第八話『剛腕のアルガラム』

 突如として奏人達の前に現れた赤き鬼。

 巨大な体躯にどこか歪な身体。

 無骨で巨大な、辛うじて剣の形を残した鉄塊。

 こちらを凝視するその眼は、自身の肌の様に真っ赤に染まって、今にもその内に眠る衝動を吐き出しそうで────、


「────」


 視覚から得た情報が脳内を支配し、奏人は現れたそれにただ唖然とする。

 そしてその思考のどこかで、先程のゴブリンが行った行動の意味を理解した。


(あれは......断末魔なんかじゃない)


 致命傷を受けても尚、生きているのならば逃げ出そうとするのが、動物の本能。

 しかし先程のゴブリンは逃げ出すのではなく、叫んだのだ。遠吠えの様に。


 遠吠えとは、イヌ科の動物が行う行為。

主に自身の縄張りを主張する為に行われる遠吠えだが、そこには別の意味もある。

 それは────、


(呼んだんだ......今、こいつを....!)


 ────自らが危機に瀕した事で行う、仲間を呼ぶ為の遠吠え。

 ゴブリンなりのその行動に気付いた奏人は、そこから導き出される答えに震える。

 そして、逃げ出そうと後退りを始めた瞬間を、アルガラムは見逃さなかった。


「GURAAAAA!!!」


 逃げ出さぬ様、アルガラムが発した爆発的な咆哮。

 それはその効果を十分に発揮し、蛇に睨まれた蛙の様に、奏人とその周りの彼等を立ち止まり動けなくさせた。


 それを確認したアルガラムは、奏人達に一歩、また一歩と歩みを進めてゆっくりと迫り始める。

 その瞬間、


「逃げろ......」


 優人の発した僅かな一言。

 恐怖に立ち竦んで居た奏人達だが、確かにそれを聞き取り、全員が優人の方を見て────、


「逃げろ!!」


「......ッ!」


 優人の張り上げたその声に、その場の全員ほんの少しだけ反応が遅れてから、踵を返して森の中に逃げる。


「Guuu.....RAAAAA!!」


 それを見たアルガラムも奏人達同様、反応が遅れる。が、それは逃げた事に驚いた訳でも、恐怖した訳でも無い。

 特別個体にしては低い知能で、奏人達が行った手を煩わせる様な行動に多大な怒りを覚え、それに打ち震えたのだ。


 そうして怒りの雄叫びを上げたアルガラムも、奏人達を追って木々を薙ぎ倒しながら走り始めた。


「ハッ、ハッ、ハッ」


 全員が全員、必死にその脅威から逃れようと全力で走る。だがしかし残念かな、この世界にはステータスと肉体の関係が存在する。


 例えば筋骨隆々の男と、骨と皮だけの男。

 この両者が同じステータスを持ったとして、より良い能力を発揮出来るのは前者。

 この様に、ステータスを十全に活かすには鍛えられた肉体が必須であり、そしてそれには必然的に種族的な物も絡んでくる。


 全力で走る犬に常人が追い付けない様に、小鬼と揶揄されるゴブリンが巨大になれば、それはただの鬼。

 生まれてから日が浅く、俊敏のステータスも対した物では無いが、それでも鬼であるアルガラムが奏人達に追い付くには十分だった。


 全力で走り追い掛け、着実に近付いて来るアルガラム。その姿を一瞬振り返り、確認した赤木は大声で叫んだ。


「やべぇ来てる!!追いつかれるって!!」


「大丈夫、走って!!この先ならオルデンさんが居る!」


 自然と全員の前を走り導く優人だが、何も適当に走って逃げている訳では無い。


 深緑の大森林、その入り口にはオルデン及びファムスが待機している。

 だからその付近に行けば、騒ぎを聞き付けすぐさま助けてくれるだろうと踏んだのだった。


