第27話 盲信
カシュパルは紅盾の自分の椅子に座り、指先で机をリズミカルに叩きながら頭を悩ませていた。
実の所、彼は大人しくセレナを見送るつもりはなかった。
少なくともセレナが向かおうとしている場所を絞り込むつもりで、あわよくば密かに後をつけて行こうとさえ思っている。
しかし改めてセレナという人間を振り返ってみると、過去の痕跡が殆どない事に気がつく。
彼女の所持品の内、カシュパルと出会う以前から今も持ち続けているのは首にかけたチャームと腕輪ぐらいなものだった。
腕輪は何処で作られたのかまるで特徴がない物だったし、四つの翼を持つ鳥のチャームはアリストラ国で貧民が持つごく一般的な物である。
剣筋は騎士のような正統派の名残があるが、一方でセレナの作る魔物の罠は対人を応用したかのような暗い知識を覗かせた。それらは普通の魔物狩人とは少し違う知識体系のような気がする。
「何処で学んだんだ……?」
聞いても答えてくれないだろう。セレナは過去を語る事が少ない。何か嫌な記憶でもあるのだろうと思い、強く聞く事は今まで出来なかった。
けれど母の出身であるセルフィナに行けば、セレナを知る人はいるだろう。アリストラ国に戻った後、セレナはその内の誰かに連絡をするかもしれない。
少なくとも過去を知る事は出来るはずで、心の中でセルフィナに足を運ぶ事を決意する。
魔物狩人として長年暮らしてきたセレナだから、今更職業を変えやしないだろう。
アリストラ国のギルドにも連絡を取り彼女の特徴を伝えれば、その内情報網に引っかかる事は明白なように思えた。
だから大丈夫。俺はセレナを見失わない。
そう自分に言い聞かせるが、セレナが去る事を告げてから感じる嫌な予感はどうしても拭えなかった。
胸の奥が騒ぐ。その直感はセレナをリボルに追わせても、彼女から戻って来ると言われても消えなかった。
扉の向こうから誰かが騒がしく走り寄って来る音がして、カシュパルは考えるのを止めてそちらに意識を向ける。
ノックもせず勢いよく扉を開いたのは、紅盾を共に作り上げた友人のオレクだった。
彼は血相を変えてカシュパルに言った。
「カシュパル、竜人が来てるぞ!」
思いもよらない言葉に思わず目を見開く。カシュパルにとって、竜人という存在は同胞でありながら決して油断してはならない存在だった。
過去でも下手をすればセレナと引き離されていた。彼等には簡単にカシュパルの大事な物を壊してしまえる力がある。
「何処だ」
他のメンバーには荷が重い。自分が相手をしなければ。
そう思い慌てて立ち上がったカシュパルの目の前で、一人の竜人の男が扉を開けて入って来る。
「もう来てる」
久しぶりに見たその顔に、苦い記憶が蘇ってくるのは避けられなかった。
「ラウロ」
「よお。カシュパル」
何故この男が態々此処に?
疑問に思うが決して表には出さない。カシュパルは苦手意識を深く沈め、同胞を懐かしむふりをして歓迎した。
「久しぶり。顔でも見に来たのか?」
「はは。まあそれもあるが、少し確認したい事があってな」
ラウロは勝手に椅子を一つ自分に引き寄せて、カシュパルと向き合うようにどっかと腰を下ろす。
オレクは状況が分からないながらも、カシュパルが普段と違う様子なのを長年の付き合いから察した。
さり気なさを装って部屋に残り、ラウロの間合いから少し外れた場所に立つ。カシュパルは友人の気遣いに内心で感謝をした。
ラウロは首筋を撫で、思い出すような仕草をする。だらけた格好に見えるが、背後にいるオレクが剣で斬りかかっても難なく防がれる気がした。
「この前、使節団の護衛の任務でアリストラ国に行ったんだ。その時道中で、人間のジジイが俺に突っかかって来てさぁ。『娘を返せ』とか何とか言う訳だ。訳が分からねぇだろ?」
カシュパルには話の方向性が分からず、ラウロの言葉を聞き続けるしか出来なかった。
「仕方なく話を聞いてやれば、どうやら竜人に自分の一人娘を誑かされたんだと。反対している内に娘は家を出て行ってしまって、行方知れずらしくてな。どっかで聞いた話だと思って名前を聞いてみたんだ。なんて名乗ったと思う?」
ラウロは口元さえ笑っていたが、恐ろしい位に真剣な眼差しだった。
次第に言いたい事が飲み込めてきて、カシュパルの背筋に悪寒が走る。
「アーロン・テオドル。……お前の爺さんじゃねぇの?」
それは確かに自分の祖父の名前だった。ラウロと祖父の出会い自体はどうでも良かった。生きても死んでいても興味はない。それよりも何よりも重要な情報がある。
カシュパルは自分の心を偽る余裕など吹き飛び、愕然としてラウロに呟いた。
「……一人娘?」
それが事実だとしたら、セレナは誰なんだ?
