「姫君が僕の忠誠を信じて待ってる」……「知り合いの婆さんが猫の餌係を探してた」……「それが狙いよ」……「ここの飯旨かったのにな」……「四人いるーーーー!」

 あの日まで、「旅に出る」なんて思ったこともなかった。考えていたのはただ一つ。


 金が欲しい。


 金が欲しい金が欲しい金が欲しい。


 何度唱えてもちゃり~~んと湧き出したりしないのがお金の特徴だ。金さえあったら、こんな牢屋暮らしもせずに済んだのに。みんな貧乏が悪いんだ。


 だけど牢屋暮らしも意外と悪くない。いや、むしろ意外と良い! 牢屋がこんなにいいとこだとは思ってもみなかった。部屋は暖かいし、ベッドも柔らかい。飯も一日二回出る。金は使わないで済むし。貧民街の俺の隙間風が吹き込むあばら屋に比べたら、こっちの方がよっぽどいいご身分だ。こりゃ貧民街で悪いことする奴が減らないわけだ。取っ捕まった罰がこんな天国じゃあ……それとも、ここは特別な部屋なのかな。貴族とかを入れる牢屋に間違って入れられたのかも。あの騎士様、けっこう抜けてるとこあるからな。それとも貧民用の牢屋が満員だったからこっちに入れられたのかも。


 親父が生きてるうちに、こんな部屋で過ごさせてやりたかった。病気であっさり死んぢまって、おかげで俺は苦労する。まあ、この歳まで育ててくれたのには感謝してるけど。


 ノックの音がした。「おう」って返事をすると、食事のトレイを持った騎士様が入ってきた。


「いやーごめんごめんちょっと遅くなっちゃった。何せほら、姫君が僕の忠誠を信じて待ってるからどうしてもいろいろね。パッと片付けちゃいたいんだけど」


 この騎士様は口数が多い。いつも姫君姫君って、女の話しかしない。こんな頼りない奴が騎士やっててこの国は大丈夫なのかなー。騎士様、両手が塞がっているせいか、後ろの鍵も閉めないままだ。俺が本気出したら、こんな緩い牢屋すぐ飛び出しちゃうぞ。居心地いいからやらねえだけで。待てよ、誰も脱獄しないんだからいい牢屋なのか?


 騎士様は、テーブルにお盆を置いた。野菜のスープに、丸パン、それから何かの肉の串焼き。俺、こういう料理とかの名前全然知らねえけど、すごく旨そう。


「ここって意外と豪勢なもん食ってんだな。家にいた時よりよほどいいや」


 騎士様はにっこり笑顔を見せる。こうして見るとなかなかいい顔だ。


「そう言ってもらえると作りがいがあるね」

「ええっ? あんたが作ってんの?」

「ああ、うん、そうね。趣味みたいなもんで。ほら、僕の姫君が手料理食べたいって言うもんだから、愛のために練習してたら作るの楽しくなっちゃって。パッと作るの楽しいよ」


 ますます変な騎士様だ。パンをかじって、串焼きを一口。


「ふーん、なかなかやるじゃん。騎士団を首になったら、料理人の働き口を用意してやるよ」

「えっ、ホント。いやーそりゃ助かっちゃうな。万が一の時はよろしく頼むよ」

「貧民街の知り合いの婆さんが猫の餌係を探してた。紹介してやるよ」

「猫の餌かー。作りがいありそうだなー。美味しくなかったら彼ら食べないもんね」


 変な騎士様だなー。


「……いや冗談だよ。婆さんの食堂で料理人探してたんだ。婆さんの飯も悪かねえけど、もう歳だもんな。あんたが行ったら喜ぶよ。食い物屋じゃないけど、雑貨の爺さんも荷物が重たいって若いの探してたな。あんたなら力仕事も務まるし、娘さんいい人だから、うまく行けば嫁にもらえるかもしれないぜ。いつも変なのに絡まれて困ってっから、元騎士様が旦那になったらそういうのも減るかもな。あとは……」

