第3話【薄幸人妻エレオノーラ】甦る女の貌
私はなんてふしだらな母なんだろう。
自分が男を愛すことはもう二度とないと思っていた。
二回だ。
すでに二回も夫と死別しているのだ。
愛する者を失う経験。
もうこれ以上、同じ痛みに耐えられる自信がない。
最愛の娘たちの前では、心配させまいとして平静を装っているが……影でエレオノーラは毎晩涙で枕を濡らしていた。
再婚してやっと平穏な家庭を築き、娘たちと幸せに暮らしていけると思っていたのに。
(ああ……どうしてアナタ。どうしてこんなにも早く私たちを置いて……)
最初の旦那と死別したあと、エレオノーラは女手一つで三人の娘を育ててきた。
だがいつまでも頼りがいのある存在抜きで生きられるほど、エレオノーラも決して強かではなかった。
それは娘たちも同じだった。
一度は娘たちと一緒に故郷の実家に帰ることも真剣に検討した。
だがやはり住み慣れた土地で生きるほうが娘たちにとってはいいだろう。
再婚すべきだ、とエレオノーラは決断した。
もちろん迷いはあった。
だが自分と娘の将来のことを考えれば、父親はやはり必要だ。
婚活パーティで出会った男性と親しくなり、エレオノーラは再婚した。
成人しているにも関わらず自室にずっと引きこもっている息子がいることは少し気になったが、夫自身は誠実で真っ直ぐな人物だったからきっと再婚生活に心配はないと、そう信じていた。
なのに……。
再婚相手の死後、追い打ちをかけるように起きた、あのおぞましい義理の息子による暴走。
警察の捜査によって見つかった、異様なまでの執念で書かれたとしか思えない数冊のノートの内容を知って、エレオノーラは身震いした。
なんと恐ろしい。
自分だけでなく、愛する娘たちも、あの異常な息子の毒牙にかかっていたかもしれない。
思い出すだけでゾッとしてしまう。
だがそれも、隣に住む逞しい少年のおかげで救われた。
名を
長女の娘と同じ学園に通う特待生で、勉学スポーツともに優秀とのことだ。
はじめて挨拶をしたときから、歳のわりにしっかりした若者だと思った。
……そして、どこか最初の旦那と面影が重なった。
おかしな話だ。まったく容姿も似ていないというのに。
だが、なんというか……纏う雰囲気が、とても高校生のものではなく、まるで成熟した大人の男性のような貫禄があったのだ。
そう、か弱い女性を包み込み、無条件で守って癒してくれるような……。
実際、彼は自分たち親子を危機から救ってくれた。
あんな事件があったばかりで、本来なら異性を家に上げることには生理的な抵抗感が起こるはずだが……不思議と誠一相手にそういう感情が湧くことはなかった。
それは娘たちも同様だったらしい。
下の姉妹たちが以前から少年に懐いているのは知っていたが、男を遠ざけがちな長女までもが誠一の前ではしおらしい乙女になってしまうのは意外だった。
三姉妹ともども事件による恐怖から若干男性不信に陥っていたが、誠一に対しては強い信頼をいだき、今や彼の存在が心の支えとなっているようだった。
誠一とはまだ僅かなご近所付き合いしかしていない。
それでも、こんな短い間に娘たちが心を許すほど、彼は頼りがいのある心優しき少年だった。
エレオノーラも、彼が高校生だとわかっているのに、つい誠一に甘えてしまっていた。
ゴミ捨て場で意気消沈しているところを偶然見られて以来、何かと自分を気にかけてくれる誠一。
自分の代わりに晩ご飯を用意してくれたり、仕事帰りの自分を温かい笑顔で労ってくれたり、こっそり深夜に酒の肴を用意して娘の前では打ち明けられない話を、彼は真摯に聞いてくれた。
酒のせいもあったが、いい歳をした大人が高校生相手に随分と情けない姿を何度も曝してしまった。
でも、なぜか誠一と一緒に居ると、まるで同年代の男性と話しているような錯覚に陥り、ついつい普段言わない弱音を打ち明けてしまうのだった。
そんなエレオノーラに対し、誠一は決して迷惑そうな顔は見せず、むしろますます慈悲深い心持ちで向き合ってくれた。
「俺みたいな小僧じゃ旦那さんの代わりになれないと思いますけど……たまには、誰かに甘えてもいいと思いますよ?」
穏やかな声でそう言ってくれた誠一。
気づけば彼の胸の中で泣いていた。
数年間、秘め隠していたものが一気に弾けるかのようだった。
少年の胸は広かった。
ああ、彼も立派な男なのだと感じた
このいっときエレオノーラはただのか弱い女となり、少年に縋り付いた。
いけない。
自分は強かな母でいないといけないのに。
二度も父親を失い、凄惨な事件に巻き込まれかけた娘たちのためにも自分がしっかりしないといけないのに。
なのに、ああ……
「ずっと、がんばってきたんですね。せめて俺の前だけでは、無理しないでください。俺でよければ、いつでも力になりますから」
ダメ。ダメよエレオノーラ。
わかってるでしょ?