蒼白に変わるカシュパルの顔を見て、ラウロは荒々しく舌打ちした。
「やっぱり騙されてたか」
「嘘を吐くな‼」
反射的に叫んだ。そんな事がある筈がなかった。カシュパルの一番の味方、何よりも尊い血縁だった。
血の繋がりがなくて、こんなにも身を切るような献身をカシュパルに捧げる理由がない。
あり得ない。セレナの愛が嘘である訳がない!
この男はセレナを侮辱しているのだ。それも最もカシュパルを馬鹿にする方法で!
それなのにラウロはまるで自分が哀れであるかのような視線を向けてくる。それが酷く癪に障り、カシュパルは自分の腰の剣に手を伸ばした。
これ以上戯言を言うならば竜人だろうと切り殺す。
物騒な気配を立ち昇らせるカシュパルにオレクが驚いた顔をしたが、友人の表情を見て止める事はしなかった。
ラウロはカシュパルの脅迫にも堪えた様子がなく、ただ残念そうに言葉を続ける。
「入国時の書類は偽造されていた。とりあえず、事情聴取だな。お前は俺と共に来てもらう」
セレナの存在に泥を塗られたような気がして、怒りに体が震えた。
ラウロは最早、カシュパルに取って理解できない雑言を吐き出す憎き敵でしかなかった。
遂に剣を抜き放つとラウロに向かって一気に肉薄する。ラウロも剣を抜いてカシュパルの攻撃を防いだが、想像以上の重い剣に微かに眉を動かした。
ラウロは戦いの際、身体強化の魔術を自分にかけている。それは突発的な戦闘であっても瞬時に展開出来る高い練度のもので、今も普段と同じように強化した筈だった。
にも関わらずカシュパルの剣は重い。それはつまりカシュパルの魔力がラウロを越えているか、何か別の手を講じているかだった。
カシュパルは靴裏に仕込んだ文様魔術をごく自然に発動させる。それは摩擦を増やし、地面を踏み込む力を増大させるものだ。
それと身体強化の魔術が合わさり、十八歳という若さでありながら単純な力では老練なラウロと互角に渡り合う力を生み出す事に成功していた。
けれど戦闘が長引けばカシュパルが負ける事は、火を見るよりも明らかだ。三百歳は超えているラウロに対し、カシュパルでは圧倒的な経験の差が存在する。
だからカシュパルはこの戦闘に長い時間をかけるつもりはなかった。
全く引く気のないカシュパルを見て、ラウロの気分は下がって行く。洗脳された同胞の子供を見るのは気分が良くなかった。
嫌な仕事だ。
そんな状況を作ったセレナを恨みつつ、向かって来るカシュパルの剣を受け止め、いなし、攻撃する。
ラウロは自分の剣に火属性魔術を纏わせ、灼熱の刃を生み出した。何の対策もしなければ、鉄剣は溶け切られてしまうだろう。
けれどカシュパルは平然としてその剣を受け止める。刀身には火属性とは反対の、水属性魔術が目を見張る精度で展開されていた。
「カシュパル……それ、何処で習った!?」
余りの練度の高さに驚きラウロが声を上げる。以前その場でカシュパルが対応したような付け焼刃の精度とはまるで違っていた。
有鱗騎士団の団員が見せる様な、明らかな修練の賜物だった。
「見せたのはお前だろ」
返ってきたのは信じられない答えだった。
たったあれだけの手合わせから此処まで独学で練り上げただと? あり得ない!