「君は知り合いが多いんだね。しかも困ってる人の話が多い」

「ん? ああ、まあそりゃな。生まれてこのかた、貧民街で暮らしてんだから。それに、親父がそういうのに首つっこんでたからな」

「お父上が? たしか、昨年病気で亡くなったと言ってたね」


 俺は吹きだしてしまった。


「お父上、とか、亡くなった、なんて大層な親父じゃねえよ。あの親父にゃ『くたばった』くらいがお似合いさ。最後は病気でちょっと冴えねえけど、貧民街じゃちょっとした顔だったんだぜ。困った連中の面倒みたり、ごろつきを追い返したりさ。いつもは右手で剣を握ってるのに、本当は左手の方が強いんだ。『左剣のマイルズ』ったら、あの辺じゃ有名よ」

「マイルズ? それは……」


 その時、扉が開いた。これまでも、この騎士様と話してる時に別の騎士が入ってくることはあったけど、必ずノックはしてた。だから俺は「騎士にもノックしない無作法な奴っているんだな」って思った。ところが、入って来たのは、妖魔族の爺さんだった。


 騎士様は立ち上がって向き直った。


「誰だ? いや待て、まず私から名乗るのが礼儀だな、ここは一発パッと名乗ろう! 私は由緒正しきティルト王国が誇るティルト騎士団ポートン駐留軍第一司令部を預かる、姫君と相思相愛で忠義の」

「お前に用はない。少し寝てろ」


 妖魔族が右手で騎士様を指さすと、指先からシュッと霧のようなものが吹きだして、騎士様の顔にかかった。


「ふにゃっ」


 変な声を吐いて騎士様はふらりと倒れ込む。


「危ねっ」


 俺はとっさに滑り込んで、騎士様が床に頭をぶつけるのだけは防いだ。


「お前! 何すんだよ!」


 妖魔族のジジイに向き直る。妖魔族のいるバディアル連合とは戦争中だからこの辺りではめったに見かけないが、貧民街には少し隠れ住んでいる。少し緑がかった肌の色をしていて、たいてい痩せ気味だ。戦争相手の民だから街の中のまっとうな仕事にはなかなか入れてもらえないで、貧民街でつるんで細々とやってる連中だ。


 だけどこのジジイは、貧民街にいるようなあぶれ者とは雰囲気が違った。身なりもしっかりしているし、ちょっと偉そうだ。ジジイは俺に向かってこう言った。


「この部屋から出してやろう。どこにでも行っていいぞ」

「ああん? 出るか出ねえかは俺が決める。この騎士様に何したんだよ」

「なあに、寝てるだけだ。無駄に死なせるのは趣味じゃないんでな」

「なんだってこんなことをするんだ」

「お前さんにゃ関係ないがのう、牢から罪人を全員解放して、騎士団の名誉を失墜させてやるのよ。騎士団は面目丸つぶれ、それが狙いよ」

「……てめぇ、悪い奴だな」

「ああん? お前、罪人だろう? 出してやると言っとるのに何を怒っとる?」

「こんのクソジジイ……」


 俺は飛びかかった。この程度のジジイ、一人でぶっ飛ばしてやるつもりだったが、突然、ジジイの足元から何かがとび出してきて、俺を弾き飛ばした。


 緑のふにゃふにゃした塊が柱みたいに立って、ジジイを守っている。なんだこりゃ。得体のしれない化け物だ。


「まあいい、勝手にしろ。わしは忙しい。他の奴も牢から出してやらんといかんのでな」


 ジジイはさらばとでも言いたげに手を振ると「行くぞヴィクトリア」と緑のぶよぶよ柱と一緒に部屋を出て行った。俺も後を追って部屋をとび出した。脱走じゃねえぞ、こいつをつかまえるんだからな。


 ジジイは二つ隣の扉の前に立っていた。ぶよぶよが、扉の鍵をがちゃがちゃやって鍵を開けたらしい。ジジイは扉を開いて言った。


「出してやる。好きなところへ行け」


 ジジイはそのまま、扉を離れて歩き出した。その扉の中からのそのそと出て来たのは、貴族風の赤い装束の男……それから、メイド服を着た女だった。メイドはほうきを手に持ち、背中に長柄のブラシをくくりつけている。


 なんでこんなとこに貴族? ここやっぱり貴族向けの牢なのか? でもほうき持ったメイド? しかも同じ牢に? 貴族って牢屋にもメイド連れてくんの?


