第005話 初めてのレベルアップ

 

 ジャックに連れられ、やってきたのは俺がここに来てからまだ一度も足を踏み入れたことのない場所だった。部屋一面が真っ白で、中には何もない。とても殺風景な部屋だ。


「この部屋は?」


 そう問いかけると、彼はこちらを向いてニコリと微笑みながら言った。


「ここは魔王様御用達のトレーニングルームです。魔王様の強大なお力にも耐えうるよう室内全体に防護魔法と修復魔法がかけられています。このお城では魔王様のお部屋の次にお金がかけられている部屋でございますね。」


 あっちの世界で言う超強固なシェルターって感じか。


 彼の説明を俺なりに解釈していると、次に彼はさらりととんでもないことを口にした。


「まぁ、私と魔王様がお手合わせをすると一週間はこのお部屋は使い物にならなくなってしまうのですが……カオル様とのお手合わせであれば問題はないでしょう。」


 いったいどんな激しい手合わせをしてるんだ……。彼の言葉に俺は思わず苦笑いを浮かべることしかできなかった。


 すると彼はこちらに向かって言う。


「さぁ、カオル様私は攻撃しませんのでどこからでもかかってきてください。」


 ジャックは何も構えることなく、手を後ろに組んでにこりと笑う。


 いくらレベルという概念があって、ジャックが自分のはるか上にいるとしても、無抵抗の人物に拳を振るうのは気が引ける。


 そんなことを思っていると、ジャックがこちらの遠慮を取り去るためにある行動に出た。


「ホッホッホ、あちらの世界での私とこちらの世界での私は別人ですぞ?」


 笑いながら彼は壁の方に歩み寄ると、おもむろに真っ白な壁をこつんと指先でつついた。するとバコン!!という大きな音とともに、壁に大きなクレーターができてしまう。


「~~~!?!?」


「試しにカオル様もやってみてはいかがでしょうか?」


 促されるがまま、俺は思い切り真っ白な壁に拳を打ち付けた。


「~~~~~っあぐッ!!」


 すると俺に待ち構えていたのはジーンという鈍い痛み。壁を殴った方の拳がびりびりと痺れている。


「ホッホッホ、これで少しはお分かりいただけましたかな?」


「じゅ、十分……わかりました。」


 そしてジャックがいかに規格外な存在であるかも、十分に理解することができた。これだけ実力差があるのなら遠慮する必要はない。ひとまず全力でかかっていってみよう。


 敗北は目に見えているけどな。


「じゃあ行きます。」


「いつでも?」


 未だひりひりとする拳を構え、俺はジャックへと向かって走る。間合いに入るや否や胸に寄せていた拳をジャックへと向かって振るった。


「ふっ!!」


「ホッホッホ、素の状態での戦闘能力はあちらの世界の基準では並み以上と言ったところでしょうかね。」


「!?」


 全力で放った拳はジャックの人差し指たった一本で受け止められてしまう。


「さぁ、もう一度。」


「うっ!!」


 彼が拳を止めていた人差し指をはじくと、俺の体が大きく吹き飛ばされる。のけぞった体勢を立て直し再びジャックに向かうと今度は足技も織り交ぜた連撃を繰り出してみたのだが……。


「なるほどなるほど、体の動きにあった良い攻撃です。しかし、武術……というわけではないようですね。我流でございますか?」


 あっさりとその攻撃の全てをよけられ、あろうことか間近で分析までされてしまう。


「っはぁ、はぁっ!!そう……ですよっ!!」


 最後に横薙ぎに回し蹴りを放つと、彼の姿が目の前から消えた。


「っ!?」


「ホッホッホ、私はここでございますよ?」


 声のしたほうに視線を向けると、消えたと思った彼は蹴りを放った後の俺の足のつま先に立っていた。こんなの漫画の世界でしか見たことないぞ!?


 そしてぴょんとジャックは俺の足から飛び降りると、訝し気に顔をしかめながらポツリと呟いた。


「ふむ、まだレベルが上がった様子はないですな。」


「はぁ……はぁ……。」


 息がすでに上がりつつある俺を前に平然としながら立つジャック。普通あれだけ攻撃をかわしていたら軽く息切れしていてもおかしくはないんだが、というか普通の老人ならもう立てなくなっていてもおかしくはない。

