャンヌのために奇跡を証言したがる人間なら大勢います。私もその一人です」


 熱心な口ぶりと、抑えているがやや憮然とした表情から察するに、少女の両親よりも、ここにいる護衛たちのほうが少女に心酔しているようだ。

 もし、少女が詐欺師で、この男たちを全員丸め込んで心を奪ったのだとしたら、かなり手強い相手になりそうだ。


「なるほど……」


 少女の正体はともかく、少女を信じる男たちに敵意を持たれるのは避けたい。

 少しでも情報を引き出すために、私は言葉に気をつけながら慎重に対話を続けた。


「少女のいうとは何だ? 奇跡とは?」

「私が聞いたジャンヌの最初の言葉を、一言一句、そのまま証言します」




 あたしはメシアの使いとしてあなたのところに来ました。

 王太子さまに「準備をしておくように。敵に戦いを挑まないように」と言いなさい。




「王太子さま?」

「……あっ! も、申し訳ございません。ジャンヌは陛下のことを『王太子さま』と呼んでいるのです」


 今度はベルトラン・ド・プーランジが失言し、しどろもどろになった。

 イングランドとブルゴーニュが統治する地域で、私はフランス王として認められていないため、侮蔑的な意味をこめて「王太子」と呼ばれている。


「ジャンヌに陛下を侮辱する意図はありません。それだけは誓って本当です!」


 ジャンヌの理屈によれば、歴代フランス王が即位したランスの大聖堂で聖別式を挙行するまではなのだそうだ。


「なるほど、一理あるな」

「お詫びを申し上げます。私が至らないせいで、ジャンヌを悪く思わないでいただきたいのですが……」

「わかっている。問題ない」


 私が理解を示したので、ベルトラン・ド・プーランジはほっとして話を続けた。


「ボードリクール卿は陛下の支持者ですから、はじめはジャンヌの発言に腹を立てました。ですが、ジャンヌはこの反応を予想していたようで、『四旬節までにわかる』と言い残してすぐに村に帰りました」


 四旬節とは、ちょうど今の時期だ。


「少女は自分で決めた期日通りにここへ来たのだな」

「はい! おっしゃる通りです」


 ベルトラン・ド・プーランジの表情が明るくなった。

 わかりやすい男だ。少女の預言が成就し、私がそれを認めたと思ったのだろう。


 ボードリクールは初めこそジャンヌを追い返したが、その後イングランドがオルレアン包囲戦で勢いを盛り返している戦況を受けて、考えを改めた。


 表向きのいきさつはそんなところだ。


 その一方で、起きている状況を深読みすれば——。

 ヨランド・ダラゴンまたはマリー・ダンジューを通じて「私が敗北を受け入れるつもりだ」ということを知ったルネ・ダンジューが、少女と護衛一行を送り込んだ可能性も考えられる。

 私を励ますためか、あるいは「敗北を受け入れる」考えを改めさせるために。


「貴公たちの考えはよくわかった。あとの話は、明日、少女から直接聞くとしよう」


 ベルトラン・ド・プーランジをはじめ、護衛たちのもっともらしい証言に耳を傾け、適度にあいづちを打ちながら、私は別のことを考えていた。





 父王シャルル六世は、生まれつき狂っていたのではない。

 遠征に向かう途中、自称・預言者につきまとわれた直後に発病した。


「私は神の声を聞いた預言者だ」

「神のお告げを伝えたい。王に会わせてくれ」

「早くしろ、王に危機が迫っている!」

「高貴なる王よ、これ以上進んではならない」

「この王国は呪われている。誰も信じてはいけない!」

「この中に裏切り者がいる……!」


 これは私が生まれる11年前の出来事で、自称・預言者の素性はわからない。

 当時、父王は23~24歳だった。


 今、26歳になったばかりの私のもとに、自称・預言者の少女が現れたことに、不思議な巡り合わせを感じる。

 驚いたのは確かだが、私はベルトラン・ド・プーランジと違って、吉兆よりも凶兆を予感していた。彼が少女のすばらしい預言と奇跡について熱心に語れば語るほど、私の心はますます冷めていく。


 目を閉じると、哀れな父王の姿が浮かんでくる。

 同時に、王の発狂から始まったフランス王国の惨状を思い出し、「惑わされてはいけない」と気を引き締めた。私は父を愛しているが、父のようになってはいけないのだ。



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