 俺が首を傾げている間に、ジジイはさっさと歩み去ろうとしていた。その後ろからぶよぶよの柱がキイキイ声で何か話しかける。ジジイが立ち止まって言った。


「鍵が開いとった? そんなわけあるか」


 会話に割り込むようにして、赤い装束の男が「うーん」と言って背伸びした。ツンツンに立てた変な髪型をガシガシとかいている。


「あーあ、ここの飯旨かったのにな。しょうがねえ仕事の時間だ。クロ、行け」

「はいケーシー様」


 俺は目はいい方だ。飛んでくる小石を見て避けることもできるし、飛んでる虫をやっつけるのも得意だ。だけど、このメイドが一瞬でジジイの目の前にとび出した時、まるで動きが見えなかった。ほうきの棒が槍みたいにしなってジジイを突く直前、間に緑の柱が割り込んで防いだ。続けてメイドがジジイに蹴りを入れようとするが、やはり緑のぶよぶよが伸び上がってそれを止めた。


 メイドは蹴りの後、そのまま後ろに跳ぶと、ふわり、と俺の目の前に着地してほうきを構えた。すごい。たぶん、親父と良い勝負かもしれない。それももしかしたら左手の親父と。妖魔族のジジイがうなった。


「貴様ら何者だ?」


 赤い装束の男はあくびをしながら剣を抜いた。


「アーちゃんのお願いでな。あんたの好きにさせたらダメだとさ」

「くーーーー! 女神アージェナのカキンシャどもか。ぺっぺっぺっ」


 ジジイはよほど頭にきたのかさかんに唾を吐いている。汚えな。


 カキンシャ。異世界から召喚された連中のことだ。女神アージェナによりこの世界に召喚され、悪と戦う。アージェナから与えられた力で、常人を越えた能力を持つという。俺も噂で聞いたことはあるけど、実際見るのは初めてだ。


 カキンシャってことは異世界の人間だから貴族じゃないな。その派手な服、お前の趣味なの?


「わしの計画の邪魔はさせん。お前達、やってしまえ!」


 緑の柱がいきなり床から3本ニョキッと生えてきた。赤装束とメイドが打ってかかる。


「ジジイ! 三対二なんてずるいぞ!」


俺が叫ぶと、ジジイは言い返した。


「なーんもずるくないわい! そっちだって三人いるだろがー!」


 えっ? 赤装束にメイドに……


「俺ーーーー!?」

「ほーれ見い。ちゃんと三人おるじゃろがーい!」


 俺は焦った。言われてみれば、さっきからメイドは俺の前に陣取って、おれを守るようにして戦っている。二人組は息の合った戦いで緑ぷにぷにを寄せ付けないが、このままじゃやばい。


 俺は部屋にもう一度駆け込むと、寝ている騎士様の武器を探った。ちょうどいい短剣があった。これ借りるね。廊下に戻って短剣を構える。なぜだか嬉しそうに赤装束が話しかけて来た。


「おっ。やんのか小僧。それ、使えんのか」

「わからねえ。けどやるしかないだろ! これで三対三だ!」

「それを言うなら四対三ですね」

「えっ?」

「あちらは四人いると思いますが……何か変なことを言いましたか?」


 メイドに言われてあちらを見る。緑柱三人、ジジイ一人。


「四人いるーーーー! ジジイ! てめえだましたな!」

「かーかかかかか。わしゃ年寄りじゃから数えんのじゃ」

「勝手なこと言うな! 子供も普通は数えねえだろ!」

「お前ら普段から仲いいのか?」

「いいわけないだろ! こんなジジイと!」


 俺が怒鳴り返すと赤装束は「おおこわ」とでも言うように肩をすくめた。


「かっかっか。こちらが四人だけと思っとるのか?」

「何だと?」

「ババアでも連れてきたのか?」

「うううううるさーい! わしゃ生涯独身じゃい。わしのこの魔法生物ヴィクトリアがいれば十分。残りのヴィクトリアたちが、既に囚人どもの錠を破壊した。奴らは中庭から脱出する手はず。さあ見て絶望するがいい! 騎士団の失墜を目の当たりにするのじゃー! 名付けて『大脱走大作戦』じゃーーーい」


 ジジイは中庭に通じる扉をボカーン!とぶっ壊すと、緑柱たちと一緒にとび出していく。


「し、しまった!」


 俺はあわてて後を追う。しかし、中庭に飛び出した俺が見た光景は、予想とちょっと違っていた。


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