3.16 オデット・ド・シャンディベールの遺言(2)

 オデットとマルグリット母子が、ジプシーに扮して旅をしていたときのことだ。


「ある町で女の子たちの恋占いをしたんです。アニエスの番が来て、お母さんのタロットカードが示したのはなんと……!」

「ねえ、その話はやめよう……」


 か細い声で静止したのは、当のアニエスだった。

 自身の恋について言及されて恥ずかしいのか、頬をバラ色に染めていた。

 口を挟んだせいで一斉に注目され、今度はみるみる青ざめた。


「も、申し訳ございません!」


 しどろもどろになって謝罪した。

 出会った時に狼狽したのは、私だけじゃなかったらしい。

 美しい少女は、かわいそうになるほど怖気づいていた。


「非礼をお詫びします。マルグリットは王女様だから敬意を払わないといけないのにごめんなさい」

「そんなこと言わないで。私たちはこれからもずっと親友なんだから!」

「ありがとう。お兄さんに会えて本当によかった」

「お礼を言うのは私の方よ。お兄ちゃんに会えたのはアニエスのおかげなんだからね!」


 少女たちの友情は微笑ましいが、気になる発言だ。

 私とマルグリットが再会できたのはアニエスのおかげとは、一体どういう意味なのか。


「離れ離れになっても、私もあなたを親友だと思ってる」

「ねえ、アニエス……、本当に行ってしまうの……?」

「だって……」


 アニエスは何かを言いかけてうつむいたが、少しして顔をあげると、マルグリットの額に優しくキスをした。


「離れていても、困った時はいつでも力になるから。忘れないでね」

「アニエスぅ〜!」


 二人の様子は仲のいい友人そのもので、悪人には見えない。


「わたくし、二人の馴れ初めに興味があります」

「王妃さま!」


 マリーは威厳と優しさを醸し出しながら、話の続きを促した。

 マルグリットからすれば義理の姉ということになる。


「王妃さまがいいとおっしゃるなら……」


 マルグリット以上に恐縮しているのはアニエスのほうで、親友のマントの裾を引っ張りながら、なおも抵抗している。


「やっぱりだめ。タロット占いの話は良くないと思うの」

「どうして……!」

「だって……」


 二人はもごもごと何かを話し合っている。

 厳格な聖職者は「占いは魔術の一種だ」といって怒るから、話すのを躊躇しているのかもしれない。緊張をゆるめようと、私からも助け舟を出した。


「異端審問ではないから安心してほしい。占いごときで咎めたりしない」


 一瞬、アニエスのうるんだ瞳とかち合ったが、すぐに目を逸らされた。

 マルグリットはアニエスの肩を抱き、何かを確認するように目くばせすると、「と予言された」のだと告白した。

 まさかオデットの占いに自分が登場するとは想像もしなかったので、少し面食らった。


「本当に?」

「……大体、そんな感じです」


 言葉を濁すところが少々気になるが、話の先を促した。


「お母さんはアニエスと一緒にいれば、王に即位したお兄ちゃんと会える可能性が高まると思ったんです。だから、私の友達になって欲しいとお願いしたの。ジプシーに扮した流浪の母子なんて、ひどい扱いをされることも多いのに、アニエスは優しかった。お母さんの具合が悪くなった時も、事情も聞かずに親切にしてくれた……」


 オデットは困窮の末、ドーフィネに着いてまもなく亡くなった。

 マルグリットは天涯孤独となり、異母兄の私を見つける以外に道はない。


「占いのこともあったけど、実際に付き合ってみて、アニエスは信頼できる良い人だと分かったから、思い切って私の素性を打ち明けたんです」


 普通に考えれば、突拍子もない告白だ。

 先代国王の隠し子であることが事実だとしても、私が受け入れる確証はない。邪険にされたり、最悪の場合は殺されるかもしれない。いっそ、オデットを反逆者としたブルゴーニュ公に密告して引き渡した方が、いくらか金目になる。


 しかし、アニエスは「あなたのお母さんを信じる」と言って、絶望するマルグリットを励まし、兄に会えるまで旅を続けようと勧めた。オデットの占いと、マルグリットの幸福と、自分の運命に賭けたのだ。


(こんなにかわいいお嬢さんが、なんと勇敢な……)


