四十三話 お願いします。お兄ちゃん…


 次の土曜日。お父さんとお母さん、私の三人で東京の郊外にある公園墓地に向かった。


 空は春霞のかかった淡い青。今年は春が早いかも知れないとニュースでは言っていた。


「結花、本当に大丈夫なのか? 無理はしなくていいんだぞ?」


 お父さんが心配そうに聞いてくれた。


「うん」


 大丈夫。気持ちを落ち着けて次に進むため、私自身で乗り越えなくちゃならないんだ。


 原田家のお墓にはこれまで何度もお墓参りで来ていた。お爺ちゃんお婆ちゃんたちが眠っていると。でも毎回、一つだけお菓子が置いてあったことを思い出して、ようやくその意味が分かった。


 そう。ここには私が生まれる前に空に帰ってしまったお兄ちゃんがいる。


 公園の管理事務所に着いて、私から事情を話させてもらった。


 一緒に連れてきた、ほんの少しの灰。


 あの葬儀場の人たちは、丁寧にゆっくりと荼毘に付してくれて、普通なら処理してしまうお骨でない僅かな灰も集めて渡してくれた。


 これを納めさせて欲しい。


 本当なら埋葬許可がないといけない。だけど、出生届も死亡届もない。書類上は存在しない私の赤ちゃん……。


 そんな我がままなお願いの事情を聞いた事務所の人たちは分かってくれた。


 私は嫁いでしまっているから、小島家のお墓に納めるのが正しいのかもしれない。でも、母親の私が一緒に行けないのなら、知らない人より実のお兄ちゃんに頼みたい。


 お兄ちゃんからすれば、この子は姪にあたる。途中で迷わないように空へ連れていってとお願いできるのは私だけだ。


「分かりました。お名前はありますか?」


「はい、……しおりです。女の子です」


「栞ちゃんですね。みんなで送りましょう」


「ありがとうございます」


 陽人さんへの連絡で、私の体を心配して念のためにそれまでのエコーの画像とか胎盤の染色体などを調べてもらっていた結果、あの子は女の子だったと。


 この計画を陽人さんに打ち明けて許しをもらい、オンラインで顔を見合わせながら名前を考えた。


 私たちはこの子を絶対に忘れない。そのためには心のページに挿む栞になるんだと。いつか会えたときに名前を呼べるように。


「……結弦ゆづるお兄ちゃん。こう挨拶するのは初めてですよね。……妹の結花です。本当なら一緒に遊びたかったね」


「結花……」


 お父さんもお母さんも心配そうに私を見ている。


 大丈夫。このお願いはお空のお兄ちゃんにしかできない。それを頼むのは妹の私がするのが一番いい。


「結弦お兄ちゃん、私の娘の栞をお空までお願いします。あと私が行くまで、寂しくないように一緒に遊んでいてください」


 お墓の蓋を少し開けて、小さな瀬戸物の器をお兄ちゃんの隣に置いてもらった。


「我がままを聞いてくださって、ありがとうございました」



 その夜、私は夢を見た。一面の菜の花畑の中、仲のいい兄妹のような幼い二人が笑いながら手を繋いでまっすぐに走ってくる。私に気づいた二人のうち、女の子が立ち止まった。


「行くよ」


「うん!」


 男の子の方が、私にちらっと目配せをする。


「バイバイ」


「えぇ、バイバイ……」


 手を振ってきた女の子に、そう答えることしかできなかった。でもその子たちは満足そうに笑って、また走っていった……。


 ハッとして飛び起きた。真っ暗な寝室だ。横に寝ていたお母さんが気が付いて手を握ってくれる。


「結花……、大丈夫?」


 あの二人は……。


「うん……」


 涙が頬を伝う。でも、これまでと違って温かい涙だった。


「結弦お兄ちゃん……、ありがとう……。お願いします」


 もう大丈夫。私も泣いてばかりじゃいられない。


「栞……、ばいばい……またね」





 次の日から、少しずつ外を歩くようにした。


 かなり体力も落ちていたんだな。これじゃお仕事をしている陽人さんに顔向けできない。


 お仕事を休んでもらっていたお母さんにもお礼を言って仕事に復帰してもらった。


 私が体を治すためにと学校を辞めた当時と同じように、家事も引き受けた。


 ユーフォリアで菜都実さんとも話した。菜都実さんも同じように天使ママの経験があるからだ。


「結花ちゃん、あなたは本当に強いね。大丈夫よ。また赤ちゃんは降りてきてくれるから」


「はい。本当にご心配をかけてしまいました」


 もう大丈夫だよ。自分で陽人さんに連絡もした。旦那さまに心配ばかりかけては本当に奥さん失格になってしまう。


「陽人くん、結花を頼む」


「結花、いつ帰って休んでもいいのだから。連絡しなさいよ?」


 空港まで見送りに来てくれた両親の前、精一杯の笑顔を作った。


「ありがとう。また頑張るよ……」


 私は手を振りながら、迎えに来てくれた陽人さんと二人で歩いていった。

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