第5話 反抗期と愛情過多なアリス
あの会議から三日後、ライラが執筆の手を止めて窓の外を覗くと、黒くて分厚い雲が南の方から流れてきていた。
「リー君、何だか風が強くなってきたみたい。そろそろ子供達を呼び戻しましょうか」
「そうだね。今日はお義父さんと釣りに行くとか言ってたもんね。流石にもう止めてるだろうけど、そろそろ帰って来させようか」
リアンは窓の外を眺めながらスマホを取り出して娘たちに電話をしたが、二人とも何故か電話に出ない。
「ライラ、二人とも電話に出ないんだけど……」
「え? 忘れて行ってるのかしら?」
「いや、ほら、二人のスマホホルダーに何も入ってないよ」
「ほんとだわ……」
玄関には二人分のアリス特製スマホホルダーがかけられている。出掛ける時はそこから自分達のスマホを取り出し、帰ってきたら戻す。バセット家ではそうしていると聞いて、早速リアンも実験している最中である。
あの戦争が終わって、世界は飛躍的に進歩した。最初は島の中でしか流行っていなかったスマホも乾麺も今では海の向こうの国にも流通しているし、妖精列車のおかげで簡単に海の向こうに渡れるようにもなった。
アリス工房は今やどこへ言ってもその名を知らない人は居ないと言っても過言ではない程の会社になっている。
それでも相変わらずバセット領はいつも節約と倹約と戦っているので、一体どこにその資金が流れているのかは誰も知らない。
「ちょっともっかいかけてみるよ――あ! ジャスミン! どうして電話に出ないの!」
電話に出なかった娘からの折り返しの電話に思わずリアンが怒鳴ると、隣からライラがそっとリアンのスマホを抜き取った。
「ジャスミン? 天気が悪くなってきたからローズ連れて帰ってきてくれる? ――うん、そうね。雨が降りそうだし、何だか荒れそうよ。ええ、待ってるわ、ありがとう」
いつもの様におっとりした口調でそのまま電話を切ったライラは、ふとリアンを見上げて困ったような顔をする。
「なに? どうしたの?」
「うーん……リー君、反抗期ってそろそろかしら?」
突然のライラの言葉にリアンはギョッとしたような顔をした。
「え!? は、反抗……期?」
反抗期と言えばリアンというぐらいリアンの反抗期は酷かった。少なくとも自分で自覚がある程度には酷かったように思う。
まさかついにパパなんて大っ嫌い! などと言われる日がやって来るとでも言うのか!? その時に果たしてリアンは耐えられるのだろうか……。
青ざめるリアンを見てライラは口元に手を当てて小さく笑う。
「そんなに心配しなくても大丈夫。でも……あの二人、多分嘘ついてるわ」
「嘘? なんで」
「だって、電話の向こうからアミナスの奇声が聞こえたのよ」
「えぇ⁉ は、反抗期より悪いよ! ちょ、待って! でもだとしたらあいつらから連絡あるはずじゃない!?」
「そうよねぇ……アリスもノア様もそういう所きっちりしてるし……それにうっすらだけどライアンの声もした気がするのよね……」
「……ライアンって……王子んとこの長男?」
「ええ。何だか変ね」
「何でまた王家と関りを持とうとするの、うちの子達は……」
未だにリアンは忘れていない。アリス達に巻き込まれた日々の事を。賭けても良い。一生忘れる事などない。
「リー君、あの子達が帰って来ても問い詰めないでね。私達に隠すって事は、きっと言えない事情があるんだと思うから」
ライラがそう言ってリアンの腰に抱き着くと、リアンは困ったように眉を下げてライラを抱き寄せて頷いた。
「それはライラの勘? 聞かない方がいいって事?」
「うん」
「そか。分かった。じゃあ聞かない。でも、危ない事してるようなら止めるよ?」
「それはもちろん」
「はぁ……な~んか嫌だね。妖精王は消えるし、子供達は嘘吐くし」
「でもリー君、私達もそうだったでしょ? そんな私達の子供だもん。しょうがないよね! キメッ!」
「悔しいけど……似てる」
アリスを心酔しすぎてアリスの物真似がどんどんうまくなるライラにリアンは苦笑いを浮かべつつ、ライラの頬にキスして仕事に戻った。
その頃王城では大騒動になっていた。ライアンが忽然と姿を消したのだ。
部屋には走り書きで『探さないでください。夜には』などと怪文書ならぬ、怪メモが置かれていた。
「ど、ど、どうしましょう! どうしたらいいの!? ルイス!」
「お、お、落ち着けキャロ! だ、大丈夫だ! 何も心配はない! 今城の騎士達を総動員してライアンを探させているからな!」
