私はイザベル、公爵令嬢です

 あれから脳裏には走馬灯のように記憶が駆け巡っていた。

 幼子を抱えながらスーパーの特売コーナーで食材をゲットして喜ぶ私。

 子供達と泥だらけになりながら公園で遊ぶ私。

 保育園のお迎え時間ギリギリまで必死に仕事をし、慌てて自転車を爆走させてお迎えに行く私。

 詳しいことはあまり思い出せないが、私は子育て中のワーキングマザーで、目の回る様な忙しい毎日を過ごしていたようだ。

 倒れる前に見たあの光景は、きっと私が亡くなる前の記憶……


 そう、「前世の記憶」だ。


 そして「イザベル」である私の正式名称は、イザベル・フォン・アルノー。

 ここリスタリア王国の公爵令嬢で、蝶よ花よと育てられた生粋の箱入り娘である。


 身体の弱かったお母様は、私を出産した後、早々に亡くなってしまった。

 お母様のいない私を気の毒に思ったお父様は再婚し、新たなお義母様を迎えた。

 お義母様には一人息子、アルフ義兄様がいたが、お義母様はアルフ義兄様と血の繋がらない私を分け隔てなく接してくれた。

 お父様もそれは変わらなかったが、やはり血の繋がった娘が可愛いのだろう。それはそれは私を甘やかして育てた。

 その教育方針に最初は苦言を呈していたお義母様も周りの者達も、お父様の頑なな態度に、最後は諦めてしまったようだ。

 こうして、私は順調に我儘で高慢な性格へと育って行った。


 好きなことは、食べること、寝ること、着飾ること、メイドイビリ。

 メイドイビリが酷過ぎてメイドの離職率が高く、今まで優しく注意していたお父様も我慢の限界だった様で、「今まで散々忠告して来たが、もう許さん! お前をネスメ女子修道院送りにする! そこで今までの行いについてしっかり反省してきなさい!」


 ──そう宣言された後、私は前世の記憶を取り戻した。


 ネスメ女子修道院──。

 表向きは施しを受け、修道女がこの世界独自の「テレス教」の精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活をするための施設。

 しかし、裏では多額のお布施と引き換えに訳ありの貴族の令嬢達を受け入れ、厳しい再教育を施す更生施設として、貴族達の間では有名な修道院だ。

 ネスメ女子修道院に入れるぞ! と脅されれば、大抵の令嬢達は泣いて許しを乞う、貴族の親からしてみれば都合の良い切り札的存在だった。

 今までの私なら自分のした事など反省もせず、お父様に泣き付き許しを乞うことに必死になったはずだ。

 しかし、前世の記憶が戻った今、自分のしてきた事が如何に愚かだったか、初めて認識する事が出来た。


(私は今まで、何て傲慢で我儘な振る舞いをしていたのかしらね)


 子育て中だった前世の私からしてみれば、こんな生温い環境にいて、親に感謝するどころか「世界は自分中心に回っていて当然」とばかりに我儘放題の毎日を過ごす「イザベル」がどうにも許せなかった。

 そして、どうしようもない娘へ成長してもなお、娘を見捨てることなく、更生させようと苦渋の決断をしたお父様の想いに胸が苦しくなった。


(このままの私では、きっとそう遠くない将来、アルノー家に恥をかかせてしまうわ。更生するなら、きっと今のタイミングしかない。お父様、お義母様、アルフ義兄様に恥じない公爵令嬢になるためにも、修道院に行って甘ったれた性格を直して来ましょう。そして、辞めてしまったメイド達のために、せめてもの償いとして、労働をして社会貢献を致しましょう)


 そんな事を考えていると、ふっと額に冷たい物が触れた。


「お嬢様! お加減は如何ですか?」


 この声は、侍女のアニーね。


「アニー? わたくし」

「急に起き上がってはいけません! すぐに医者を呼んで参りますからそのまま横になっていて下さい!」


 アニーはそう言うとバタバタ慌ただしくその場を後にした。


(全く、アニーったら。淑女たるものあの様に足音を立てて走ったりしてはいけないわ)


 ここでハッと自分のある思考の癖に気付いた。


(ああ、そうか。イザベルは気高き淑女としての教育の一環として、礼儀やマナーのなっていないメイドに厳しく当たってしまったんだわ。ただ、やり方に問題があったのね)


 そんな事を考えながら、天蓋付のベッドにゴロンと横になった。


(天蓋付のベッドって掃除大変そう。そもそもこのカーテンって洗えるのかな?)


 主婦目線でそんな事を考えているとバタバタと医者とお父様がやって来た。


「イザベル!! あぁ、良かった。どこか痛い所はないか?」

「お父様、わたくし」


 再び身体を起こそうとすると、近くにいた医者に止められた。


「急に身体を起こしてはなりません。まずは異常がないか調べなければ」


 強制的に寝かされると、そのまま医者に喉を見られたり、脈を測られたり、身体の状態を隈なくチェックされた。

 そうこうしているうちに、お義母さまとアルフ義兄様も慌ただしくやってきた。


「イザベル!! ああ、本当に無事で良かったわ」

「ベル! 目を覚ましたんだね!」


 二人は目に涙を浮かべながら、寝ている私の足元に縋り付いてきた。

 身体の状態を確認した医者はお父様に向かって口を開いた。


「お身体に異常はなさそうですね。もう起き上がっても大丈夫でしょう」

「そうか。急に呼び出して悪かったな。もう下がっていいぞ」


 お父様は医者とのやり取りが終わるとそのまま私に向き合った。


「あー、イザベル。先程のネスメ女子修道院の件なんだが、やはり取り止めに」

「お父様、私、修道院に行きます」

「は?」


「私、修道院で自身の歪んだ性格と根性を叩き直して参ります」

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