登場人物紹介:第二章(1427年)まで

 第二章終了時点(1427年)の登場人物紹介。

 死者は名前の前に「†」、後ろに享年。


 作者の力量不足で、時代考証が甘い部分もありますが、ストーリーに支障を来さないようにわざと簡略化している部分もあります。ご容赦ください。

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【シャルル七世に臣従・同盟する勢力】追加4人。

(クレルモン伯/ラ・トレモイユ/ルイ・デストートヴィル/ギヨーム・デストートヴィル)


【シャルル七世に反発・敵対する勢力】追加なし。


【故人】追加2人。

(ピエール・ド・ジアック/カミュ・ド・ボーリュー/こぼれ話)

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▼フランス王シャルル七世(Charles VII/Roi de France、24歳)

フランス王国ヴァロワ王朝・第五代国王。のちの勝利王。

シャルル六世の10番目の子。第五王子だが兄たちの連続死で唯一の王位継承者となる。母妃と無怖公のクーデターから逃れて王都パリを脱出。父の死でフランス王位を継承し、逃亡先のベリー領ブールジュで宮廷をひらく。フランス南部を統治。

1403年2月22日生まれ。


▼アルテュール・ド・リッシュモン伯(Arthur de Richemont、34歳)

ブルターニュ公の弟。フランス大元帥。正義公。

アジャンクールの戦いで捕虜になりロンドン塔に幽閉されていたが、出奔してシャルルに臣従する。ジアックやボーリューらを独断で粛清したため、臣従関係に亀裂が走る。

1393年8月24日生まれ。


▼ジャン・ド・デュノワ伯(Jean de Dunois、25歳)

シャルル七世のいとこで幼なじみ。王弟オルレアン公の庶子。オルレアンの私生児。

1402年11月23日生まれ。


▼ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ(Georges de la Trémoille、45歳)

ジアック失脚・処刑後に大侍従に就任。

1382年生まれ。


▼†ピエール・ド・ジアック(Pierre de Giac、享年47歳)

侍従長。ブルゴーニュ派からアルマニャック派に乗り換えて、シャルルに臣従。

若い頃はシャルルの母・淫乱王妃イザボーの愛人だった。前妻殺害と横領の罪でリッシュモンに処刑される。

1380年生まれ。1427年2月没。


▼†カミュ・ド・ボーリュー(Camus de Beaulieu)

厩舎長。軽薄な美男子。リッシュモンが独断で処刑し、シャルル七世は激怒する。

1427年6月没。


▼クレルモン伯シャルル・ド・ブルボン(Charles de Bourbon/Comte de Clermont、26歳)

ブルボン公の嫡男。裕福な貴公子。

1401年生まれ。


▼ヨランド・ダラゴン(Yolande d'Aragon、43歳)

アンジュー公の妃。アラゴン王国の王女。シャルル七世の養母・義母。

1384年8月11日生まれ。


▼マリー・ダンジュー(Marie d'Anjou/Reine de France、23歳)

シャルル七世の王妃で幼なじみ。アンジュー公とヨランド・ダラゴンの長女。

1404年10月14日生まれ。


▼王太子ルイ(Dauphin Louis、4歳)

シャルル七世とマリー・ダンジューの長男。

1423年7月3日生まれ。


▼オルレアン公シャルル・ドルレアン(Charles d'Orléans、33歳)

シャルル七世のいとこ。デュノワの異母兄。王弟オルレアン公の嫡子で、現在のオルレアン公。

1394年11月24日生まれ。


▼ブルターニュ公ジャン(Jean de Bretagne、38歳)

リッシュモンの兄。賢明公。英仏対立に乗じてしたたかに立ち回る。

1389年12月24日生まれ。


▼ルイ・デストートヴィル(Loui d'Estouteville、27歳)

モン・サン=ミシェルの修道院長。1424年9月2日から守備隊の隊長を兼任。

1400年生まれ。


▼ギヨーム・デストートヴィル(Guillaume d'Estouteville、15歳)