 アニエスは何も言わなかった。

 耳まで真っ赤に染めて、涙目でうつむいている。


「だから、ここまで来れたのはアニエスのおかげ!」

「ううん、私は最後の道のりを後押ししただけ」

「わーん、アニエスぅ〜!」

「よかった、もう大丈夫ね」


 二人の少女は、幸福を喜び、別れを惜しみ、抱き合って泣いていた。


「本当に行ってしまうの?」

「うん。お兄さんとの再会を見届けただけで私はもう充分」

「だって、お母さんの占いでは……!」

「それ以上は言わないで。私は身を引くべきだってわかってる」


 私は、異母妹マルグリット・ド・ヴァロワを「父王シャルル六世の庶子として認知する」書類をしたためるために、一旦席を外した。

 アニエス・ソレルもただで帰すつもりはない。妹の恩人として相応の褒美を与えて、護衛をつけて故郷へ送り届けるつもりでいた。


「いやぁ、陛下に付き合ってここまで来た甲斐がありました」


 一部始終を見ていたシャルティエも羽根ペンを走らせながら、感慨深そうだ。


「わが生涯に一片の悔いなし。眼福、眼福……」

「たしかに、あの少女は美しい」


 かねてより、年齢を問わず美女大好きなシャルティエらしいと思ったが。


「マルグリット嬢もアニエス嬢も非常に愛らしいですが、私が申し上げたはそれではありません」

「二人の友情のことか?」

「ああ、それも美しかったですね。ですが、それも違います」

「何だ、はっきり言え」


 シャルティエは鼻腔を膨らませ、にまにましながら言った。


「あの少女を抱きしめたときの陛下の反応のことですよ」

「私の反応……?」


 最初、オデットと間違えてアニエスを抱きしめた。

 腕の中で、マント越しに華奢な手応えを感じて驚き、フードがこぼれ落ちて私を見上げる顔と間近で対峙した。まるで妖精を捕まえたかのような気がして、時が一瞬止まった——。


「恋をしましたね?」


 虚を突かれて絶句していると、シャルティエは「人が恋に落ちる瞬間を見れたことを眼福と申し上げたのですよ」と続けた。





 一方その頃。


「陛下の妹なら、わたくしにとっては義妹です」

「光栄です……!」


 マリー・ダンジューがマルグリットを抱きしめて、歓迎した。


「アニエスもこちらへいらっしゃい」


 去りかけていたアニエスは真っ青な顔色で凍りついたが、マリーは優しく呼びかけ、アニエスの手を取った。


「あなたたちの友情に感銘を受けました」


 マリーがいうには、二人を引き離すのはしのびない。

 また、マルグリットはこれから王妹として教育を受けることになる。


「慣れない宮廷生活はきっと負担が大きいわ。心細いときに親友がそばにいてくれたら、どれほど慰めになるかしら」


 私が王太子になったときに、デュノワがついていたことを指しているのだろう。実際、私にとってデュノワはただの主従以上に大きな存在だ。

 さまざまな事情を鑑みて、マリーはアニエスを引き留めて宮廷に残そうと考えたようだ。


「どうかしら?」

「王妃さま、お姉様……。なんて素晴らしい提案なの!」

「いいえ、それはいけません」


 マリーの申し出を聞いてマルグリットは大いに喜んだが、アニエスはなおも拒絶し、かたくなに出て行こうとした。


「母君を亡くしたマルグリットにとって、アニエスはかけがえのない親友でしょうし、わたくしも歓迎します。きっと陛下も喜ぶと思うわ」

「もったいないお言葉です。心から嬉しいですが、やっぱりだめです」

「なぜ? 理由を聞いてもいいかしら」


 マリーに問われ、アニエスは震えながら声を絞り出した。


「占いを成就させてはなりません……」


 先ほど、マルグリットが打ち明けたオデットの恋占いによれば「アニエスは王と出会う」だ。すでに成就したと思われたが、よく聞けば、これはだ。アニエスは言わせまいとし、マルグリットは言い方を少し変えたようだが、正確には「アニエスは王に見染められ、寵愛を受ける」という予言だった。


 私がこのことに気づくのはだいぶ後になってからだが、マリーは分かっていたのかもしれない。


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