第5話【問題用務員と冥府転移門】

「なるほど」



 ボロボロの布で全身を覆った、20の眼球を持つ黒いもや――冥王ザァトは自身の右腕たる第一補佐官からの報告を受けて納得したように頷いた。



「冥府落ちの被害者である彼らを、冥府転移門で地上に送り届けてほしいということか」


「はい」



 悍ましい姿をした冥王ザァトを前に、第一補佐官として長いこと勤務していたキクガは堂々とした態度で応じる。接し方も慣れている様子だった。


 一方で問題児であるユフィーリアたちは、冷や汗を流しながら事の次第を見守っていた。

 何せ相手は冥府を統治する王様である。世界が作り出されたと同時に冥府も確立され、その時代から冥府を統治した偉大なる王様だ。冥府に於ける冥王ザァトの権力は絶対であり、彼が言い渡す判決は外れた試しがない。


 もし普段から問題行動に勤しんでいることが知れて、冥王ザァト直々にお説教という羽目になったら笑えない。海より深く反省しても立ち直れないだろう。



「第一補佐官である其方そなたの頼みでも、代償なしに冥府転移門を使用させるのは無理がある」



 冥王ザァトの回答は、否だった。



「代償を支払うのであれば、冥府転移門を使って地上まで送り届けよう」


「そんな……」


「分かってくれ、キクガよ。これは冥府に於ける規則だ。冥府落ちの被害者からは無傷で地上に送り届ける代わりに、何かをここで支払って貰わなければならないのだ」



 愕然と呟くキクガへ言い聞かせるように、冥王ザァトは静かな口調で説明する。


 こうなることは分かっていた。

 世界というものは意外と融通が利かない。冥府は代表的な例として見えるだろう。神様が冥府に落ちてきても容赦なく代償を支払わせたのだ、ユフィーリアたちだけ代償が免除される訳にはいかない。


 なおも冥王ザァト相手に食ってかかろうとするキクガの肩を叩き、ユフィーリアは「大丈夫だって」と言う。



「パンツを脱げばいいんだろ?」


「それをやらせたくないからこうして交渉しているのだが?」



 至って真剣な表情で言うキクガ。


 それもそうだ、下着は社会的なアレやソレの象徴である。衣類を着ているとはいえ、いくら何でも下着がなくなったら色々と問題がある。

 ユフィーリアたちだって脱がなくていい状況なら脱ぎたくないものだ。それでも代償を支払わなければならないのだから、仕方がない状況である。決して窮地を楽しんでいる訳ではない、断じてない。


 清々しい笑顔で洋袴ズボンに手をかけるユフィーリアたち問題児は、



「あ、今日のパンツっていつもの黒いレースの奴だ」


「俺ちゃん今日はお星様の柄なんだけどぉ、それでいいのかねぇ?」


「今日のパンツは猫の肉球の奴だよ!! 結構自信あるよ!!」


「あら大変♪ おねーさんのパンツ布面積が少ないのだけど大丈夫かしラ♪」


「ノリノリで下着を脱ごうとしないでくれたまえ。穿いてなさい、ちゃんと穿いて――ハルア君は脱ぐんじゃない!!」



 いそいそと下着を犠牲にしようとする問題児どもを一喝したキクガは、



「冥王様、お考え直しください。そうでなければ本気で彼らは下着を代償に支払いますよ!!」


「そ、それは脅しか!? 我を変態に仕立て上げる為の脅しなのか!?」


「いいえ本気です!! 本気でパンツが冥府転移門を使用させる代償として機能すると信じていますよ、いいんですか脱ぎますよ彼らは!?」


「我も下着を代償に支払われても困るのだが!?」



 冥府で1番偉い存在と2番目に偉い存在なのに、下着の着脱如きで目を回すほどの慌てっぷりを見せる。これは本当に下着を対価として捧げた場合、どんな反応を見せるのか気になるところだ。


 キクガと冥王ザァトの反応があまりにも面白いので、ユフィーリアは笑いが止まらなかった。魔法が使えるこの状況で下着のみを脱ぐ魔法もあるにはあるのだが、やはり他人が死ぬほど焦っている場面は面白い。この光景をおかずに食事が出来そうだ。

 いざ洋袴ズボンに手をかけたユフィーリアだが、ビタリとその手が動かなくなる。意識では動かそうとしているのだが、身体が言うことを聞かない。



「危なかった。こんなくだらない場面で冥王権限を使うとは思わんかった」



 黒いもやを噴き出しながら、冥王ザァトは「ふぅ」と安堵の息を吐く。



「冥王権限ってのは、あれか。冥府を統治する王様だけが使える、冥府にいる全員に対する絶対命令権か」


「如何にも」



 威厳があるように応じているものの、先程までは下着を脱ぐか脱がないかで慌てていた奴と同一人物とは思えないほどの落ち着きっぷりだ。


 とりあえず、冥府側からすれば地上送還の対価が下着で支払われなくて済んだことに安心している様子である。キクガも胸を撫で下ろしていた。

 冥府に存在する全員に対する絶対的な命令権が『冥王権限』と呼ばれるものだ。冥府にいる限りはユフィーリアたちも冥王の命令には従わなければならず、冥王権限はどんな命令でも自分の意思に反して遂行してしまうのだ。