「電話してみればー? 持ってんでしょ? スマホ」
「それだ! カイン、お前はやっぱり賢いな!」
「いや、まず一番に気付くだろ? ほら、俺がしてやるよ」
部屋の中を行ったり来たりして、文字通り右往左往する二人を横目にスマホを取り出したカインは、ライアンに電話した。すると電話はすぐに繋がり、ライアンの元気な声が聞こえて来る。
「あ、ライアン? お前何やってんの? こんなメモ残して皆心配してんだぞ。え? ルークも一緒? フィルには言ってきた? あーそう。で、今どこ居んの? 二人ともそろそろ帰ってきなー」
呑気なカインと違い、ルークも一緒だと聞いたルイスとキャロラインは互いに顔を見合わせてホッと息をついた。キャロラインなど心配しすぎてその場に座り込んでしまう。
「キャロ、大丈夫か?」
「ええ……今になって母様と父様の偉大さを思い知ったわ……子供が出来ると、こんな事でハラハラするのね……」
言いながらキャロラインは学生時代の自分達の行動を思い出して胸を抑えた。
全てが終わった後、キャロラインは聖女として崇められたが、そこに至るまでに様々な事をしでかした。主にアリスが。
それを両親に伝えて頭を下げたが、両親は何も言わずにただキャロラインを抱きしめて言ったのだ。『無事で良かった……』と。
その言葉の重さを、今初めて実感したような気がする。
決して怒らず、責めず、ただキャロラインの安否だけを願っていた両親の愛情を思うと、胸が熱くなる。
「俺もだ。父さんもこんな思いをしたんだろうか」
「そりゃ俺達はもっと酷い事一杯しでかしたからな。俺なんて未だに全部話せてないよ」
二人を見て笑ったカインに、ルイスもキャロラインも苦笑いを浮かべて頷く。
あの時、自分達はまだ若かった。何でも出来ると思っていたし、何も怖い事など無かった。
でも今は違う。守らなければならない物が沢山あって、あの時のように好き勝手は決して出来ない。してはいけないのだ。
「はぁ……何だか無性にアリスに会いたいわ」
ポツリとキャロラインが言うと、ルイスがパッと顔を輝かせた。
「それなんだがな、キャロ。お前は少し働きすぎだ。だからこれ。さっき届いたんだ」
そう言ってルイスが取り出したのは、ありえないほどチャラついた手紙だ。差出人はもちろんアリスである。
白い封筒の真ん中にデカデカとキャロラインの名前が書いてあって、それを埋め尽くすかのように周りには気味が悪いぐらいの量のハートが描かれている。
それを受け取ったキャロラインは一瞬微笑みかけてすぐに引きつった。
「こ、これは……呪いの手紙か何か?」
「いやー、愛でしょ、多分」
「全く抑えきれてないな。駄々洩れだ」
白い封筒がほぼピンクのハートに埋め尽くされているのはなかなかのものだ。
「愛……愛ね……」
キャロラインは受け取った手紙を執務室の机の上にあったペーパーナイフで綺麗に切ると、早速中の手紙を開いて短く叫ぶ。
「こ、怖い!」
「手紙で怖いってなに――ひいっ!」
「何だ何だお前達、一体何が書いて――うわぁ!」
手紙の内容はとても簡潔だった。『女子会しましょ!』それだけの文である。それなのに何にそんなに怯えたのかと言うと……。
「こ、これも愛なの?」
「た、多分……気味悪いけど」
「よく思いついたな……文字がハートで出来ている……」
赤いペンで羅列されるハート文字。どれほどアリスが浮かれているかがよく伝わってくる。流石、画伯のセンスは一味違う。
キャロラインはため息を落としつつそれを封筒に仕舞うと、わざわざハンカチで包んでバッグに仕舞った。何だかんだ言いながらとても大切に持ち帰るキャロラインを見て、ルイスとカインは思わず笑ってしまった。
「ふっ、お前達は両想いだな」
「あっちからのキャロラインへの矢印は相当重いけどね」
「もうアリスは私にとっては大事な妹みたいなものですもの。それにこんな事、もうすっかり慣れてしまったわ」
どれほど躾けても言い聞かせても少しも言う事を聞かないが、こんな風に愛情を示されると何だかむず痒いキャロラインである。
未だにアリスはキャロラインに逢うといつも飛びついてきて匂いを嗅いで、それからずっと離れない。それが可愛いとすら思ってしまう自分も、きっと相当なのだろう。
とはいえ、この手紙は少し常軌を逸している気がするのでそれとなく注意しておこうと心に決めたキャロラインは、自分が知らぬ間に笑っている事には気付かなかった。
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