 攻撃力だけではなく体力までも化け物だ。


「普通レベル1の人間であれば、私と戦って数秒生き残るだけでもレベルが上がるものなのですが……。やはりカオル様はまだこの世界に馴染んでいないようですな。」


 そうジャックが分析していると、背後で扉が開く音がした。くるりと背後に視線を向けると、そこには好奇心に満ちた表情のアルマ様が……。


 この瞬間俺の背筋を嫌な悪寒がゾクゾクと突き抜けていく。


「あれ~?じぃじとカオル遊んでたの?」


「はい、少々カオル様と戯れておりました。」


 そうジャックがアルマ様へと告げると、彼女は少し不機嫌そうな表情を浮かべ、小さな頬をぷく~っとふくらませた。


「じぃじズルい!!アルマもカオルと遊ぶっ!!」


「「!?!?」」


 これにはさすがのジャックも焦りを隠せなかったようで……。


「ま、魔王様カオル様はまだレベルが────。」


「じぃじには今は興味ないの。退?」


 引き留めようとしたジャックだったが、アルマ様から放たれたとんでもなく強い殺気に当てられ口を閉じた。


「申し訳ありません。」


 そしてジャックは俺の方へと歩いてくると、耳元でぼそりと呟いた。


「ご武運をお祈りしております……。」


「え、ちょっ……!?」


 部屋の隅っこにジャックが移動すると、アルマ様が俺のもとにとてとてと歩いてきた。


「じゃあカオルっ!!いくよ~?アルマ負けないからね!!えいっ!!」


「はっ!?」


 可愛らしい掛け声から放たれたアルマ様の拳から、俺は今まで感じたことのないような冷たい何かを感じ取った。


(これを喰らったら……!!)


 すると考えるよりも先に体が動き、アルマ様の攻撃が届く前に大きく俺は彼女から距離をとっていた。


「あっ!!」


 そして拳を空振りしてしまったアルマ様が残念そうな表情を浮かべた次の瞬間……拳の直線上にあった部屋の壁が大きく凹んだ。それは先ほどジャックが指一本で開けたクレーターよりもはるかに大きい。


 それを見た瞬間体中から冷や汗が滝のようにだらだらと流れる。


(あ、あれを喰らっていたら……。)


 間違いなく死んでいた。最悪の未来もあり得たということを実感すると体の芯が凍り付くのを感じた。


「む~……カオルよけるのうまい。でもアルマ負けないもん!!」


 短い腕をぶんぶんと回し、まだ続ける意思を見せてくるアルマ様。正直さっきのは体が勝手に動いてくれたおかげで避けられたというだけで、完全にまぐれだ。


 


「いっくよ~!!」


(~~~っ!!また来るっ!!)


 そう意識しすぎたのが完全に裏目に出た、死を間近に実感したその時……足が動かなかったのだ。


「あ──────。」


 死んだ。


 そう理解した時、思考が急激に加速し世界がスローモーションのようにゆっくりに動く。脳が処理能力を限界まで働かせ今を生き残る術を模索する。


 そんなとき声が響いた。


『レベルが1上昇しました。レベル2になったことでパッシブスキルを習得しました。パッシブスキルは自動的に発動します。』


 誰の声かもわからない声が響いた瞬間、スローになった世界で体が動くことに気が付いた。


 俺は急いでアルマ様の直線上から移動し背後へと回った。すると、世界が元の速さへと戻っていく。


「あれっ!?」


 バゴンッ!!!!


 またしてもアルマ様の直線上にあった壁が大きな音を立てて凹んだ。


「む~~~~~っ……カオル、じぃじよりよけるのうまい~。アルマの攻撃当たんないの。」


 悔しそうに頬を膨らませたアルマ様。そしてプイっとこちらにそっぽを向けると部屋の出口に向かって歩き出した。


「カオル~アルマお菓子食べたい。ケーキ作って~。」


「あ、は、はいわかりました。」


 ケーキをオーダーして部屋を後にしたアルマ様。彼女がいなくなると、ジャックは俺のほうに歩いてきながら拍手をした。


「ホッホッホ、魔王様の攻撃を避けてようやくレベルアップとは……なかなかなかなか。」


「ホント、生きた心地がしませんでしたよ。」


「ですがこうして生きているではありませんか。それに魔王様も新しいおもちゃを見つけたように楽しそうでしたよ。カオル様はレベルアップができて、魔王様は新しい遊び相手を見つけることができた。まさに一石二鳥ではございませんかな?」


「じょ、冗談じゃないですよ。もう……。」


 途方もない脱力感に苛まれた俺はその場にごろんと横になる。


 本当ならこのまま横になりたいところだったが、アルマ様からケーキのオーダーも入っているし、昼食も夕食も残っている。


 こんなにハードな日はこの世界に来て初めてだ。


 って、思ったんだがどうして俺がドラゴンが守る黄金林檎を取りに行かなくちゃいけないんだ?レベルの高いジャックが行けばそれで済む話ではないのだろうか?


 後にそれをジャックに問いかけたところ、彼は────。


「私が赴けば魔王様の執事がいなくなってしまいますからな。ホッホッホ♪」


 と笑っていた。


(笑い事じゃないぞ全く……。)

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