第2話【問題用務員と現世帰還】

 ――時刻は30分前に遡る。



「あー……」


「うえー……」


「ほへえー……」


「あらー♪」



 延々と続く階段をひたすら上り続けるユフィーリアたち問題児は、5分ほど経過した辺りで死んだ魚のような目をしていた。


 階段が長すぎるのだ。

 確かに冥府の底から地上に戻るのだから、階段はかなり長いと見ていいだろう。ただ限度がある。何事にも限度がある。身体能力や体力はヴァラール魔法学院の中でも飛び抜けているとはいえ、5分以上も階段を上り続けていれば飽きが来る。


 そんな訳でついに階段を上る足取りが重くなり、ユフィーリアたちはダラダラと駄弁りながら淡々と階段を消費していくだけに徹していた。



「飽きたわ……飽きた……やばい疲れてきたここで休んでいいかな」


「止めてよぉ、後ろがつっかえてるんだからぁ」



 南瓜かぼちゃ頭の娼婦を抱えながら長い長い階段を上るエドワードが、ユフィーリアの尻の辺りを膝で小突いてくる。付き合いが長いのでこんなことが出来るのだ。


 ユフィーリアは「イッテェな」と苦情を垂れながらも、階段を椅子の代わりにして座り込み始める。雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥え、ミントのような清涼感のある煙を燻らせる。

 もう完全にお休みモードである。階段は意外と幅があるので避けて通ることは出来るのだが、問題児筆頭にして主任用務員のユフィーリアが動かなければ部下たちも機能しない。


 ――問題児と用務員の説明が逆だと? 問題児の側面が強すぎるので、残念ながら正しいことだ。



「景色も変わらなけりゃ階段も終わらねえ。もうダメだ、ただ階段を上り続けるだけの人生で終わるんだ。アタシは終わりだ」


「こんなところで人生を諦めてるんじゃないよぉ。ほら立ってぇ、立って階段を上るんだよぉ」


「やだぁ」



 ユフィーリアはついに階段へ寝そべり、



「アタシの屍を越えていけよォ」


「ハルちゃん、踏みつけてあげてぇ」


「ちょ、止めろハルは洒落になんねえ」



 エドワードに言われて前に進み出てくるハルアが、ゆっくりと右足を持ち上げた。狂気的な笑顔のままなので、おそらく彼は本気で踏みつけてくる。

 手加減の出来ない馬鹿だと有名な彼に腹でも踏まれた暁には、内臓が出てしまう可能性も考えられる。ハルアに手加減を教えても絶対に覚えない。


 ユフィーリアは仕方なく起き上がるが、階段から立ち上がろうとはしなかった。もう完全に姿は学院の片隅で嗜好品を吹かす不良である。



「転移魔法も使えねえし、浮遊魔法も無理だろ。ていうか魔法全体が無理だろ、ここ」


「せめて転移魔法でも使えればいいんだけどネ♪」


「アイゼ、お前はエドに担がれてるだけじゃねえか」


「おねーさん、急いで階段を上るのは無理ヨ♪ 踵が高い靴を履いてるもノ♪」



 エドワードに担がれて『階段を上る』という作業を回避するアイゼルネは、



「でもユーリ♪ ショウちゃんを助けたいんでショ♪」


「まあな」


「じゃあ頑張って階段を上らなきゃいけないワ♪ この先でショウちゃんが待っているわヨ♪」


「…………」



 アイゼルネに言われ、ユフィーリアはようやっと階段から立ち上がった。


 そう、目的は地上で今も冥砲ルナ・フェルノに身体を乗っ取られるショウの救出だ。

 だから理不尽な対価を提示してきた冥王ザァトをぶん殴って、冥府を脱走してきたのだ。彼を助ける為ならなりふり構っていられないのである。



「よし、お前ら行くぞ」


「はいよぉ」


「あいあい!!」


「れっつごー♪」



 問題児が再び階段を上り始めると同時に、彼らの背後から「おーい」と呼びかける声が聞こえてきた。

 何かと思って振り返れば、どこか見慣れた髑髏どくろの仮面が迫ってくる。装飾品の少ない地味な神父服に身を包み、胸元では錆びた十字架が揺れている。艶やかな長い黒髪を靡かせ、顔全体を覆い隠す髑髏仮面は不気味な雰囲気が漂う。


 冥王第一補佐官であり、ショウの父親であるキクガが追いかけてきていた。ユフィーリアは顔を引き攣らせる。



「やべえお前ら早く上れ!!」


「ま、待ち、待ちたま、げほごほッ」


せてる!?」



 冥王第一補佐官のキクガに捕まれば、確実に冥王ザァトの元まで引き摺られてしまう。ここまで上ってきたのに、冥府へ逆戻りだけは勘弁願いたいところだ。

 問題児どもは慌てて冥王第一補佐官から距離を取ろうとするが、咳き込み始めたキクガを心配して足を止める。捕まるのは嫌だが、ショウの実父がそのまま崩れ落ちないか心配っちゃ心配である。


 少し距離を置いて立ち止まるキクガは、脇腹をさすりながら呼吸を整える。彼もまた長い距離を上ってきた様子で、肩で息をしていた。



「う、運動不足が、祟ったか……私も若くない訳、だが……けほッ」


「見た目は若そうなのに、何でそんなおっさんみたいなことを言ってんだよ。頑張れ、頑張れ」


「い、息が……地上まで階段が長すぎる……冥王様に報告して、何とか改善せねば……」



 鈍くさと階段を上ってくるキクガを出迎え、ユフィーリアは「何しに来たんだよ」と言う。



「冥府に連れ戻すことを画策してるなら、今すぐここで置いていくからな」


「私も同行させてほしい」



 髑髏どくろ仮面で覆われた顔を上げ、キクガは言う。



「冥王第一補佐官として責務を果たすのであれば、私は君たちを冥府に連れ戻すことが正しいのだろう。冥王様を殴った罪を償わせることもしなければならないが」



 呼吸を整えたキクガは、そのまま言葉を続けた。



「それ以前に、私はショウの父親だ。息子を助けない父親がどこにいる」



 その言葉には、父親としての強い意思があった。


 冥王第一補佐官として仕事をするのであれば、キクガはユフィーリアたたち問題児を冥府へ引き摺り戻して冥王ザァトに振るった暴力を反省させるべきなのだろう。真面目で仕事熱心な彼であれば、その可能性もあった。

 だが、彼は冥王第一補佐官の仕事よりも父親としての役目を選んだ。ユフィーリアたちが可愛い新人のショウを想うように、キクガも父親として息子のショウを想っているのである。


 ユフィーリアは口の端を吊り上げて笑い、



「さすがだな、さすが父親」



 キクガの肩を軽く小突くユフィーリアは、



「よし、じゃあ親父さんも行こうか」


「その前に待ってくれないか」


「どうしたよ」



 制止を求めてきたキクガに、ユフィーリアは首を傾げる。



「……ちょっと疲れたので、休憩をしていかないかね……?」



 キクガの声は、物凄く細かった。今にも消えそうなほど細かった。

 思えば運動不足だ何だと言っていたが、そんな彼にこれほど長い階段を上らせるのは酷ではないだろうか。ユフィーリアたち問題児だって景色が変わらないことから飽きが回ってきたのだから、よくもまあ追いかけられたものである。


 ユフィーリアはガタガタと震えるキクガの膝を一瞥し、



「エド、担いでやれ」


「はいよぉ」



 ヘロヘロな状態になってしまったキクガをエドワードが担ぎ、問題児たちは再び階段を上り始めた。



 ☆



 それからたっぷり30分も階段を上り続け、ようやくユフィーリアたちは地上に到着した。


 目の前を塞ぐ見上げるほど巨大な観音開き式の扉を蹴り開け、ユフィーリアは「だあああッ!!」と叫びながら地上に転がり込む。

 さすがの体力自慢な問題児たちも、30分以上も長い階段を上り続ければ限界を感じるものだ。今にも地面に倒れ込んでしまいたい衝動を抑え、肩で息をするユフィーリアは苦情を叫ぶ。



「階段が長えッ!!」



 改めて現状を確認すると、意外と悲惨な光景が広がっていた。


 王城よりも立派なヴァラール魔法学院の校舎が、ごうごうと燃える紅蓮の炎に包まれていた。肌を焼くほどの熱気が伝わってくる。

 かろうじて校庭に逃げただろう生徒たちや教職員は呆然と燃え盛る校舎を眺めていたが、それ以前に視線が上空に固定されている。


 深呼吸をするユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、



(ショウ坊……)



 真っ黒に塗り潰された黒い空に、歪んだ白い三日月が浮かぶ。

 その白い三日月に寄り添っているのは、黒く長い髪をなびかせて雪の結晶が随所に刺繍されたメイド服に身を包んだ少年である。


 色鮮やかな赤い双眸をユフィーリアに向け、少女めいた顔立ちには表情という表情が抜け落ちている。操り人形の如き雰囲気を漂わせる彼は、音もなく瞳を眇めて地上に立つユフィーリアを見下ろしていた。



「ソイツはウチの大事な新人だ」



 雪の結晶が刻まれた煙管キセルを、白い月に寄り添う少年に突きつけて宣言する。



「返してもらおうか」


「『冥府へ落としてやったはずなのだがなぁ、これほど早く現世に戻ってくるとは思わなんだ』」



 歪んだ笑みを見せるショウ――いいや、冥砲めいほうルナ・フェルノは彼自身のものとは思えないほど低い声で言う。



「『神の兵器たる我に立ち向かうのは、些か命知らずではないか?』」


「何とでも言え」



 ユフィーリアは冥砲めいほうルナ・フェルノを睨みつけ、



「ショウ坊を助ける為なら、命ぐらい張ってやらァ!!」



 そう叫んで、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を振った。



「…………あれ?」



 煙管をじっと見つめたユフィーリアは、何かがおかしいことに気づく。


 浮遊魔法が使えないのだ。

 試しに「〈浮遊せよ〉」といつもは使わない浮遊魔法の呪文を唱えてみるが、やはり同じように不発で終わった。浮遊魔法が発動する寸前で外部からの邪魔が入る様子だった。



「じゃあ転移魔法……」



 雪の結晶が刻まれた煙管を握り直し、ユフィーリアは「〈転移シフト〉」と唱える。


 しかし何も起きなかった。

 もう、悲しいぐらいに魔法が空回りしてしまった。煙管を2度、3度と振ってみても無反応である。


 言いようのない空気がヴァラール魔法学院の校庭に降りる中、冥砲めいほうルナ・フェルノの嘲笑が耳朶に触れた。



「『転移魔法も浮遊魔法も、我が使用を禁じたわ。阿呆め』」


「お前、本気で殺してやるからなッ!!!!」



 普段はどうとも思わない羞恥心で頬を赤く染め、ユフィーリアは冥砲めいほうルナ・フェルノへ怒りをぶつける。

 冥王ザァトへの対価としてパンツを捧げようとした魔女と比べれば、問題児筆頭にも恥の感情はあったのかと驚愕する。彼女にも羞恥心というものが存在していたらしい。


 腹を抱えて笑う冥砲ルナ・フェルノに対する殺意を漲らせ、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を握り直すのだった。

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