見習い修道士。モン・サン=ミシェル包囲戦の後、シャルル七世に預けられる。

1412年生まれ。




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シャルル七世に敵対する英仏・ブルゴーニュ勢力

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▼イングランド王ヘンリー六世(Henry VI/King of England、6歳)

イングランド王国ランカスター王朝・第三代国王。

1421年12月6日生まれ。


▼ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター(John of Lancaster/Duke of Bedford、38歳)

ヘンリー五世の弟。ヘンリー六世の叔父。兄の遺言でイングランド摂政となり、フランス侵攻を続ける。主にフランス北部を統治。

1389年6月20日生まれ。


▼グロスター公ハンフリー・オブ・ランカスター(Humphrey of Lancaster/Duke of Gloucester、37歳)

ヘンリー五世とベッドフォード公の弟。イングランド護国卿。

1390年10月3日生まれ。


▼イザボー・ド・バヴィエール(Isabeau de Bavière、56歳)

シャルル七世の実母。シャルル六世の王妃。王弟をはじめ、名のある貴族たちと見境なく関係を持つため、淫乱王妃と呼ばれる。

1370年4月28日生まれ。


▼ブルゴーニュ公フィリップ(Philippe de Bourgogne、31歳)

無怖公の息子。リッシュモンの幼なじみ。父の殺害に関わった王太子に対抗するため、イングランドと同盟を結ぶ。

1396年7月31日生まれ。




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その他・故人

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▼†狂人王ル・フーシャルル六世(Charles VI/Le Fou、享年54歳)

シャルルの父。フランス王国ヴァロワ王朝・第四代国王。

1368年12月3日生まれ。1422年10月21日没。


▼†イングランド王ヘンリー五世(Henry V、享年35歳)

イングランド王国ランカスター王朝・第二代国王。

休戦協定を破り、フランス王位を要求して宣戦を布告。百年戦争を再開した元凶。

1387年9月16日生まれ。1422年8月31日没。


▼†無怖公ブルゴーニュ公(Jean de Bourgogne/Jean sans Peur、享年48歳)

フランス最大勢力の貴族。政敵の王弟オルレアン公を殺し、王妃イザボーとともに宮廷の実権を握る。王太子(シャルル七世)の家臣によって報復・殺害される。

1371年5月28日生まれ。1419年9月10日没。


▼†アルマニャック伯ベルナール・ダルマニャック(Bernard d'Armagnac、享年58歳)

反ブルゴーニュ派貴族を取り込んで対抗勢力「アルマニャック派」を形成したが、無怖公のクーデターで失脚し、拷問・斬首される。

1360年生まれ。1418年6月12日没。


▼†王太子ルイ・ド・ギュイエンヌ公(Louis de Guyenne、享年18歳)

シャルル七世の兄。シャルル六世の第三王子。

1397年1月22日生まれ。1415年12月18日没。


▼†王弟オルレアン公(Louis d'Orléans、享年35歳)

シャルル六世の弟。シャルル七世の叔父。王妃イザボーと不倫関係になり、政敵の無怖公に殺される。フランス内乱のきっかけとなる。

1372年3月13日生まれ。1407年11月23日没。




▼†賢明王ル・サージュシャルル五世(Charles V/Le Sage、享年42歳)

シャルル七世の祖父。フランス王国ヴァロワ王朝・第三代国王。

1338年1月21日生まれ。1380年9月16日没。


▼†善良王ル・ボンジャン二世(Jean II/Le Bon、享年45歳)

シャルル七世の曽祖父。フランス王国ヴァロワ王朝・第二代国王。

1319年4月16日生まれ。1364年4月8日没。


▼†幸運王ル・フォチュンフィリップ六世(Philippe VI/Le Fortune、享年57歳)

シャルル七世の高祖父。フランス王国ヴァロワ王朝・初代国王。

即位前はヴァロワ伯。カペー王朝直系の男系男子が途絶えたため、フィリップ三世の男系の孫としてフランス王に即位したが、イングランド王エドワード三世(フィリップ四世の女系の孫)が王位継承権を主張し、英仏・百年戦争が勃発する。

1293年11月17日生まれ。1350年8月22日没。


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