彼は娘たちにとって特別な存在。
母親なのだから、娘の思いはとっくに察している。
だから、こんな気持ちをいだいてはダメ。
そうでしょ? 親子ほど歳の離れた男の子にこんな……。
だから考えてはダメ。
ときどきでいいから、こうして甘えさせてほしいと考えては。
その逞しい腕でもっと強く抱きしめて欲しいと思っては。
ダメなのに……ああ……。
なんて、なんて安心する温もり。
こんな気持ち、いつ以来だろうか。
もっと、もっと欲しい。
この一瞬だけは、どうか、強かな母でなくなることを許してほしい。
エレオノーラの中で、少年の存在が強く根付いた夜だった。
それ以降、エレオノーラは少年に会うたび、理性を総動員しなくてはならなかった。
でないと、また我を忘れて縋り付いてしまいそうだった。
とある日、仕事から帰宅し、先に汗を流そうと脱衣所に向かうと……ちょうど上半身裸の少年と対面した。
「あっ! す、すみません! さっき上着にジュースを零してしまって。洗濯機と風呂を使っていいって言われたんでお借りしようと……」
「い、いえ。私こそごめんなさい、気づかなくて」
エレオノーラは火照った顔をすぐに逸らした。
自分はいったい何を動揺しているのだろうか。
こんな生娘みたいな反応をして。
相手は高校生の少年だというのに。
……しかし、少年の肉体は日頃から鍛えられているためか、なんとも見事な筋肉で、エレオノーラはそこから強い『雄』の気配を感じてしまっていた。
ドクン、と自分の中で眠っていた何かが起きようとするのを、エレオノーラは感じ取った。
「ごめんなさい、やっぱり自分の部屋の風呂使いますね? すぐ出ますから」
そう言って慌てて汚れた衣服を着ようとする少年を、エレオノーラは気づくと手で制していた。
「そのままでは風邪をひいてしまうわ。お風呂はどうか遠慮なく使って。上着は洗濯しておくから」
「え? でも、お仕事でお疲れでしょ? すぐに汗を流したいんじゃ……」
「もう。べつに気にしなくていいの。あなたはもう家族も同然なんだから、好きに使っていいのよ?」
まるで自分に言い聞かせるように、エレオノーラは言った。
少年は数度逡巡したようだったが、さすがに身体が冷えてきたためか「では、お言葉に甘えて……」と頭をさげた。
一度脱衣所から出て、シャワーの音が扉越しから聞こえてきたところで再び入室する。
ジュースで汚れた上着を手に取り、洗濯機に入れようとする。
しかし、その手はピタリと止まった。
かすかに少年の温もりが残った上着。
あの夜のことが思い出される。
(ダメよ。何を考えているの? こんな、こんなこと許されるわけが……)
思考とは裏腹に、エレオノーラの手は勝手に動いていた。
ジュースで汚れていようが構わず、衣服を鼻許に近づけ、すーっと息を吸い込む。
ジュースの柑橘系の匂いと一緒に香ってくる、少年の匂い。
ゾクリと背筋に甘い痺れが奔る。
「ああ……そんな、ダメよ……私……こんな……ああっ」
二度も旦那を失ったあと、ずっと押し隠してきた、自分のもうひとつの一面。
……それが、ムクリと顔を出して起き上がる。
「ああ、誠一くん……私、私ぃ……」
下腹部に熱が集まっていくのを感じる。
もう二度と火は着かないと思っていた衝動。
あるいは、自ら押し込めて封印していた本性。
いま再び呼び覚まされた気性は狂おしいほどまでに少年の残り香を求め、若々しさが衰えない豊満な肢体に蕩けた蜜のような快感をもたらす。
鏡に映った自分の顔と目が合う。
エレオノーラは唖然とした。
「ああ、なんてこと。私……私ったら……」
鏡に映った人妻の表情。
それはまぎれもなく、オスを求めて発情するメスのソレであった。
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