第5話【極東の侍と最期】

「はあ……はあ……」



 闘技場コロシアムから飛び出し、サカマキ・イザヨイは覚束ない足取りで静かな校舎内を彷徨う。


 ヴァラール魔法学院の夜は静かだ。闘技場に全校生徒が詰めかけているから、なおのこと静寂に包まれている。

 出来ればあのような観衆に晒された状況で戦いたくなかったが、それでも真っ黒な影の如き人物との剣戟けんげきは楽しかった。あれほどの強者と命のやり取りは心躍ったものだ。


 第七席【世界終焉セカイシュウエン】――七魔法王セブンズ・マギアスの末席をいただく、史上最強の無貌の死神。


 サカマキ・イザヨイとの戦いで第七席【世界終焉】の正体が、問題児筆頭であり主任用務員として勤務するユフィーリア・エイクトベルであると分かってしまった。今回の闘技場に乱入してきた問題児と最後の最後で戦う羽目になるとは思わなかった。

 イザヨイを終わりに導くべく第七席【世界終焉】として目の前に立ったが、口先だけよく回る弱い人物にイザヨイは興味ない。寡黙な第七席【世界終焉】の方がまだよかった。



「…………まだ、追いかけてくるのか」



 イザヨイは足を止め、薄暗い廊下の奥を見据える。


 窓から差し込む青白い月明かりが、余計に彼女の存在を浮かび上がらせる。真っ黒な外套コートを羽織り、頭巾フードで頭部を完全に覆い隠した無貌の死神。その手に握られているのは錆も曇りも見当たらない銀製の鋏で、身の丈を超す銀製の鋏を担いでイザヨイの前に立ち塞がる。

 第七席【世界終焉セカイシュウエン】――ユフィーリア・エイクトベル。やや俯きがちだった彼女はゆっくりと顔を上げ、きちんと自らの声を使って語りかけてきた。



「逃げるなんて酷え奴だな。どっちもアタシなのに」



 彼女の脇腹からは、未だに血が流れ続けていた。イザヨイが刀を突き刺したことで作られた傷だ。

 赤い絨毯に鮮血が滴り、毒々しい赤色に染める。下手をすれば失血死してしまいそうだ。


 第七席【世界終焉セカイシュウエン】――否、ユフィーリアは「口上ぐらいは許せよ」と普段の変わらない軽い口調で言う。



「ずっと隠してたアタシの素顔を暴いたんだからよ」


「それはすまないことをした」


「ンにゃ、いつかバレることだしな。遅いか早いかの話だ」



 ユフィーリアは両手に鋏を持ち、双剣の如く分割する。2枚の刃を留める螺子ねじが青い粒子を散らして弾け飛び、分かれた鋏が両手に装備される。



「強い奴の手にかかって死にてえんだろ?」



 視界を遮るからか、彼女は頭巾フードを脱ぎ捨てる。

 透き通るような銀髪が月光を反射し、高級人形を思わせる顔立ちが大胆不敵な笑みを浮かべる。常日頃から見かけていた余裕のある表情は、そこはかとなく強者の空気を感じる。


 色鮮やかな青い瞳でイザヨイを射抜くユフィーリアは、



闘技場コロシアムでは観客を楽しませる為に、多少は手加減してたけどな。ここにいるのはアタシとお前しかいねえ。――最期だから、本気で戦ってやるよ」


「今までは、本気ではなかったのか?」


「すぐに終わらせたら面白くねえからな」



 今までの戦いが彼女にとっての『遊び』だとするなら、これから見ることが出来る『本気』はどうなるだろうか。


 ピリ、と肌を撫でる緊張感にイザヨイの口元が緩む。

 強者の手にかかって死にたい――その願望は今もなお潰えていない。それを叶えてくれるのであれば、問題児でも七魔法王セブンズ・マギアスでもいい。


 目の前の相手は、それを叶えてくれるだろうか。



「ならば」



 イザヨイは握りしめた刀を正中に構え、



「いざ尋常に」


「勝負と行こうか」



 2人の間に静かな空気が降りる。


 相手の呼吸音すら聞こえる静謐せいひつに包まれた空間。窓から差し込む月明かりが雲で覆い隠され、廊下に闇が忍び寄る。

 雲が過ぎ去って青白い光が廊下に落ちると同時、先に動いたのはユフィーリアの方だった。



「ッ!!」



 強く廊下を踏み込み、真っ直ぐイザヨイの懐に飛び込んでくる。その速度はイザヨイの反射神経でも捉えることが出来ず、思わず目を見開いてしまった。


 速すぎる、闘技場コロシアムでは見なかった速度だ。

 身体を捻り、ユフィーリアの握る鋏がイザヨイの手首をまとめて切り落とした。肉塊が廊下に落ちると共に、刀が滑り落ちて情けない音を立てる。


 手首を切り落とされたことで、2度と刀を握れなくなった。切られた衝撃で尻餅をつきそうになるが、倒れ込む力を利用してイザヨイはユフィーリアの顎を爪先で狙う。



「ッ、とお!?」



 身を仰け反らせて回避したユフィーリアは、脇腹の傷が痛むのか「イッテェ」と呻く。


 宙返りで何とか無様に尻餅をつかずに済んだイザヨイは、体勢を立て直してどう攻撃するか知恵を絞る。

 刀を握れない以上、イザヨイに残された手段は格闘技しかない。拳を握ることも出来ないので、腕でぶん殴るとか蹴飛ばすぐらいの方法になってしまう。それだけで相手が怯むとは思えない。


