3.3 シノン城(2)

 ロワール川の支流ヴィエンヌ川に面した斜面に城下町があり、シノン城は合流地点の中洲に築かれている。

 岸壁に立ち塞がる岩は、川が氾濫したときには堤防となり、「天然の砦」としても有効だった。

 台地の高い位置から町全体とこの城に近づく者を見下ろしている。


 下流では、ブルターニュのナントに通じている。

 フランス軍とブルターニュ軍が共闘するときの利便性から、リッシュモンに拠点のひとつとしてシノン城を預けた。


「戦うつもりはないけど、状況次第では小競り合いになるかもしれない」

「俺に大元帥と戦えと?」


 さっき、大元帥派を自称していたことを思い出して、気を悪くしたかと思ったが。


「いいですね。一度、あの人と手合わせしてみたかったんです」


 デュノワは口角を上げて好戦的な笑みを浮かべていた。


「任せてください!」

「できれば穏便に済ませたいけどね」


 事前に「王が訪問する」と知らせると対策を講じられるかもしれないので、今回は先触れを送っていない。アポなし訪問だが、はたして吉と出るか凶と出るか。


「俺が先に行きます」


 デュノワが城門に近寄ると、見張り台から門番が顔を出した。


「リッシュモン大元帥はおられるか?」

「貴様は何者だ?」

「オルレアンの私生児だ」


 デュノワ伯と名乗ればいいのに、ジャンは自分好みのくだけた二つ名を自称した。


「そんな奴は知らん」

「えぇっ! 先日のトーナメントで優勝したこの俺を知らない!?」

「知らん。帰れ」


 にべもない。

 押し問答している時間が惜しいので、私が前に進み出ようとした。


「失礼する。彼の称号はデュノワ伯といって……」

「知らん。失せろ!」

「わっ……!」


 馬の足元に警告の矢が飛んできた。

 並の馬なら驚いて後ろ立ちするところだが、王の騎乗用に選別された駿馬はさすがに落ち着いている。


「王!」

「大丈夫だ。それより!」


 慌てたのはジャンの方だ。約束を忘れて「王」と呼んでしまった。

 相手方に聞こえたかはわからないが、門番は二発目を発射できる状態でクロスボウを構えていた。


「これ以上近づくな。死にたくなければ失せろ」


 私とデュノワの背後から、控えていた護衛が飛び出してきた。

 後方の茂みに隠れている数人は、すでにクロスボウを構えて門番に狙いを定めているはずだ。

 合図を送れば即、戦闘体制になる。


(まずいことになった)


 デュノワが独断で合図を送らないか危惧したが、門番を睨んで「無礼者め」と叫んだ。声を上げながら、マントの下で手綱を左手に持ち替えたのがわかった。利き手でいつでも武器を取れるようにと。


「この方をどなたと心得る。すぐに矢を下ろせ!」

「私生児でも伯爵でも、たとえ大元帥本人でも関係ない。この城に近づくな」

「ば、馬鹿! この方はそれ以上の……」


 私が唇の前で人差し指を立てたので、デュノワは言い淀んだ。

 王だと名乗ったところで、こんな軽装と少人数では信じてもらえないかもしれない。一触即発の事態だが、それ以上に気になることがあった。


(城に近づくな。大元帥本人でも関係ない……だと?)


 どうやら、この門番はリッシュモンの配下ではないらしい。

 ということは、今この城は何者かに占拠されているのだろうか。


(ブルターニュの旗が城壁にかかっていない時点で、何かおかしいとは思ったが)


 イングランド軍に占拠されている可能性は考えにくい。最前線の城塞ならともかく、私がリッシュモンに与えた居城だ。こんな深部にイングランド軍が侵入しているはずがない。

 先ほど聞いた「大元帥派と大侍従派」の宮廷闘争が、想像以上に深刻な事態になっていて、大侍従派がシノン城から大元帥派を追い出したのだろうか。

 しかし、シノン城の門番が誰であろうと、私はどちらの陣営にとっても主君なのだから、非礼な扱いはされないと思う。

 身分を隠すより、正直に名乗った方が穏便に済むかもしれない。


「私の顔に見覚えはないか?」


 返答の代わりに、後方から二人目の門番が現れた。

 すでにクロスボウを構えている。


「二人いるならちょうどいい。諸君たちの上官を呼んでくれないか? 話がしたい」


 門番はクロスボウの口径を上げて、足元から私の顔に狙いを定めた。

 挑発か本気かわからなかったが、デュノワのマントが大きく翻った。

 敵の視界を遮ると同時に、先手を打って隠し持っているナイフを投げようとした。


 そのとき、見張り台の後方で黒い影が動いた。


「うわ……っ!」


 次の瞬間、門番の一人が見張り台から落下した。

 ジャンの攻撃かと思ったが、右手のナイフはまだ離れていない。


「一体何が……?」


 突然の事態に理解が追いつかない。

 城門の見張り台では一人が転落し、二人目が残り、三人目が現れた。


「まさか、こんな所でお目にかかれるとは」

「あ、あいつらはジル様の知り合いですか?」


 言葉では感嘆しているのに、抑揚のない不思議な声をしていた。

 身なりから推測するに一介の兵士ではない。

 三人目の出現で、門番は明らかに動揺していた。


「あぁ……、感無量だ……」


 恍惚とした表情でこちらを見下ろしている。

 現在のシノン城の主人——リッシュモンではないが、門番たちの上官に違いない。


(ジル様? ジル・ド……」


 思い当たる人物が一人いた。


「ラヴァル領主のジル・ド・レ伯爵か?」

「伯爵ではありません」


 男は「祖父がまだ生きてますから」と言った。


「ようこそ、シャルル七世陛下。あなたは私の光です」


 フランス王国の再興を夢見る若い貴族に、憧れの眼差しを向けられることが何度かあった。だから、この時もそれほど驚かなかった。


「あなたが与えてくださるのは救いか、呪いか? それとも裁きだろうか?」


 よく見れば、まだあどけなさの残る少年のような顔をしている。

 私やジャンとそれほど変わらないか年下かもしれない。

 話せばわかる、打ち解けると思って安堵した。


「貴公と争うつもりはない」

「部下の非礼をお許しください」

「いいんだ。不問にするから武装解除して城門を開けてほしい」

「仰せのままに」


 ジルは糸のように目を細めると「あなたに逆らえる者はここにはおりませんから」と言って、二人目の門番を見張り台から突き落とした。






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