第69話 セレモニーホール


 ななほし町の高架そばに、市営のセレモニーホールがある。

 何故か焼き肉屋と中華料理屋に挟まれた立地である。

 炭火焼のいいにおいに包まれて斎場のおごそかな雰囲気が台無しなような気がするのだが、便利な場所なので、さほど大きな会場でもないのに利用者が多かった。

 そこから自転車で五分ほどの住宅展示場で働く野付征紀のつけまさきはいつも日が落ちてから、このセレモニーホールの前を歩いて帰るのが日課になっていた。

 健康のために乗り始めたマウンテンバイクは朝の通勤のときは快適なのだが、仕事終わりにはひどく重たいもののように感じられ、交差点まで押しながら歩いてようやく「えいやっ」とまたがる気になるのだった。

 だからか知らないが、深夜を過ぎてからも明かりを絶やすことなくつけているセレモニーホールのことが妙に気にかかるようになった。

 ホールの前には看板が出ており、通夜や葬儀の日取りが和紙に書きつけられたものが掲示されている。首を横に回せば、硝子ばりの入口から喪服に身を包んだ遺族の姿がちらりと見えた。

 通夜や葬儀などは、どう考えても愉快な行事ではない。

 あまりジロジロと見るのも失礼だろうと思うのだが、征紀の働く住宅展示場は人手不足で帰りはまわりの飲食店が店を閉めてからになる。

 そうなると片田舎の道路は真っ暗だ。

 節電のために街灯も消されており、明かりと呼べるのは看板の明かりくらいのもので、どうしても自然と目に入るのだ。


「あれっ…………」


 ある晩、征紀はホールの前で足を止めた。

 駐車場の入口に置かれた看板には達筆な字で、


『〇月×日 小田和家 葬儀 午前10時から』


 と書かれた掲示物が貼りだされていた。

 葬祭会館なら当たり前の掲示物だが、征紀は眉をしかめた。というのも、昨日の晩もみた気がしたからだ。


 小田和家。


 何という読みかは知らない。小も、田も、和も、日本人の姓によく使われるありがちな字だが、三つ合体するというのはそれなりに珍しいのではなかろうか。

 しばらく看板の前でぼんやりしていると視線を感じた。

 ホールの入口で、スタッフらしい女性がこちらを見ている。

 征紀は慌ててスマートフォンを取り出し、画面を操作しているふりをしながらその場を離れた。

 それきり征紀はそのとき感じた違和感のことは忘れてしまった。

 疲れているとデジャヴを感じるのはよくあることだ。

 スケジュールが整理しきれなくなって、昨日のことと思っていた出来事が何日も前だったというのもありがちである。

 それにやっぱり、セレモニーホールを外からじろじろ見るのはよくない。

 住宅展示場にやってくる客は大なり小なり未来に希望を持っている人たちだが、ああいうところで夜伽をしている家族というのは、悲しみや不安にさいなまれている最中なのかもしれないのだ。

 そう心がけて三日後のことだった。

 

