第三 草 ゲルセミウム      甘い囁き

【 神経毒、ときに・・・媚薬 】

12

「髪が透明?」


初冬の事だった。王家の森魔導士学校、ビルセゼルトの執務室にうなれるアウトレネルがいた。


いつもなら、出されればすぐに飲み切ってしまう茶に、今日は手を付けた様子がない。


「標準よりずっと軽かった。うぶごえも弱々しくて、でも、癒術魔導士は心配ないと言った。すぐに体力がつく、ちゃんと育つと言ってくれた。サラも無事だし、多少、時間はかかっても、元通りになると言ってくれた。だから、だから・・・」


「まぁ、何だな、温かいうちに飲め。少しは落ち着く」


ビルセゼルトが勧めると、一旦はカップを手に取り口元に持っていくが、やはりアウトレネルはソーサーにカップを戻す。


「俺の子は、どうなるんだろう?」


涙をためた、すがるような目でアウトレネルがビルセゼルトを見る。


「ふむ・・・男の子だと言ったな。名は決めたのか?」


「あぁ、男の子だ。だから、余計にに心配なんだ・・・名はアラネルトレーネ、通り名はアランとした」


「そうか、アラネルトレーネか、伝統に従わずわざわいけとしたのだな」


ニッコリとビルセゼルトが笑む。


魔導士の間では、男の子なら父親、女の子なら母親の名の、最後尾を継承して名づけるのが伝統的だ。


「おめでとう、レーネ。おまえも父親になったのだな」

「ビリー・・・」


とうとうアウトレネルの口から嗚咽が漏れ始める。


「俺は喜んでいいのか?」

「子を得たのだ。喜んでいいに決まっている」

「だが、だが・・・」


「髪の事は気にするな・・・と言っても無理か。だが、将来、魔導士として力を得ることは間違いない。透明な髪で街人はあり得ない」


「だからと言って透明なんだぞ? おまえみたいな燃える髪でなくても、せめて普通であれば心配しない」

「うん・・・」


アウトレネルの話を聞きながら、ビルセゼルトは双子の弟サリオネルトを思い出していた。


―― 私の息子は普通じゃない。それを知って初めて、普通ではない子を持った親の気持ちが判った。


生まれて即座に言葉を発したサリオネルトを『普通じゃない』と母は恐れた。そして遠ざけた。


サリオネルトは抗えない孤独を胸に抱いたまま生を閉じている。そのサリオネルトが言った言葉だ。


サリオネルトがそう言った時、『普通でない子などいるものか』と思ったビルセゼルトだった。が、同時にこうも思った。


『全ての親にとって自分の子は特別』なのではないか。『普通ではない』と『特別』の間に隔たりはない、と感じていた。


しかしそれを『普通じゃない』と感じている者に言ったところで理解しないだろう。


人の命の数ほど、『特別』は存在し、『普通』という言葉は誰にも通用しないのだと、さとしても無意味だ。


星見魔導士が予言する、三余年先に生まれるはずのビルセゼルトの子も『特別』な運命のもと、生きていくはずだった。


それはサリオネルトが言った『普通じゃない息子』と大きく重なる運命だ。


「髪が透明だからと言って、そう嘆くものでもない。珍しいという事は、秘められたものがあるからだ」


「秘められたもの?」

ビルセゼルトをアウトレネルが仰ぎ見る。


「だいたい、生まれたばかりなのだろう? 髪はこれから色付くのかもしれないじゃないか。生まれた時には生えていない子だっている。そんなに心配するな」


「サラが・・・自分のせいだと泣いてばかりいる」

泣きべそ顔でアウトレネルが言う。


「違う、と言ってやりたいが、いや、言ったが、納得させる材料が俺にはなかった」


「うーーーん。少しばかり方向が違うが、私の髪は生まれた時はここまで赤くなかったそうだ」

「おまえの髪?」


「生後三か月ごろから、髪に血が通い始めた。私の髪には血管が通っている」

「そうだったのか?」


「うん、だから私は生まれてこのかた、髪を切ったことがない。血を通わせる都合なのか、今、以上には伸びないし、劣化したら自然と抜ける、これは誰でも同じか」


「そう言えば、随分と子どもの頃、ネクルと俺が何かで揉めて、それをおまえが止めに入って・・・」


「あぁ、あの時は、ネクルが俺を思いっきり突き飛ばしたんだった」


「俺はおまえの髪をつかんでいて、ごっそり抜いちまった。飛沫しぶきが飛んだと思ったら、ドロドロ血があふれ出て、俺のほうが血の気が引いて・・・」


「抜けたんじゃなくって千切れただけだ。あれはおまえの街屋敷で、おまえの泣き声を聞きつけた小母おばさんが飛んできた」


ビルセゼルトがクスッと笑う。


「血管だけで神経はない。お陰で痛むことなく、俺はきょとんとしていたっけな。血を流しているのは俺なのに、レーネ、おまえのほうが大泣きで、ネクルは腰を抜かしてガタガタ震えていた」


「笑うな、あんな出血、初めて見たんだ」

そう言いながら、アウトレネルの顔にも笑顔が浮かぶ。


「お袋がひと撫でしたら、血は止まったし、髪も元通りになった。どれほど俺がホッとしたことか。ネクルはそれから大泣きして、お袋が困っていた」


「俺たちの子どもも、俺たちと同じように一緒に遊ぶのかな?」

「もちろん。俺の息子が最年長だ。親分だな」


すっかり笑顔になったアウトレネルがいつも通りの、幾分大きすぎる声で言う。


「ビルセゼルト、おまえのところ、子はまだか?」

ふん、と面白くなさそうにビルセゼルトが鼻を鳴らす。


「こればかりは思うようにはいかないものだな」

「欲しい事は欲しいのだろう?」


サリオネルトの子を抱いた時をビルセゼルトは思い出す。はかなくて頼りなくて、それでいて、命のエネルギーを大きく発散させていた。


この小さなものが、やがて育っておのれの意思で生きていくようになる。それまでなんとしてでも守ってやりたい、そう思った。


守りたいという気持ちが『愛しい』と同じ意味を持つとも知った。


おいであってもあれほどの愛しさを感じたのだ。自分の子であればいかほどだろう。


「欲しいと思ったところで、できるもんじゃない。仕方のないことだ」


「もしできたとして、育てるのは南の魔女の城か・・・敷居が高いな。俺の屋敷に遊びに来い」

「・・・そうだね、その時はね」


三余年先に生まれる我が子はすぐに手放さなければならないと定められている。アウトレネルとの約束が果たされることはない。そうは言えないビルセゼルトだった。


「それより、ビリー。最近、留守が多いらしいな」

と、急にアウトレネルが話を変える。


「魔導士学校にもギルドにもいない。まっひるから南の魔女のところとも考え辛い。どこに行っているんだ?」


「なぜ、昼間だとジョゼではないと?」

ビルセゼルトが苦笑する。


「昼間だろうが用があれば会いに行く。夜しか用がないなどと聞いたら、ジョゼに怒られるぞ」


それもそうかとアウトレネルが笑う。


そして、

「なかなか子どもが出来ないのは、離れて暮らしているからかもしれないな」

と、アウトレネルがつぶやく。


「・・・それぞれの使命を果たすためだ。都合があえばいつでも会えるし、誰に邪魔されることもない。むしろ、あのうるさいのと毎日顔を合わせなくていいのは救いかも知れない」


「寂しくなることはないのか?」

軽口を叩くビルセゼルトに、アウトレネルが真顔で尋ねる。


「どうだろう? あいつは俺に惚れているし、俺はあいつを愛している。互いに必要としていることに間違いはない」


「女房は俺に惚れている、と迷いもなく言えるのはおまえくらいなんじゃないかと俺は思うがね」


笑うアウトレネルにビルセゼルトは苦笑するだけだ。


「癒術魔導士が心配ないというのだから、サラもじきに元気になる。レーネ、おまえがしっかりしていれば、すべて良い方向へ動いていく。くよくよしないことだ」


そう言って、ビルセゼルトはアウトレネルを送り出した。


「近いうちに誕生祝とサラへの見舞いを届けるよ」

と言うビルセゼルトに、


「山盛りの果物は勘弁だぞ」

と笑って、アウトレネルは帰って行った。


寂しくないか、と訊かれて、寂しくなどない、と答えられなかった ――


アウトレネルが帰った後、窓からいつものように森を見詰めてビルセゼルトは考えていた。


私は、自分でも気づかぬうちに寂しがっていたのだろうか? だから・・・


考えたところで、隠された感情に答えなど出るはずもなかった。

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