 右腕を突き出して相手の出方を待つが、



「――――!?」



 ユフィーリアが向かったのは、壁だ。


 勢いをつけて走ると、その力を利用して壁を突っ走る。その動きはまさに曲芸じみていて、イザヨイも思考が止まってしまった。

 見事な壁走りを披露したユフィーリアはイザヨイの背後に着地すると、左手に握りしめた鋏を引き絞る。銀色の先端はイザヨイの右目を的確に貫き、視界がプツリと狭くなる。



「ぐあああッ!?」



 刺された衝撃でよろけるイザヨイに、ユフィーリアの追撃が加えられる。


 左手に握りしめた鋏を乱雑に引っこ抜くと、今度は右手で握りしめた鋏でイザヨイの左腕を切断する。二の腕から下がザックリと切られ、廊下に肉塊が転がった。

 血糊が付着した鋏で狙ったのは、イザヨイの右足である。よろけた表紙に振り上げられた右足を刈り取り、ごとりとイザヨイの太腿から下が切断された。


 平衡感覚を失ったイザヨイは、受け身を取ることさえ出来ずに廊下を転がる。左腕と右足をなくし、無様に仰向けで倒れたイザヨイの心臓に鋏を突き立てることで行動の自由を奪った。



「…………これが本気か」



 イザヨイは呆然と呟いた。


 普段の問題行動にばかり勤しむ問題児からでは想像できないほど素早く、それでいて明確に相手の自由を奪うような戦い方だった。闘技場コロシアムで必要最低限の動きだけでイザヨイの刀を回避し、それから反撃してくる戦い方は見せる為の演出だったと分かった。

 確かにこれでは観客たちもつまらないだろう。文句の嵐は間違いない。


 ユフィーリアはイザヨイの裂けた腹を踏みつけて、



「満足したか?」


「ああ……どう足掻いても敵わんということを自覚した」



 これほどの強者が相手では、さしものイザヨイも死を選択する。無様に命乞いをするつもりは毛頭ないが、最期の最後で待ち受けるのは暗い死だけだ。


 もう片方の手で握った鋏をイザヨイの喉元に添えて、ユフィーリアはじっとイザヨイを見下ろす。

 色鮮やかな青い瞳は、徐々に極光色オーロラの輝きを帯び始めていた。その幻想的な瞳はイザヨイの意識を吸い込みそうな不思議な感覚になる。



「終わると言ったな」


「おう」


「痛いか」


「痛くねえよ」



 ユフィーリアは極光色オーロラに輝く瞳を眇め、



「切腹して死んだ時よりな」


「知っているのか。拙者の、1度目の最期を」


「見えるモンで」


「そうか」



 痛くないのであれば、いい。


 イザヨイとて、別に痛いことが平気な訳ではない。死んでから痛みにとんと疎くなったが、死ぬことにも人並みの恐怖心はある。

 まして、イザヨイにこれから与えられるのは死よりもつらい最期だ。誰も覚えておらず、功績や家族の記憶さえも残らない処刑。世界から強制的に排除される瞬間は、誰だって恐ろしいと感じるものだ。


 本当なら泣き喚いて、暴れて、どうして自分がこうなるんだと理不尽に怒るべきなのに。そんな感情が何も湧かずに結末を受け入れることが出来るのは、最後を彼女に看取ってもらえるからだろうか?



「お主は、覚えているか」


「おう」



 ユフィーリアは寂しそうに微笑み、



「世界でただ1人、アタシだけがお前のことを覚えてる」


「拙者の他に、お主が終わりへ導いたのは何人だ?」


「お前を頭数に入れれば、ちょうど100人」


「そうか」



 100人の最期を覚えているとは、この死神も記憶力がいいらしい。


 全ての人間が、等しく彼女の終わりを受け入れるとは思えない。誰もが理不尽に叫んで喚いて怒って、それから最後の最後で世界を呪いながら退場していくのだ。

 世界から「不必要だ」と言われるようなことをしてきたイザヨイたち罪人が悪く、世界からイザヨイたち罪人を終わりに導くように求められた彼女は何も悪くない。


 イザヨイも、数え切れないほどの人間を殺してきた。殺すだけしか出来ないイザヨイは世界から「必要ない」と言われても仕方がない。



「拙者の最期を背負わせてしまいのが、申し訳ない」


「謝るなよ。慣れてるさ、100人も終わりに導いてるんだから」


「お主はそう思っているかもしれないだろうが、100人の死を背負うのも重たい呪いだ」



 普段は飄々としているけれど、誰も覚えていない終わらせた100人の記憶があるのは想像できないほど重いものだと思う。それは彼女を縛り付ける呪いであり、今後も世界が続く限りは膨れ上がっていく呪詛だ。

 やがてそれは、彼女自身を押し潰してしまう。イザヨイの死を含めたそれは、第七席【世界終焉セカイシュウエン】の役目を追うユフィーリア・エイクトベルという魔女を追い詰めることになろう。


 ユフィーリアは「馬鹿だな」と呟き、



「お前は気にしないでいいのに」



 ゆっくりと持ち上げられる死神の鋏。


 月明かりを受けて幻想的に輝くそれを見上げ、イザヨイは深く息を吸い込んだ。

 イザヨイの身体から伸びている、色とりどりの糸が見える。ユフィーリアの視線はそれに固定され、鋏が断ち切ろうとしているのもイザヨイの身体から伸びる糸の群れだ。



「あばよ、サカマキ・イザヨイ」



 振り下ろされた鋏が、いとも容易くイザヨイの身体から伸びる糸の全てを切断した。


 その瞬間、身体が軽くなる。

 足の感覚が消え失せ、徐々に空気の中へ自分の身体が溶け込んでいくような気配があった。匂いも遠くなり、視界も霞み、音も聞こえなくなってしまう。


 これが終わりの感覚か。



「――――ありがとう」



 最期を見届けてくれて。


 最期を背負ってくれて。



 ――――ぷつん。

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