『〇月×日 小田和家 葬儀 午前10時から』


 征紀の目に暗闇の中から浮かびあがる文字列が飛び込んできた。

 すぐに目を伏せて通り過ぎたが、心の中は混乱していた。


 だ。


 三日前も小田和家の葬儀があったはずだ。

 仕事の疲れや気のせいなんかではない。数メートル、通りすぎて振り返って確認すると、やはり『小田和家』と書かれている。

 わずか数日で二件も葬儀を出さなければいけないなんて不幸が続くにもほどがある。それともたまたま同じ名字なのだろうか。

 気にしないようにしてアパートに戻り、翌日。

 その日は前日に対応した客からクレームがつき、上司から怒られ、仕事は散々だった。精神的にもつらい征紀の目に信じられないものが飛び込んできた。


『〇月×日 小田和家 葬儀 午前10時から』


 まるで昨日と変わっていない貼り紙である。


 翌日は休日で、征紀は職場から離れた喫茶店にいた。


 婚約者の宮奈みやなと会うためだ。

 宮奈は小柄で目がぱっちりとした明るい女性で、肩までのストレートヘアをリスのような茶色に染めている。自分で言うのもなんだが美人だ。

 彼女はもともと同じ職場の後輩だった。職場内恋愛は禁止だったが、宮奈が体調を崩して退職してからは晴れて恋人どうしだ。

 気がつくと征紀は宮奈になんとなくセレモニーホールの話をしていた。


「短期間に四件も同じセレモニーホールで同じ苗字の人の葬儀があるなんて、ふしぎだよね。このへんで何かあったのかな? 事故とか、事件とか……」


 征紀がそういうと宮奈は困ったような表情を浮かべた。


「田舎だったら、同じ苗字の家がたくさんあってもおかしくないんじゃない」

「そうかな」


 そう言われると、そんなような気もする。

 征紀の祖父母が住む村も三分の一は同じ名字で、いとこたちの関係を把握するのに苦労したものだ。

 だけど征紀はこちらに引っ越してきてもう五年以上になる。

 しかもこの五年間、周辺で家を建てようと志した住民とは、かならず一度は話したことがあるという自負があった。

 けれど小田和という名前は見かけたことがない。

 反論しようとした征紀に宮奈は少し強い口調で言った。


「ねえ、征紀。それは今聞きたい話じゃないんだけど……」


 テーブルの上には宮奈が買い求めてきた、県内の結婚式場を紹介する雑誌が置いてあった。

 宮奈と征紀は結婚を予定している。征紀の両親には挨拶を済ませており、あとは式場を決めて準備を進めるだけだ。宮奈はまだ十代の頃に両親を亡くしており、近しい親戚もいないため男の側としてはいくらか気が楽な結婚話だった。


「ごめん、めでたいときにする話じゃないよな」


 確かにデリカシーが無かったと思う。

 宮奈はカジュアルなレストランウェディングを希望している。

 ごく近しい親族や友人たちを招いた小規模な式にするつもりだ。

 大きな会場にすると、きっと征紀の親戚が大挙して押し寄せるだろう。

 宮奈の側と釣り合いが取れなくなって窮屈な思いをさせるのは征紀としても避けたい。

 野付家は上に兄が三人いて、しかも長男は結婚済で跡取りもいる。

 両親も末っ子の結婚にうるさいことは言うまい。





 それからにわかに忙しさが増し、宮奈との結婚話は急に前に進まなくなった。

 帰宅は連日、夜の九時か十時を回っている。

 それ以上に征紀を追い詰めたものが例のセレモニーホールである。


『〇月×日 小田和家 葬儀 午前10時から』


 相変わらず同じ文言が看板に掲げられていたのである。

 いったいこれはどういうことなのだろう。

 考えられるとしたら斎場のスタッフが貼り紙の取り換えを忘れているという可能性である。

 しかし冷静になれば考えにくい。はっきり言って、とんでもないクレームになるだろう。たとえ住宅展示場でも、お客様の名前を少し間違えただけできびしい叱責が飛ぶ。それが人の生き死にをあつかうナイーブな場所となればなおさらだ。

 征紀はさすがに自分の正気をうたがった。

 もしかすると仕事の疲れと緊張、いっこうに進まぬ結婚への不安から幻覚を見ているのかもしれない。デジャヴが高まっているのだ。

 宮奈が「大切な話がある」と電話してきたのは、その頃のことだ。

 休みもろくに取れずに彼女も不安だったのだろう。仕事終わりに展示場の前で待ち合わせることになった。

 展示場の戸締りをして駐車場に向かうと宮奈が緊張した面持ちで待っていた。

 その表情の真剣さは、ただごとではないと思わせるものがあった。


「これからどうしようか、ファミレスにでも行く?」


 宮奈は深刻な顔で首を横に振った。


「ふたりだけで話し合いたいの」


 改めて面と向かってそう言われると征紀には嫌な予感しか残らなかった。

 ここのところ、ろくに電話もできなかった。

 宮奈は住宅販売の仕事をやめてからというもの、征紀との結婚を前提として貯金とアルバイトで生活している。それなのに遅々として結婚話が前に進まなければ、放ったらかしにされていると思われても仕方がなかった。