ラウロはカシュパルへの認識を改めた。人間との混血児で、文様魔術も使える稀な存在?
いいや、その程度ではなかった。恐るべき学習能力の高さ。自分と剣を切り結ぶ胆力。
この年齢で紅盾をまとめ上げ名のあるチームへと成長させたのは、幸運などでは決してなかった。
この子を人間に渡してはならない。絶対に。
ラウロから子供相手だと油断していた心が消える。全力でこの仕事に臨まなければならなかった。
切り合う音が盛大に室内に響く。余りの激しさにオレクが手を出す事は不可能だった。
室内の書類はラウロの剣の熱波で赤く燃えだし、壁に掲げられた魔物の首はカシュパルの蹴りの余波で破壊される。
二つに切られた机をラウロが投げれば、カシュパルは身を転がしてそれを避けた。
ダンッ
カシュパルは強く床を踏み鳴らす。魔力が床に込められて、ラウロの足元の絨毯の下にある文様魔術が発動した。
「何っ‼」
氷のつららが突如として床から現れ、ラウロに襲い掛かる。それを避けて後ろに飛びのいたその先でも、別の文様魔術が発動してつららを発生させた。
この場所にはカシュパルの刻んだ文様魔術が山ほど存在する事に気がつき、ラウロは舌打ちせずにはいられなかった。
ラウロは此処に来る時、ただの魔物狩人の事務所ではなく、裏組織の本部のつもりで来なければならなかった。
十八歳というカシュパルの若さが招いた油断に他ならない。
「本当に……とんでもねぇ餓鬼だな!」
カシュパルの剣の刀身に刻まれた文様が微かに発光したのを見て、ラウロは自身の目を保護する魔術をかける。かつてカシュパルに目を光で焼かれたのを思い出したからだ。
その想定通りに閃光が放たれた瞬間に、逆にカシュパルに向かって攻め入る。同じ手を食らうつもりはなかった。
けれど閃光によって攻勢を強めるだろうと思っていたカシュパルは、冷静に向かい来るラウロの剣を防御する。
閃光を予想し、向かって来る事こそカシュパルの罠だった。
剣を防がれ、カシュパルに足を払われる。ラウロはバランスを崩しかけたのを膂力によって踏みとどまったが、その足元に敷かれた絨毯から不自然な発光がした。
その場所にも文様魔術が刻まれていたのである。誘導されたラウロに、雷撃の魔術が容赦なく襲い掛かった。
バチィィィッ!!!
カシュパルはラウロがふらついたところを容赦なく蹴り倒し、大腿に向かって剣を突き立てる。
「が……ッ」
微かな悲鳴を上げてそれでも剣をカシュパルに向かって繰り出そうとした頭を、それまで黙って見守っていたオレクが足で蹴って沈黙させた。
気絶したのを確認して、オレクが上級魔物用の拘束具を急いでラウロの体に巻き付けていく。
如何に竜人であっても逃げられない状態になったのを確認した所で、漸くカシュパルは剣を鞘に納めた。
一先ずラウロを無力化したものの、ここで立ち止まっている訳にはいかなかった。直ぐにセレナの元へ向かわなくてはならない。
険しい表情のカシュパルにオレクは言った。
「何で事務所にこんなに罠を置くのかと思ってたけど。……こんな日が来るって知ってたのか?」
「知る訳ないだろ」
ただ備えていただけだ。何者からもセレナを守る為に。
「……皆を呼べ。セレナを助ける」
オレクはこの状況になってもセレナを疑わないカシュパルを感心すればいいのか、哀れめばいいのか分からなかった。
けれどカシュパルがそうしろと言うならば、従うのはもう体に摺りこまれた本能のようなものである。
オレクは手にした小さな笛を吹いた。鳥の声に似た甲高い音がフォンの町に響き渡っていく。
それは全員集合の指令と、戦闘準備の合図だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます