第22話 ポテトサラダおじさん
持っていたというか、右手に装着していた。
ちなみに、このときのさくらは着圧タイツを装着した美しいさくらだった。
さらさらのロングヘアをなびかせ、韓国アイドル風のメイクを施した美人がメリケンサックを拳に装着して待ち構えているというのは、なんだか、そういう思想の強いアーティストのCDジャケットやミュージックビデオのワンシーンみたいだな、と
「ポテトサラダおじさんが出た……」
「殺せばいいのね」とさくらは前置きもろくに聞かずに言った。
「いや、殺せない。一応怪異だから……」
「殴ってみなくちゃわかんないわよ」
「人間だったら危ない」
「本物のポテトサラダおじさんをこの手で殺せるなんて
今回の怪異退治のお仕事は、全日本魔術連盟と怪異退治組合の共同作戦である。
対象となる怪異は『ポテトサラダおじさん』だ。
先週の金曜日、やつか駅前にあるスーパーで主婦が総菜コーナーのポテトサラダを購入しようと手に取ったところ「母親ならポテトサラダくらい手作りしたらどうだ」という暴言を投げかけられ、見ると男が立っていた。
信じられないくらいに器の小さい男である。
いや、器が存在しているかどうかさえ怪しい。
おそらく、この男にくらべたら、サル山のボスザルのほうが格が上だろう。
もちろん、ただそれだけなら『暴言を吐くおじさん』でどちらかというと警察案件なのだが、このおじさんは店でポテトサラダを買おうとする者が現れる度にしつこく出現し「それくらい手作りしろよ」と言って、どこへともなく消えていくのだった。
目撃情報も
営業妨害もはなはだしいので店が総菜コーナーに見張りを立てたところ、サラリーマン風の男が空中の何もないところから現れ、霧のように消えていくのを目撃し、怪異退治組合に連絡がきた。
「だけどポテトサラダおじさんって、元々はSNSで話題になった存在でしょ」
「そうだ。その話がずいぶん人口に
町の人たちが『こんな人、いそうだな』と思うことで、現代妖怪としての形ができはじめてしまっているのだ。
「おじさんって怪異化しやすいのね」
「ああ。会社と自宅の行き来しかしていなくて社会との接点を失って怪異化するパターンと、今回のようにSNSで拡散して妖怪になるのが定番のパターンになりつつある。いわゆる老害とかいうやつだ。今回も完全に定着してしまう前になんとかしたい。というわけで、魔女の協力をあおぎたい」
「だからこれよ」
さくらはメリケンサックを見せた。
「暴力はいけない」
「勘違いしないで。これは私の作った魔法の道具なの」
「暴力はいけない」
「魔法の道具だって言っているでしょう。そんなに信用ならないのかしら私って」
ふたりはマイバッグを
怪異に怪しまれないよう、宿毛湊は買い物カゴにネギと木綿豆腐を放り込んだ。
さくらはカートを押しながら、エナジードリンクをかたっぱしから放り込んだ。
ちょうど総菜コーナーに差し掛かったとき、サラダ類を物色している女性がいた。
長財布を手にしたOL風の女性で子連れではないが、怪異は対象を選ばなくなっている。
ふたりはパンコーナーの影に隠れて成り行きを見守った。
すると、女性の後ろに黒いモヤモヤしたものが立った。
女性の伸ばした手が、サラダの間をさまよう。
ワカメサラダ、チョレギサラダ、マカロニサラダ……そして、ポテトサラダを手に取った。
今日はポテトサラダが20パーセント増量されてお値段そのままのお得な日なのだ。
その瞬間、女性の背後を漂っていたモヤが人の形になっていく。
現れたのはカーキ色のコートを着た60代くらいのおじさんだ。
おじさんは女性のそばに立つと「それくらい手作りしろよ」と声をかけた。
「そこまでよ、ザリガニ野郎」
無理して履いている高いヒールの音を鳴らして、怪異の真後ろにさくらが立った。
「何故ザリガニなんだ」
「他人が惣菜のポテトサラダを買うことにケチをつけるような奴はザリガニから人間に生まれ変わったばかりの人生一年目に違いないわ」
「で、どうするんだ」
「こうするのよ!」
さくらのメリケンサックをはめた拳が、ポテトサラダおじさんの左頬にめりこんだ。
力無く倒れ込んだおじさんの腹の上に馬乗りになって
「なんでっ! 売られてるモンを買ったらいけないんだっ! このっ! このっ! ポテトサラダなんか作り方も知らないごみくず野郎がっ!」
「さくら、いけない。暴力は」
「これは暴力ではないわ。認知の歪みを正してるの!」
さくらが何度も怪異を殴りつけると、ポテトサラダおじさんに変化が起き始めた。
輝きだしたのだ。
瞬く間に薄汚れたコートには清潔感が満ち。
周囲をやっかみ、敵意ばかりむけていた瞳は温和に丸くなり、
そして全身から金色の光を放ちはじめたのだ。
「そろそろいいでしょう、ホラ、何か言ってみな」
「ここのポテトサラダ……おいしいですよね……とっても……」
「母親がスーパーでポテトサラダを買っていたらなんて言う?」
「いつも忙しいのに、バランスのいい食事を心がけていて偉いですね……」
「よし、イイ感じの仕上がり具合だ」
さくらは湊にメリケンサックを見せた。
銀色のそれには複雑な呪文が刻まれている。
「これは肉体ではなく、コミュニケーション不全を起こす歪んだ考え、いわゆる認知の歪みを殴って直すアイテムなの」
本職の魔女が使う魔術は非常に複雑だ。
競技魔術や米国式メソッドで用いられる魔術がアルファベットの
だから、呪文を読み上げるかわりに物に魔術の力をこめるのだ。
現代の魔女や魔法使いはスマホやタブレットを用いることが多い。
メリケンサックに呪文をこめるのは珍しい。
「というか、殴りたかっただけだろう」
「まあね。でもムカツク奴を殴れて私もスッキリ、むこうも他者との正しいコミュニケーション方法を学べてニッコリ、何も文句はないでしょうよ」
そのとき、何者かがさくらちゃんの肩を叩いた。
二人が振り返ると、警備員の制服を着た男性が笑顔を浮かべて立っていた。
「お客様、申し訳ありませんが、他のお客様が暴力行為を目撃したとのことで、奥で話を聞かせてもらっても構いませんか?」
警備員の背後には、先ほどおじさんに絡まれていた女性と店員が、不審者を見る目つきでさくらのことを遠巻きにしていた。
さくらは警備員に連れられてバックヤードに消えて行った。
その後、やつかスーパーの総菜売り場には、優しい笑顔の
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