 ユフィーリアは「ちぇ」と言い、



「じゃあ何なら対価になるんだよ。言っておくが金ならねえぞ、給料を7割減額されて財布の中身はすっからかんなんだから」


「ほう、自ら対価を差し出すその心意気は買おう」



 冥王ザァトは威厳のある口調で応じ、小枝のように細い指先を弾いた。


 冥王権限で縛られていた身体が自由を取り戻し、ユフィーリアたち問題児は下着を対価として支払うことを取り止める。

 このまま冥王権限で遊んでいる場合ではなかった。早く地上に戻って、冥砲めいほうルナ・フェルノに巻き込まれたショウを助けなければならないのだ。



「では対価を指定しよう」



 冥王ザァトはまず最初にアイゼルネを指差し、



「アイゼルネ、其方そなたには靴を差し出してもらおう」


「あラ♪」



 冥王ザァトが示したのは、アイゼルネが履くかかとの高い靴だった。やたら踵の部分が高く、なおかつ細いので常人に履きこなすのは難しい代物となっている。



「おねーさん、これがなくなると歩けなくなっちゃうワ♪」


「知っているとも。だから指定しているのだ」



 襤褸布の向こうに並ぶ20の眼球が、揃ってぐにゃりと曲がる。



其方そなたの両足は本来義足であり、自由に動かすことが困難だ。其方が自由に歩けているのは、其方の履く靴のおかげに他ならない。自由に動く足を犠牲にするのであれば、地上に無傷で送り届けよう」



 何も言い返せなくなるアイゼルネの次に冥王ザァトが指定したのは、状況が読めず笑っているハルアだった。



「ハルア・アナスタシス、其方そなたにはつなぎを対価として支払ってもらおう」


「やだ!! これユーリが仕立ててくれたんだもんね!!」



 ハルアは自分のつなぎを守るように抱きしめ、



「それならパンツでもよかったじゃん!!」


「阿呆め、下着など対価の代わりにはならんわ」



 冥王ザァトは低い声で笑い、



其方そなたのつなぎは礼装として機能しておる。それも上等な礼装だ、加えて衣嚢ポケットに色々と仕込んでおるようではないか? それらを丸ごと対価として差し出せば、地上に無傷で送り届けよう」



 反論しようとするハルアを「次だ」の一言で黙らせ、冥王ザァトはエドワードを指差す。



「エドワード・ヴォルスラム、其方そなたには首から下がった口輪を対価として支払ってもらおう」


「ええ?」



 対価に指定されたのは、エドワードの太い首から下がる犬の躾に用いられる口輪だ。これが対価になるのかと問われれば、彼の場合はなってしまうのだ。



「これは俺ちゃんの首輪だからぁ、簡単にはあげられないよぉ」


其方そなたの口輪は撃鉄の証と同時に、制御の証でもある。本来の能力を存分に発揮する際に口輪が必要となってくるだろう? 対価として口輪を捧げ、本来の能力を捨て去ると言うのであれば無傷で地上に返そう」



 最後に指定されたのは、ユフィーリアだ。小枝のように細い指先が、銀髪の魔女を示す。



「ユフィーリア・エイクトベル、其方そなたには瞳を対価に差し出してもらおう」


「…………へえ?」



 ユフィーリアは音もなく青い瞳を眇めた。

 確かに、この色鮮やかな眼球なら対価にもなろう。加えてユフィーリアから五感のうちの1つ――視覚を強制的に奪うのだ。地上に送り届ける対価にしては随分と代償が大きすぎる。


 なるほど、とユフィーリアは納得した。冥府落ちをした人間や神々たちは、この理不尽な要求を馬鹿正直に飲んだと言うのか。実におかしな連中である。



「なるほど、なるほど。アタシから視界を奪う、と。――それが何を意味しているのか理解して言ってるんだろうな?」


「無論だ」



 鷹揚と頷いた冥王ザァトは、



其方そなたの瞳には何にも変え難い価値がある。色彩も鮮やかであり、なおかつその瞳には奇跡が宿っている。これ以上の対価はない」



 ユフィーリアは静かに助走距離をとった。



「視界を奪うという点でも、紛れもなく対価となろう。何せ2度と陽の目を見ることは出来ないのだからな」



 ユフィーリアは力強く駆け出した。



「両方の眼球を対価として捧げるのであれば、無傷で地上に送りグボべハァッ!?」


「ナマ言ってんじゃねえぞ、このクソ煙野郎がよぉッ!!」



 冥王ザァトの前で跳躍し、戯言を語る冥王ザァトの横っ面にユフィーリアは助走をつけた渾身の右拳を放った。

 玉座から転がり落ちる冥王ザァト。煙如きに殴れる感触があるのかとユフィーリア自身も驚いたが、大きすぎる代償は死んでも払いたくない。


 見上げるほど巨大な冥王ザァトの執務机に着地したユフィーリアは、玉座の後ろに同じく見上げるほど巨大な扉があることに気づく。

 扉の表面には、物凄く綺麗な文字で『冥府転移門』とあった。これが冥府転移門なのか。



「お前ら行くぞ、対価なんて支払ってられるか!!」


「はいよぉ」


「分かった!!」


「はぁイ♪」


「ま、待ちたまえ!!」



 冥王ザァトをぶん殴って、指定された対価も支払わず冥府転移門の前に立つ問題児たちに、キクガは制止するように呼びかけた。



「冥王様を殴るのは立派な大罪だ、君たちは自分のしたことが分かっているのかね!?」


「問題児が規則だの何だのに縛られるかよ」



 キクガを睨みつけたユフィーリアは、



「アタシはショウ坊を助けに行くんだ、なりふり構っていられるか!!」



 閉ざされた冥府転移門を解錠魔法で施錠を外し、ユフィーリアは見上げるほど巨大な扉を開く。

 その先で待ち構えていたのは、どこまでも続く長い階段だ。途方もなく続く階段を越えた先に、地上への出口が待っている。


 唖然と立ち尽くすキクガに「じゃあな、親父さん!!」と別れの挨拶を済ませ、ユフィーリアたち問題児は地上を目指して階段を駆け上がり始めた。

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