「ごめん、宮奈。俺、仕事にかまけて君のこと、大事にできてなかったよな」


 征紀は勢いよく頭を下げた。


「何? いきなり、どうしたの?」

「いや、だって別れ話かと思って……」

「えっ?」


 宮奈はびっくりしたようだった。


「ちがうちがう! そんなんじゃないから……」

「ほんとに?」

「ほんとほんと!」


 慌てたようなしぐさが可愛らしい。征紀はほっと胸をなでおろした。

 宮奈は意を決したように話し出した。


「勘違いさせてゴメン。じつはね……私の祖父母が見つかったの」


 今度は征紀が驚く番だった。

 宮奈は幼い頃に両親を亡くし、施設や養父母の元を行ったり来たりしながら暮らしていたと聞いていたからだ。


「母方の祖父母なんだけど、お母さんとはずーっと昔に縁が切れていて、でも両親が交通事故で亡くなったのを知ってからというもの、探してくれていたらしいの」


 しかし宮奈が入っていた施設が取り壊しになり、記録の引継ぎがうまくいかず、ごく最近になるまで祖父母は宮奈の行方を知らずじまいになっていたという。


「そうだったんだ……。そんなことってあるんだね。ふたりとは、もう会ったの?」


 たずねると、宮奈はうなずいた。


「何も言わずに、ごめんね。でも、いきなりで本当の話かもわからなかったから」

「いいんだよ」

「ふたりとも高齢だけどいい人たちだった。再会を喜んでくれて……ずっと天涯孤独だと思ってたから、うれしかったな」


 まるで奇跡のような話だった。

 征紀との結婚で宮奈にもようやく家族ができると思っていたが、ほんとうに血がつながった家族が現れたのだ。

 夜道を並んで歩きながら、ふたりでそのことについて話し合った。


「そっか。よかったね、宮奈。君はそのことを教えてくれようとしてたんだね」

「ううん、それだけじゃないの。じつは征紀くんに相談があって……。おじいちゃんとおばあちゃんがね、養子縁組をして本当の家族にならないかって言ってくれたの」

「養子縁組?」

「あっちの家は後継ぎがいないから、ってことみたい。でもそうなると、征紀くんの名字も変わってしまうから……」


 後を継ぐとなると宮奈が祖父母と養子縁組して、宮奈と結婚する征紀が婿入りするという形になるのだろう。

 このまま結婚話を進めるとなると征紀は野付征紀ではなくなるのだ。

 しかし、征紀はすでにそのことを受け入れていた。

 野付家は男兄弟が多く後継ぎもいるので、征紀が婿入りして名字を変えるというのも不可能な話ではない。何よりせっかく現れた宮奈の家族との縁を、自分のせいで切らせたくはなかった。


「俺、両親に話をしてみるよ」


 そう言うと、宮奈はぱっと顔を輝かせた。


「ほんとに?」

「うん。いまどきは男の側が名字を変えるのも珍しくないしさ。俺にはずっと血の繋がった家族がいたし、それは名前が変わったからどうなるってもんでもないと思う。それより俺は宮奈にも本当の家族を持ってもらいたいんだ」

「ありがとう、征紀くん……」

「それでさ。あちらの家はなんて名字? 俺はなんて名前になるのかな? かっこいい名前がいいなー、なんて……」


 涙ぐんだ宮奈を元気づけるように征紀は少しおどけた調子で訊ねた。


「えっとね、ちょっと変わった名字なんだ。べつに難しい漢字じゃないんだけど……」


 言いながら、宮奈ははっとして足を止めた。

 未来への希望にはにかんでいた婚約者の表情は一瞬で凍りつき、青ざめていた。

 彼女は震える指先で暗い夜道の先のほうを指で示した。

 そこには明るく照らされるセレモニーホールの掲示板があった。



 ――――〇月×日 小田和家 葬儀 午前10時から。

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