 そして、優人のその希望と言える言葉を受け、奏人達は迫る脅威から全力で逃げた。

 追い付かれない様、逃げ切れる様、死なない様、その為に走って、逃げた。


 ────だがその時、奏人の耳に右側後方から何かが倒れる様な音が入った。

 それに驚いた奏人は反射的にそちらを振り返ると、そこに居たのは────、


「待って......」


 ─────地面に倒れながら、走り去ろうとする取り巻きの二人に、その手を伸ばす池田典彦だった。




ーーーーーーーーーー




 ────俺の両親は、貧しい家庭から努力して医者になった凄い人だった。

 両親が医者というだけあって金銭的に恵まれていた家庭だったが、それ以上に俺は両親の人柄が好きだった。

 街中を歩いていて困っている人が居たら放置出来ない。そんな絵に描いた様な『良い人』みたいな両親が好きだった。

 だから俺もそんな風になれたらって思って───、


 ───だけど俺は、クズだった。


「池田も手伝えよ」


「......あ、うん」


 生まれてからずっと、強い奴の影に隠れて生きてきた。幼稚園から続き小学校まで。

 中学に入る時には変わろうと思ったけど、誰かが言ったその言葉を断ったら何をされるのか怖くて、それで柊のいじめに加担した。


 仲が良くない奴も遊びに誘うし、気に要らない奴を軽く蹴っただけで「止めろよ」なんて言ってくるのがムカつくし、ウザいからいじめる。

 そんな訳の分からない理由に、疑問も感じていた。正しく無い事だと気付いていた。

 それでも仲間外れにされるのが怖くて、自分がいじめられる事が怖くて、その中から抜け出せなかった。


 そうして中学校生活を過ごす内に、気付けば高校生になっていた。

 中学時代の臆病な自分に、後悔が募ったまま高校に上がった時、今度こそ変わるんだって決意した。

だけど────、


「あ?何見てんだてめぇ?」


「あ、え....す、すいません!」


 いじめの現場を見てしまって、そこから上級生の不良に目を付けられてしまった。

 その時、何故かいじめられていたのが柊じゃなくて、良かったなんて思ってしまった。


 上級生の不良達にパシリにされ、色んな物を買って来たり、持ってきたりしている内に、いつも一緒に居る二人と出会った。

 あいつらも俺と同じ様に、何かが怖くてここまで不良を抜け出せなかったらしい。

 そんな二人と三人でパシリを続けてる内に、お金を要求される様になった。


 最初は両親から貰っている小遣いで凌いでいたが、やがて足りなくなり、両親に相談する訳にも行かず悩んでいた所で柊を見つけた。

 .......いや、見つけてしまった。


 お金を持っていかないと殴られるのが怖くて、昔いじめてたからやりやすいなんて理由で、柊を揺すった。

 でも、柊は一円も渡さなくて、先輩達に殴られると思って、焦って、柊を殴ろうとしてしまった。

 蛇ヶ崎に止められた。

 怖かった。


 剛力に嘘を言って蛇ヶ崎に差し向けたのも、蛇ヶ崎に後で殴られるかも知れないと考えたら怖かったから。後の事なんて知らなかった。


 でもそれすら上手く行かなくて、『ああ、蛇ヶ崎から恨みを買った。先輩達からも殴られるかも知れない』そう思った時、異世界に召喚された。


「.......やった」


 解放されたと思った。

 蛇ヶ崎は居るけど、いつも殴ってくるのは先輩達だったし、だからもう殴られなくて良いんだって。

 もうパシリじゃなくて良いんだって、もう怖がらなくても良いんだって、もう.......もう!!

