奏とカメムシと 後編 その5

 実は最近、僕の中で夢に対する考えに変化が生まれてきた。

 こうして一緒に過ごしていると、平凡な毎日の中にある、ちょっとした瞬間の出来事に反応して、ケラケラと楽しそうに笑ってる僕たちに気付く。

 今も、こんな変な動きをして、僕の笑いを誘おうとしてる奏を見てるのは凄く幸せ。

 出逢ってから今日まで、そんな小さな幸せが毎日のように沢山あった。

 反面、この一年間。自分なりに色々と考えて俳優活動を続けてきたけど、実際に目に見えて納得できるような結果は、出せなかった。

 大好きな舞台に上がりながら、関西ローカルでだけでも、映像、歌の営業、ラジオ、それなりにマルチに活動がしたい。そして、奏と不自由なく幸せに暮らせたらなんて理想は、理想でしかなかった・・・

 夢を叶えたいって想いに縛られず、どこかで正社員として働きながら金銭面で余裕を持つ。奏と小さな幸せを積み重ねていくほうが、二人の未来にとっては遥かに大事なのかもしれないなって。そう感じるようになってきた。

 俳優業は、もしかしたら、あと数年泥水をすすればって所まで来ているのかもしれない。でもこの先、明確な保証はない。

 たとえ事務所を移籍したとしても「かもしれない」を信じて、あと何年掛かるかも分からないのに「続けさせてくれ」だなんて、こんなおどけた表情や幸せそうな寝顔を見ていると、言えなくなる・・・

『ひとさん』

「ん?」

『オナラした?』

「いつも出る時、出るって言うもん」

 冤罪だー! と叫びながら、ニヤニヤクスクスしている奏に歩み寄り、臭いの正体はとクンクンしていると、それはすぐに見つかった。

 あぁ・・・

「そこ」

『ん?』

「ほら、左向いてみ。窓んとこ」

 視線の先には、襖の敷居辺りで触覚を動かしながら静止している黒い物体が一匹。

『うぉ、カメムシだ』

 あれ・・・予想外の反応・・・・・・

『ひとさん驚かそうとしたでしょ』

「バレてたか」

『ふふん』

「よくGじゃないって分かったね」

『顔がにやけてたもん。旅館の人呼ぶ?』

「ううん」

 窓を開けただけでは素直に出ていってくれそうになさそうだ。

 僕はティッシュを2枚ほどシュッシュッと手に取ると、なるべくフワッと優しくカメムシを包み込んであげた。

『どうするの?』

「救出」

 そう言って窓から腕を突き出す。

 そっと開けたティッシュから顔を出した、親指の爪ほどの小さな小さな生命体。

 月明かりに照らされて静かに佇む旅館の一室から、喫驚きっきょうした叫び声と、その後を追うようにゲラゲラ爆笑する笑い声が聞こえてくる。

「僕目がけて飛んでくることある!?」

『アハハハハハ、アハハハハハ』

 トリッキーな動きで奇襲を仕掛けてきたカメムシは、二度目は素直に緑色の羽を大きく広げ、月明かりに誘われるようにブーンと飛び去ってくれた・・・

『いなくなったね』

「うん、飛んでった」

『恩返しにくるかな?』

「帰ってくんな」

『ひとさん、お腹減ってきた』

「え、早くない?」

『運動がてら温泉街まで散歩しようよ』

「そうしましょうか」

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