三十三話 あたしも親友と同じなんだ


 高校三年生の初夏、学校で結花という大きな柱を失ったあたしは、一時期大学への進学を諦めようかと思った時期もあった。


 その時に、あたしの話を両親以外でじっくり聞いてくれたのが和人だ。


 あたしのお父さんは製薬会社の研究職。さすがにそこまでの頭はなかったし、そもそも最終的に文系に進路をとっていたから、そこから薬学部を目指す理系に転向するなら、浪人も視野に入れる必要がある。


「薬とかじゃなく、千佳は結花さんを支えてきた経験があるんだから、そっちの道を探してみるのもなんじゃないかな?」


 そう。あたしが福祉の道を目指し始めたのは、この和人の助言からだった。


 落ち込み始めていた成績も、放課後に図書室で彼に教えてもらいながら勉強して何とか取り戻した。


 その頃に結花も必死で立ち上がろうとしていることも分かって、勇気をもらった。


 夏休みの期間中にも図書室を使えるように、和人は開館日でなくても私一人とい利用者のために鍵を開けて協力をしてくれた。

 そのおかげで、あたしは大学受験も何とかなったし、何よりも和人の隣というポジションをキープすることが出来ている。


「和人のおかげで、あたしここまでやってこられた。この先、あたしにどういう道があるのか、あたしにはまだ答えがない……」


「そうか……」


 和人はあたしの肩をポンと叩いた。


「まだ、全てを決める必要はないだろ。時間はあるし、また結花さんとか先生が帰ってきてから相談して決めても遅くないんじゃないか?」


 和人も、まだどの業界や会社を志望するかは決め切れていないらしい。それでも、春からはいろいろな企業で説明会もスタートするから、それに向けての準備も少しずつ始めていることも知っている。


「ごめんね、あたしが情けなくて……」


 和人が顔を横に振って、部屋の明かりを消した。


「頑張りすぎなんだよ千佳は。そのままでいい。ゆっくり考えていけばいいんだ」


 ダブルベッドの淵に二人で腰を下ろす。


「ごめんな。俺の家と千佳の家とじゃ環境が違うことも分かってる。うちは母さんが専業主婦だし、千佳のところは仕事に出てることだけでも、全然違うんだよな。それだけに千佳が働かなくちゃって思ってること、ありがたいと思ってるよ。さすがに初任給じゃ千佳に苦労させることは分かりきってるし。でもさ……」


 和人が隣に座るあたしの手を握る。


「千佳が好きでもない仕事で苦労したり、身体を壊してしまうことの方が俺には辛い。千佳が安心して働ける職場を見つけられるなら、それが正社員でも、パートでも、アルバイトでも構わないと思っているんだ。それまでは、苦労もしちゃうかもだけど、俺も千佳を支えたい。子ども出来たら、それこそ働くなんてしばらく厳しいもんな。千佳にはそんなに自分を追い込んで欲しくない」


 隣を見上げると、和人が頷いている。


「あたし、和人の隣にずっといてもいいの? いろいろ迷惑とか苦労かけるかもだけど、それでもいい?」


「逆に、ずっといてくれなくちゃ困る」


 和人の腕の中に自分の体重を任せた。


 最初の内は、飽きたら遠慮無く言って別れてくれてもいいなんて言っていたあの頃。


 今は違うの。あたしの方が彼に依存してしまっている。もし本当に別れを切り出されてしまったら、あたしはきっと立ち直ることが出来ないだろう。


 思い出してみれば数年前、同じような境遇になった親友は今にも途絶えてしまいそうな運命の赤い糸を必死に守り抜いた。


 きっと、今のあたしはそれと同じなんだと思う。でも、彼女の時はもっと条件が厳しかった。教師と生徒という関係。自分の命を落とすかもしれない不安と恐怖。社会の中で自身の存在意味を失いかけた絶望感。


 それを結花は時間をかけて乗り越えた。一度は身を引いた世界に、少しずつ味方の応援をもらいながら戻ってきたんだ。


 勇気を振り絞って書いた告白の手紙が実を結んだのは二年も経ってからだ。その間、自分の行く末の不安を抱えながらも、禁断の恋とも言われる一人の先生を想い続けた。


 それに比べれば、あたしは恵まれている。体が悪いわけでもない。恋愛に反対をされているどころか、同じ部屋の中で暮らせて、いつでも声を聞くこともできる。


 和人の言うとおりだ。就職よりもっと大切な分岐点に来ているというのはそういう意味なんだ。


 和人に心配させちゃダメだ。


「ごめんね。あたし、和人が好きだよ。だから、離さないで欲しいよ……」


「絶対に誰にも渡さない。千佳は俺のものだから……」


「うん……」


 心の氷が少しだけ、溶けた気がする。


 隣で横になる和人に抱きしめられた腕の中、あたしは頷いた。

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