 涙が溢れて安心して、両親が心配してるかも知れない事すら思いつかない程に。


 ─────でもそう思ったら、途端に柊に対して申し訳なくなった。

 訓練を続けるあいつを、赤木を運んでたあいつを、ラフィさんと戦ってたあいつを見たら、ああ、あいつはこの世界で頑張ってるんだなって。

 俺や皆んなにあれだけの事をされながら、元の世界に帰ろうとしてるんだなって。


 だから謝ろうとした。

 謝ろうと決意して、でもいざ言おうとしたら、『許さないって言われたらどうしよう。やり返されたらどうしよう』

 そんな事を考えて、上手く言えなくて.....だから、


「......待って」


 こうして死ぬのも仕方ないんじゃないのかなんて思って、それでも生きたいと思ってしまった。


 だけどあの怪物は迫って、俺の後方で止まったのを感じた。見ていないのに、あの大剣が振り上げられるのが分かった。

 そして、死ぬ覚悟すら決まる前に、それは振り下ろされて─────、


「────ひい......らぎ?」


 俺に直撃する寸前、横から体当たりをする様にして柊に助けられた。




ーーーーーーーーーーーー




 奏人が全力で走り、あの化け物から逃げる最中、背後から何かが倒れた様な、或いは崩れた様な音が聞こえて来た。

 振り返っている暇は無い。

 しかしそれでも奏人は反射的に振り返ってしまって、視認した右側後方。そこに居たのは、池田だった。


 地面に伏しながら、走り去る取り巻きの二人に悲愴な表情で手を伸ばす池田。

 ああ、転んでしまったんだなと奏人は直感的に理解した。

 助けが要るように見えるが、自分にはそれをする理由もない。恐喝を受けていたのだから見殺しにしたって良いのかも知れない。

 そう考えて、


『止めろよ!』


 突如として蘇った小さい頃の記憶。小学生の時、いじめっ子からある少年を助けた記憶に、奏人は気付けば走り出していた。


「ッ───」


 逃げるその足の方向を変え、大剣が振り下ろされようとしている池田に、横から体当たりをする奏人。

 何とか横にずれ、直撃は免れる位置に移動した。


「ひい......らぎ?」


 戸惑いと困惑の声を漏らした池田。その直後、振り下ろさた大剣が地面に当たった衝撃によって、両者共に吹き飛ばされる。


「ッ.....池田、大丈──池田!?」


 吹き飛ばされた時、背中から樹木に叩き付けられた事で全身がむち打ちの様に痛くなりながら池田の安否を確認した奏人。

 池田も同様に樹木に激突したが、当たり所が悪かったのか白目を剥いて気絶した池田に奏人が驚く。

と、


「Guaaa.....」


「.....くそっ」


 背後の池田を見捨てる訳にも行かず、大剣を引き摺りながらこちらに近付いて来る化け物に、奏人は苦渋の声を零した。

 池田を背負って逃げたいが、全身の痛みは相変わらず。怯んで動くに動けない奏人に、アルガラムは敢えて大剣を利き手では無い左手で持ち、あからさまに力を抜いて軽く横薙ぎに振るう。

 先程までの奏人の行動に対する怒りをぶつける為に行った舐めた行動に、しかし奏人は動けないままその大剣は直撃して────、


 ────瞬間、


「ぐっ!──ぬぅぅ....!」


 その間に剛力が割り込んだ。

 横薙ぎに振るわれた大剣を、自身の大盾で見事防いだ剛力。そんな剛力に奏人は疑問を持って、


「剛力!?なんで.....」


「お前が、戻ったのが....見えたからな....!危ないと思って......くっ!」


 剛力の盾に大剣を付けたまま、徐々に力を増して行くアルガラム。

 手抜きの一撃を受け止めたとは言え、自身の何倍もの体躯を持つ化け物に、当然力で勝てる訳もなく少しづつ押される剛力。

 助けて貰った奏人だが、依然として状況は変わらずピンチだと理解した。

 ───その直後、猛スピードで二つの何かが奏人達の両サイドの木々を抜け、アルガラムの横から飛び出し、その足を抉った。


「GuAAAA!」


 走った痛みに叫び、剣を手放したアルガラム。

 そんな光景に奏人と剛力は言葉も無いまま、驚いていると二つの何かは奏人達の元へ駆け付け、


「大丈夫かオマエら!?」


「蛇ヶ崎!久遠!お前達何でここに....」


 方や両手に短剣を持った蛇ヶ崎。

 方や両手で長槍を構えた久遠。

 アルガラムの両足に傷を付け、奏人達を助ける様に現れたのはその両者だった。


「いや、近くでなんか派手に暴れてる奴が居るなァッて思ッて見たら、オマエらがピンチそうだッたからよ。急いで来た」


「俺は強そうな奴が居るなと思って」


 驚く剛力の質問に答えた二人。

 蛇ヶ崎はともかく、久遠の返答は戦闘狂の様だが、この際誰も気に止める事は無かった。


「それで、あのバケモン何だよ。.....鬼?」


「さぁな。さっき、ゴブリン達を倒していたら突然現れた。正体は分からん」


 話を切り替え、目の前で大剣を拾う化け物に視線を移した蛇ヶ崎。剛力からの返答にどうしようもなく「マジかよ」と言ったは良い物の、ここからどうすれば良いのか分からずに居ると、


