第8話【問題用務員と解除薬】

「おあああ……」



 死者蘇生魔法ネクロマンシーの対応に追われ、軽度の魔力欠乏症マギア・ロストを引き起こしながら用務員室に戻って、泥のように眠ってから翌朝のことだ。


 硝子製の壺に、純白の花弁が特徴と睡蓮が咲いていた。

 水面に揺蕩たゆたう睡蓮の花は非常に綺麗で、幻想的な雰囲気がある。1粒の黒い種を落として育成増進魔法を全開でかけ、それから24時間が経過してようやく咲いた奇跡の花。


 解除薬の調合に必要な白蓮の花が、ついに咲いたのだ。



「やったーッ!!」


「ばんざーい!!」



 育成増進魔法をかけたユフィーリアと、白蓮の花見守り隊隊長のエドワードは揃って万歳三唱で開花を喜んだ。


 長かった、ここまで物凄く長かった。

 正直な話、魔力の使用割合を3分の1ぐらい使ったのだ。育成増進魔法をかけながら死者蘇生魔法ネクロマンシーだの自動手記魔法だの様々な魔法を使えば、魔力欠乏症マギア・ロストにも陥る。普通なら中度から重度の魔力欠乏症に陥って、保健室に担ぎ込まれていたところだ。


 24時間に渡って育成増進魔法をかけ続け、苦労して咲かせた白蓮の花を前に問題児のツートップは揃って涙ぐみ。



「頑張ったよォ、育成増進魔法をかけながら死者蘇生魔法ネクロマンシーと自動手記魔法を並行させるとか2度とやりたくねえよォ」


「ようやく元の姿に戻れるねぇ、ユーリ。解除薬を調合しなきゃねぇ」


「そうだな。でもその前に――」



 ぐぅ、とユフィーリアとエドワードの腹から音が鳴る。


 死者蘇生魔法ネクロマンシーの対応が終わってから2時間程度しか寝ていないのだ。死者蘇生魔法とはそれほど時間がかかるし、大規模な儀式である。

 いくら問題児とて人間だ、ほとんど睡眠を取らなければヘロヘロになるし腹も減る。時刻はちょうど朝食の時間に差しかかろうとしているので、ちょうどいいと言えばちょうどいいのか。


 ユフィーリアとエドワードは口を揃えて、



「腹減ったァ」


「お腹空いたねぇ」


「悪いエド、今日の朝飯当番は任せていいか? アタシはこれから解除薬の調合をするわ……」


「朝から大変だねぇ。分かったよぉ、軽く何か作っちゃうねぇ」



 料理が出来るエドワードがまだまともな若返り方をしてよかった、とユフィーリアは心の底から思った。おそらくアイゼルネと同じぐらい若返っても中身がエドワード本人であれば問題ないだろうが、彼がいてくれなければユフィーリアは解除薬の調合どころではなかった。


 さて、最後の仕上げである。

 若返った姿も、これでおさらばだ。解除薬を調合して、それからグローリアや他の魔法薬を食らった犠牲者どもの顔面にも叩きつけてやらなければならない。


 眠たい頭を揺らしながらユフィーリアは大釜を用意し、



「ふあぁ……避妊具ってどこにやったかな……」



 顔面に叩きつけるんだったら、ついでに大量購入した避妊具を使って水風船再来である。多分、いや絶対に学院長から怒られるだろうが夜遅くまで死者蘇生魔法ネクロマンシーに付き合わせた腹いせである。



 ☆



 魔法で生み出した水を大釜へ投入し、温度を操作して煮立たせる。

 アリオストロの花とメジェドの実を微塵切りにしてグツグツと煮えるお湯の中に放り込み、雪の結晶が刻まれた煙管キセルをくるりと1回転させると煙管の動きに合わせて鍋の中身も掻き混ぜられる。


 グツグツと煮えるお湯はアリオストロの花とメジェドの実を投下したことで薄緑色の液体になり、柑橘類と薄荷ハッカ類を掛け合わせたかのような香りが鼻孔をくすぐる。目が覚めるような匂いである。



「えーと、白蓮の花弁を4枚っと」



 壺の中で揺れる白蓮の花から花弁の部分だけを4枚摘み取り、ユフィーリアは薄緑色の液体が煮える大釜の中に入れた。ふわふわと花弁が舞い落ち、薄緑色の液体に触れると再びお湯の色が変化する。

