四十五話 いつの間にか追い越されていたんだ
「ちぃちゃん、迷ってるんだってね。和人くんから聞いたよ」
話題を変えて、結花はあたしの手を再び握った。
「うん……。なにやりたいのか分からなくなっちゃってね。就職だって何をどうすればいいのかが分からなくなって……」
「そっか……」
あの当時と変わらない。結花と話しているとこんなに落ち着くのかと改めて思った。
たったこれだけの会話。それもあたしが一方的に吐き出してきているだけなのに、結花の温もりがあたしの中に一気に流れ込んできた気がした。
「今度、ちぃちゃんと和人くんのお部屋に行くよ。二人の気持ちが知りたいの。ちぃちゃんと和人くんのそれぞれの気持ち。だから、今は答えは言わないね。だからお願い。ちぃちゃんも和人くんも凄く大事な時期に来ているから、お互い別々の考えでもいい。ちぃちゃんが和人くんとどうなりたいのか、和人くんがちぃちゃんとどうしたいのか。それまで考えておいて欲しいの」
結花は立ち上がってスケジュールが書き込まれたカレンダーを確認している。
「来週の日曜日、二人とも空いているかな?」
あたしもスマートフォンのスケジュールを見る。大丈夫、二人とも事前の予定は何もない。
「陽人さんも行ける日だから、お願いするつもりなんだ」
「えっ? お休みなのに悪いよ」
結花は笑った。
「『小島先生』だって、私だけじゃなくて、ちぃちゃんも和人くんも教え子だもん。ちゃんと相談に乗ってくれるよ」
夕方、結花はあたしをバス停まで送ってくれた。今回はあたしが率先してエレベーターを使った。
お腹が張ってないから大丈夫だよと結花は笑っていたけれど。
「また来週ね」
見送ってくれる結花に手を振って、バスは停留所を離れた。
「そうか……、結花がお母さんになるんだ……」
何度も泣きながらも必死に立ち上がってきたこれまでの結花の努力には脱帽するしかない。それを支えた周囲だって間違いなく拍手ものだ。
「でも……、あたしは……」
乗り換えた電車の中で、ふと考え込んでしまう。
始めて出会った小学生・中学生の頃の結花はどこかいつも儚くて、二人でいるときは、あたしの陰に隠れて身を守っていることもあったし、あたしも結花の防波堤という自負を持っていた。
それが……、いつの頃からだろう。
結花は本当にゆっくり、クラスだけじゃなく同学年の周囲とは違う、彼女だけの道を歩き始めていた気がする。
小島先生に出会ってから、それはさらに加速したのではないか。
もしあの病気の一件がなかったとしたも、結花は大学への進学はしなかったかもしれない。
その証拠に、結花は退学した翌年の秋に高校卒業程度認定資格を取っているんだよね。
進学を考えていたなら、そこから一年遅れでも願書を出すことが出来たはず。
いつだったか、それをしない理由を聞いて驚いた。
諦めたわけじゃないって。「小島先生の奥さん」として、中卒・高校中退の経歴のままでは先生に迷惑をかけてしまいかねないからだと。
あたしは幸いにして目的を見つけて学校を選ぶことができたけれど、そうじゃない子の方が圧倒的に多かった。
結花は違う。人生の設計図がちゃんと出来ていて、その流れをきちんと考えて、今は結花自身の進学は要らないと選択したんだ。
プライベートにしたって同じだ。
結花はそれまで、彼氏を作ったことがなかった。
いじめをたくさん受けてしまっていたけれど、新しい環境になるとその儚いイメージ先行で告白されたことはたくさんあったという。
でも、彼女の気持ちを丸ごと受け止めるのは、同い年の男子では力不足だとあたしはずっと思っていた。
結花の相手は小島先生でなければ成り立たない。先生も悲しい過去を背負っていると教えてくれた。この二人の出会いは必然だったのだと。
そうでなくちゃ、あたしが納得できない。
「ただいま……」
「おかえり。どうした千佳?」
部屋に帰ると、和人が夕飯を作っていてくれた。
「ううん、ありがとう。和人……」
そうだよ。あたしは和人との道を選んだ。
こんな自分の彼氏になってくれて、まだ言葉にはきちんと交わせてはいないけれど、将来の結婚だってもう誰が見ても想定の範囲内だ。
一人の部屋じゃない。二人の部屋で暮らす安心感をあたしも和人も知ってしまったから、また別々の部屋で過ごすことになるようには戻りたくない。
でも、この生活を続けていくにはどうしたらいいのだろう……。
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