「取り敢えず、あれ、どうするの?倒す?逃げる?......どっち?」


 痺れを切らした久遠の質問。それに蛇ヶ崎は、自身の身体に傷を付けた者に対して興奮気味に怒気しているアルガラムを見据え、


「.....逃げるッてたッて、アレ逃がしてくれねェだろ。倒すのも無理───」


「そうでもない。あいつの身体、よく見てみろ」


 自身の言葉を遮った久遠の言葉に従い、アルガラムの身体をじっくりと見る蛇ヶ崎。と、その言葉の意味に気付き、苦笑いの様な表情を取る。


「.....成程な。なんか違和感あるなと思ッたらそういう事か。足だけ以上に細ェんだな」


「そうだ。さっきは届く範囲が足だけだったからそこを狙ったけど、寧ろ好都合。足を重点的に狙えば勝機はあるし、逃げるにしたって、言葉通り足が潰せる」


「了解。───なら、柊」


 久遠の説明に頷いた剛力は、続けて奏人に話し掛けた。


「お前は、池田を背負って逃げてくれ。正直、何が起こるか分からない上に気絶した奴が居るんじゃ戦いずらい。頼む」


「......分かった」


 剛力の懇願に身体の痛みが和らいでいる事を確認した奏人は一言了承すると、気絶した池田をすぐに背負った。

 それを確認した剛力は「良し」と言って、目の前の憤怒に染まった化け物に視線を移す。


「俺が数を数える。数え切ったら後ろに走り出せ」


「────」


 奏人を除いた全員が、目の前の化け物集中する事で剛力の言葉に答える者は居ない。しかし、その場の空気感で伝わった事を感じた剛力は、一つ一つ、遡る様に数を数え始める。


「三.....」


 対して、アルガラムはまたしても何かをしようとしている目の前のちっぽけな存在を、今度は確実に葬る為に全身に闘気を纏う。


「二.....」


 纏う闘気はその怒りに呼応して僅かに赤く、そして空間を歪める。


「一.....」


 始まろうとするその戦いに全員が唾を飲み込んだ瞬間、


「──今だ!行け!!」


 剛力の掛け声に合わせ走り出す奏人。それと同時に、奏人の背後から鉄がぶつかり合う様な音や爆発音が聞こえ始めた。

 走る程、距離を伸ばす程遠くなるその音に安心感と不安感を覚えながら、奏人は走り続ける。

 早く、速く、皆んなが死んでしまう前にオルデンを呼ぶ為にと。


 だがしかし、時間は待たない。崩れ行く物を止めるには時間しかないが、時間は止まらない。進み続ける。

 そして何より、時間が進んだ未来では何が起こるのか不正確で、正にそれを表す様に、奏人の後方で何か大きな爆発が起きた。


「────ぁ」


 そして、奏人の視界。その端を何かが......人の様な物が、奏人の背後から向かう先へと吹き飛んで行った。


「.......」


 青色の長髪、手には長槍。ほんの一瞬の事だが、目の良さが仇となり吹き飛んで行った者が久遠だと理解し、そして自身の背後で起こった事を理解した奏人。

 見てしまった物、感じた物に走る速度は落ち、その足は重くなる。

 やがて、歩く方が速いだろうまでに速度は落ちて、絶望に足を止めようとした時────思い出した。


『頼む』


「───!」


 剛力に掛けられた言葉。そこに深い意味は無いだろう。それでも、掛けられた言葉に間違いは無く、頼まれた事に違いは無い。

 だから、


「.....進まなきゃ」


 頼まれたのだから。彼等は勇気を持って戦う事を選び、ほんの少しだろうとそれを果たしただろう。

 ならば自分は、頼まれた事を果たさなければ行けない。彼等の様に。


 その決意に一度だけ大きく息を吸った奏人は、再度その一歩を踏み出し、走り始めた。無事に池田を逃がす為に。


 そんな奏人を後方から睨む物が一体。