 薄緑色から濃い緑色に変貌を遂げた。匂いも柑橘類と薄荷類の中に、花のような香りも混ざり合う。単体で嗅げばいい香りなのだが、それら3つが掛け合わさると悪臭に感じられる。


 噎せ返るような魔法薬の匂いによって完全に目覚めたユフィーリアは、窯の中身を掻き混ぜながら「最後に」と小瓶に手を伸ばす。



空華クウカの蜜を垂らして――」



 薄青のドロリとした液体が揺れる小瓶を逆さにして、釜の中に垂らす。

 空華の蜜が投入されたことで濃い緑色から色鮮やかな白色に変化する。緑色から白色に変化する事象が考えにくいことだが、魔法薬では普通にある現象だ。驚くことはない。


 材料を全て大釜で煮詰めたら、あとは呪文を唱えて魔法薬の効能を整えるだけだ。



「〈混ざれ〉〈混ざれ〉〈等しく〉〈混ざれ〉」



 白色の液体が揺蕩たゆたう大釜の上に雪の結晶が刻まれた煙管をかざし、くるりくるりと回しながら詠唱する。

 煙管の動きに合わせて白色の液体が渦を描き、中身を均等に掻き混ぜていく。「〈境目はなく〉〈境界は曖昧に〉〈等しく〉〈混ざれ〉」とユフィーリアは詠唱を続けた。


 今回はくしゃみにも気をつける。こんなところで失敗したら白蓮の花を咲かせた意味がなくなる。



「〈それは全ての術を解く〉〈全ての怪しきものを消す〉〈全てを元通りに戻して〉〈正しく在るべき姿に返す〉」



 釜の中で揺れる白い液体がキラキラと光を帯び始めた。

 掻き混ぜていくうちに輝きが増していき、眩しくて思わず目を細めてしまう。匂いも薄荷のような香りが強くなり、柑橘類と花の香りは僅かに感じる程度に落ち着いている。


 釜の中を掻き混ぜる手を止めず、ユフィーリアは最後の呪文を唱えた。



「〈調合メディケア・魔法薬効果中和剤〉」



 これが解除薬の正式な名称である。小難しい言い方では説明が面倒なので、魔女や魔法使いの間では解除薬という名称を使うのが常識だ。


 釜の中に作られた薬品がぽひんと間抜けな爆発音を立てて、白色の液体からキラキラと輝く透明な液体に変わって調合が終わった。

 スッと鼻を通り抜けるような匂いが釜の中から漂ってくる。匂いを嗅がなければ水と相違ない見た目をしている。不純物も見当たらず、調合は完璧に終了したようだ。


 ツイと煙管を動かして大釜の中に揺れる解除薬を掬い上げたユフィーリアは、あらかじめ用意しておいた試験管の中に詰め込む。



「よーし、終わり」



 グッと背伸びをすれば、骨がゴキゴキと音を立てた。調合に集中していたからか、ドッと疲れが襲いかかってくる。空腹も通り越してもはや吐き気を催してきた。

 凝り固まった目頭を揉み、ユフィーリアは出来上がった解除薬を見やる。試験管の中に揺れる透明の液体は、頭から被れば若返りの魔法薬の効果を打ち消して元の姿に戻してくれるはすだ。


 あとは犠牲者分の解除薬を避妊具の中に詰め込んで、水風船(笑)にすれば完成である。遊び心あるお届け方だ。



「ユーリぃ、終わったぁ?」


「おうよ」



 居住区画から顔を覗かせてきたエドワードに解除薬を詰めた試験管を掲げれば、彼は「おおー」と軽く拍手してきた。



「それを飲めば戻るのぉ?」


「頭から被れば戻る」


「飲まないんだぁ?」


「馬鹿野郎、飲んだら不味いだろうが」



 ユフィーリアは魔法薬の味が嫌いである。あの酸っぱ苦い味は何度経験しで慣れない。

 なので、魔法薬は頭から被る形式に限る。朝から酸っぱ苦い味の魔法薬を口の中に入れたくない。絶対に飲むより先に吐く自信がある。


 エドワードは「ふぅーん」と頷き、



「じゃあ早くみんなを戻してあげなきゃねぇ、朝ご飯冷めちゃうよぉ」


「いつも通りに作ったのか?」


「作っちゃったもんねぇ。みんなが戻ってくれないと俺ちゃんが全部食べちゃうよぉ」


「そりゃ大変だ、急いで戻すか」



 ユフィーリアは3つの試験管に解除薬を詰め、居住区画に足を踏み入れた。


 朝日が窓から差し込む明るい居間に、朝ご飯の開始を待っているアイゼルネ、ショウ、ハルアがお行儀よく長椅子ソファに並んでいた。アイゼルネはまだ眠いのか落ちそうになる瞼を擦り、ショウとハルアは眠気に抗えず二度寝をしてしまっている。

