ep5.檸檬飴③

 ウォーミングアップをすませたあと、ほかの部員に混じってシュート練習に参加させてもらった。レイアップシュートというやつだ。ゴールまでドリブルをしていってシュートを打つわけだが、ドリブルはすっぽ抜けて明後日の方向に飛んでいき、打ったシュートは百発百中でリングに当たって跳ね返された。こんなスポーツの何が楽しいんだ。

「織部、だいぶ運動音痴だな」

 僕が舌打ちを喉の奥で必死に噛み殺しながらボールに遊ばれていると、すぐ傍で高森がおかしそうにくつくつと笑った。高森が放ったボールが吸い込まれるようにゴールに入り、パスッ、と小気味よい音を立てる。

 高森は僕よりも断然うまかった。ドリブルは安定して続いていたし、シュートも三回に一、二回くらいは決めている。狐先輩からも褒められていたし、佐宗も感心した様子だった。ちなみに二人からの僕に対するコメントはなかった。ドンマイ、とだけ言われた。一生分のドンマイを聞いた気分だ。すでにドンマイに食傷している。

 もう僕抜きで、高森はこのまますぐに入部すればいいんじゃないかと思う。

 先ほど僕が同意を求められたのは、体験入部の練習メニューについてだった。これから行うレイアップシュートに参加してもらおうと思っているのだがどうか、と訊かれたのだ。僕は練習内容に口だしできるほどバスケに精通していないし、そもそも体験に来ている立場なのだからいいも悪いもない。言われたことに従うだけだ。

 順番にシュート練習を行うため、並んで自分の順番を待ち、シュートを打ち終わったらまた列の最後尾に戻る。練習の流れとしてはそのような感じだった。それを延々と繰り返す。僕たちもほかの部員に混じってその列に加わっていた。

 シュートを打ち終わった僕と高森は、また順番待ちのため列の後ろについた。部員は互いに声かけなどを行っていたが、高森はやや声を低めて僕との会話を続けてくる。

「織部、体育の授業のときもできるだけ動こうとしないもんな。すごい省エネだなって見てていつも思ってた」

「球技が嫌いなだけだ。ほかのスポーツならもう少しマシにやれる」

「たとえばどんな?」

「ひたすら、走るだけとか」

 ただし持久力はそこまで続かない。省エネですませられるのならそうしたいのも事実だった。

 高森は僕の言葉に納得したように何度か頷いた。

「まあ、織部はチームプレイよりも一人で黙々とこなすほうが性に合ってる感じはする」

「よくわかってるじゃないか」

 だいたい僕は人付き合いが得意ではないのだから、チームを組むスポーツなどどう考えても不向きなのだ。考えなくても不向きだ。バスケもサッカーも野球も例外ではない。逆立ちしたってそれは変わらない。

 なぜ僕はこんなところでバスケ部の練習に参加して、ボールに遊ばれ醜態をさらしているのだろうか。今さらながらものすごく疑問になる。とても無意味だ。少しむなしい。

「佐宗がボールを触ってたときは何だかボールが別の生き物みたいに思えたもんだけど、僕が触っても別の生き物だったな。気性は全然違うけど」

「織部のボールはじゃじゃ馬だな」

「うるさいな。ちょっと黙れよ」

「……自分から言いだしたんだろ」

 まわりに聞こえないように声を低めているとはいえこんな話を狐先輩に聞かれたらことだと思ったが、真剣に練習に打ち込んでいる様子だったのでおそらく聞いてはいなかっただろう。僕たちが不真面目すぎるのだ。

 狐先輩がシュートを打つと、部員がことさら沸いた。先ほど体育館の隅で練習風景を見学しているときに佐宗はうまいものだと思ったが、狐先輩はそれ以上だった。

 ボールを手にすると少し人が変わったようになる気がする。糸目は開かれて、さながら獰猛な狐だった。そして正確に次々とシュートを決めていく。ふだんはあざとい狐といったふうだ。狐であることに変わりはない。


 三十分くらいボールに遊ばれ続けて、僕のバスケ部への体験入部は終了した。途轍もなく長い時間のように思えたし、途中からはただの苦行だった。疲労感が半端ない。軽い気持ちで高森に付き合ってしまったことを後悔する。

「よかったらまた来てね」

 狐先輩は人当たりのいい笑顔を向けて僕と高森にそう言った。獰猛な狐からふだんのあざとい狐に戻っていた。最初のころに比べて口調も少しくだけている。

「ありがとうございます」

 明るい声で答える高森に合わせて、僕も隣で小さく頭を下げる。まあもう来ることはないだろう。高森にしてみても礼は言ったが、「はい」とは言わなかった。

 邪魔にならないように体育館の隅に移動してジャージから制服に着替えた。佐宗からの誘いは突然だったのでタオルなどの用意がなく、僕は体操着の裾をつまんで上下に煽ぎ、風を送ってひとしきり汗が引くまで待った。

 動きまわったためにずいぶんと汗を掻いた。ふだん体育の授業でもこんなに汗みどろにはならない。省エネで通しているからだ。僕にしては真面目に付き合ったものだと思う。こめかみをつうっと汗が伝い、ジャージの袖で拭った。

 僕と高森が抜けたあとも部員たちは変わらずに練習を続けていた。僕は三十分ばかり運動しただけですっかりバテているが、部員たちの動きは少しも衰えていない。よくこれだけスタミナが続くものだなと感心する。これが運動部と帰宅部の違いなのだろう。

 見学前に自動販売機で水を買っておいたのは正解だった。僕は蓋を開け、一気に半分くらいを飲んだ。鞄に入れたままの水はだいぶ温んでいたが、それでもカラカラに乾いた喉を潤すにはじゅうぶんだった。

 高森もジャージから制服に着替え終わると、同じように購入していた水を喉を鳴らして飲んだ。

 そこへ、佐宗が小走りにこちらに向かってくるのが見えた。

「今日はありがとうな」

 僕たちの前で立ち止まり、胸の前で両手を合わせて拝むかたちをつくる。立ち止まったときに運動靴の底と床が擦れて、キュッと高い音が鳴った。視線を合わせるために背中をまるめて、やや前屈みの姿勢になっている。

「ほんと、助かった。先輩も機嫌よさそうだったし」

「それならよかったよ」

 答えるのはやはり高森だ。楽しそうに笑顔で佐宗と話している。僕は高森の横で二人のはずむ話を聞きながら、ぼんやりとしていた。かたちだけは会話に参加しているていをとる。

「本当に入部してくれたらもっといいんだけどな」

 佐宗はそう言ってにやりと笑った。高森はそれに対しては笑顔のみで返した。佐宗も本気で言っているわけではないだろう。それに高森はともかく、僕が入部したところでてんで役立たずだ。そもそも僕には言っていないのかもしれないが。

 僕たちは佐宗に見送られて、体育館をあとにした。狐先輩も心やすげにひらひらと手を振ってくる。僕と高森はそれに会釈で応じた。

 そういえば顧問教諭は僕たちが練習に参加しているあいだには来なかった。けっきょく、誰が顧問なのかわからずじまいだ。

 教師というのも重労働だなと思う。

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