 剛腕のアルガラムは鬱陶しく攻撃を続けられ、負傷した足では奏人に追い付けないと考える。

 その為、自身の持つ大剣を口に咥え、剛腕たる所以の両腕を振り上げ、維持。

 両腕と大剣に身体の内に眠る気を込め、十分に溜め込むとその両腕を地面に叩き付け、同時に前方に跳躍した。


 地面にクレーターを作り出す程の凄まじい破壊力はアルガラムの巨体を空中に放つと、アルガラムは回転しながら自身の口から大剣を離し、両手で掴み取る。そして、自身の真下を走る奏人に向かい大剣を振り下ろし急降下。

 大剣は僅か十センチ程の誤差で奏人の背後に着地。その凄まじい威力と衝撃波に奏人は先程とは比べ物にならない程の速度で吹き飛ばされ、声を出す事すら出来なかった。

 だがしかし、背負っていた池田が吹き飛ばされる寸前、ふと走った予感のまま池田の腕を掴み、身体の前に持ってきた。


「ッ!────ぼぉ、ぇ....」


 揉みくちゃになりながらも、吹き飛ぶ方向に背中を合わせ、奏人は背中から樹木に激突。池田は奏人がクッションとなり、何とか無事。だが、奏人はそうでも無い。

 奏人の口から溢れ出る、赤いそれ。熱く煮えるそれは、身体から何かを奪って行く。


「おぶぉ.....────ぁえ?.....なん、これ....血....?」


 奏人の予感は見事的中。背後からとは言え、その衝撃によってダメージを受けた内臓は出血。胃に血液を溜め、食道を急激に逆流して奏人の口から溢れ出ていた。あのまま空中に放られていれば、池田は確実に死んでいただろう。


 何かが無くなって行く喪失感。

 奪われ抜けてく虚脱感。

 身体全体から感じるそれに奏人は自身の死を感じる物の、意識が朦朧とするせいか恐怖感は薄かった。

 それでも、


「Guaa?」


 アルガラムは卑しい笑みを浮かべ、奏人に近付いて来る。それと同時にポツポツと雨が降り始め、少しもしないうちに降り頻る程になった。


 大量に吐血し、雨に晒され体温を奪われ、死の間際に立つ奏人の脳裏に浮かぶのは、元の世界に居る家族の事。

 物静かで慈愛に満ちた父親。厳しくも優しい母親。笑顔が可愛い妹。

 会わなければ行けない。帰らなくては行けない。

 だから、


「───とも....しび、ある....とこ、ろ....に....われはあり。ゆ、えに、われは───んぼぉぇ....」


 震えながら手を突き出し詠唱するのは、中級炎魔法『業炎球ウル・ファティア』。

 せめてもの抵抗と一縷の望みを賭けて発動しようとした、自身の持つ最大の遠距離攻撃手段。詠唱時に魔力を奪われるのに釣られ、血液も身体の外に零れて行く。間違いなく、放てば死ぬだろう。

だがそれでも、もし生きれる可能性があるならば、生きる為に続ける。

 苦しみの中でもがき、決死の覚悟で、掠れた声で、それでも詠唱を続けようとする奏人。

 ────と、そこに、


「止めておけ。死ぬだけだぞ、柊奏人」


 低く響く声音を持って、奏人の後ろから歩いてくる男が一人。奏人に忠告をし、目の前で止まるとどこからか取り出した細いフラスコ。その中に入った赤い液体を「飲め」と言って、ゆっくりと奏人の口に流して行く。

 促されるまま、それを飲み込んで行く奏人。すると、身体の内部を含めた全身の痛みが引いていくのが分かり、朦朧とした意識の中、僅かに鮮明になった視界でその男の顔を見る。その瞬間、死の縁から引き上げられた事を理解し、安堵する奏人。安心感を覚え、目の前の男に対し涙が滲むのは何故か。

 それは何を隠そう───、


「───オルデン、さん......」


 アルドレアン王国騎士団、全団団長オルデン・ヴィガートだったのだから。

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