 ユフィーリアの存在に気づいたアイゼルネが「おはヨ♪」と眠たげな声で挨拶し、



「その試験官は何かしラ♪」


「解除薬」



 ユフィーリアはアイゼルネに試験管を手渡すと、



「頭から被れば元の姿に戻るぞ」


「なるほド♪ 飲まなくていいのは便利だワ♪」



 アイゼルネはそう言って、何の躊躇いもなく頭から解除薬を被った。


 ぼひん、と音を立てて白い煙が彼女を包み込む。

 煙が晴れると、長椅子ソファには球体関節が特徴的な義足を装着した全裸の美女が、悠々と足を組んで腰掛けていた。目に優しくない明るい緑色の長髪と見る角度によって色を変える幻想的な双眸はそのままだが、顔立ちは子供らしさがなくなり大人の色気を漂わせる妖しさがあった。


 ただし、彼女の左頬は盛大に裂けてしまっている。縫い糸によって縫合されているものの、それはかなり痛々しい傷跡として存在していた。



「いやン♪」



 緑髪の全裸美女――アイゼルネは自分の顔を覆い隠すと、



「すっぴんなんだから見ないでヨ♪」


「今に始まったことじゃねえだろ」



 ユフィーリアは魔法でアイゼルネの被っている南瓜のハリボテと踵の高い靴を転送すると、



「ほら、さっさと着替えてこい。素敵な肉体美が全開だぜ」


「あらやダ♪」



 南瓜かぼちゃの被り物で頭を覆い隠し、いつものアイゼルネの姿に戻った。踵の高い靴へ慎重に作り物の両足を差し入れれば、彼女は長椅子ソファから軽やかに立ち上がる。

 何故か全裸になっても隠すどころか見せつけてくるアイゼルネは、意気揚々と寝室に作られた衣装部屋に向かう。「やっとお洒落が出来るワ♪」などと言っていたが、彼女に恥はないのか。


 寝室に姿を消すアイゼルネを見送って、ユフィーリアはハルアとショウにも解除薬をぶっかけてやった。



「ほら、起きろ起きろ」


「むいー……?」


「はえー……?」



 ぼひぼひん、と2度ほど間抜けな音が立ち、白い煙がショウとハルアを包み込んだ。

 白い煙が消えてなくなると、今まで身体に巻き付けていた布だけを纏った状態のショウとハルアが長椅子ソファに座っていた。ハルアは琥珀色の双眸を瞬かせているが、ショウはまだ眠そうである。


 ユフィーリアは「おはようさん」と挨拶し、



「お前ら、素敵な格好をしてるからさっさと着替えてこいよ」


「素敵な格好!?」



 ハルアは自分の身体に視線を落とし、黒いつなぎを大事な部分に巻きつけただけの格好しかしていないことに気づいて「やべえ!!」と叫ぶ。



「ショウちゃん、オレたち全裸だよ!!」


「ぜんら……?」



 まだ夢の世界に片足を突っ込んだ状態のショウは眠たげに欠伸をするが、自分の現在の状態にようやく気付いたようだ。赤い瞳を見開き、それから肉付きのあまりよろしくない身体に視線を落とす。

 彼の場合は、メイド服に付随する白いエプロンドレス以外は何も身につけていなかった。これぞ本当の裸エプロンである。朝から何という刺激の強い格好だろう。


 ショウは頬を真っ赤に染め上げて、



「ひぎぃッ!?!!」


「ハル、ショウ坊を衣装部屋に連れて行ってやれ」


「あいあい!!」



 元気よく返事をしたハルアは、恥ずかしさのあまり固まってしまったショウを抱えて衣装部屋のある寝室に飛び込んでいった。衣装部屋は男女で分かれているので、着替え中のアイゼルネとかち合うことはないだろう。


 見慣れた朝の騒々しさが戻ってきて、ユフィーリアはどこか安堵したように笑った。

 子供の時も可愛かったけれど、やはり普通が1番だ。

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