第4話 いい女に唾を

 黒の森で楽しく賊滅をした翌朝、アンジェリークはせっかくなので太刀で素振りをしました。きっちり五〇回、最後の方は上がらなくなりかけたので軽く肉体強化をかけて強引に振りました。ベンチプレスの補助と同じ効果が得られるとアンジェリークは予想しています。


「ふぅうう……」

「お疲れ様です」


 ストレッチをして体を解すアンジェリークにクララがタオルを渡します。汗を拭い、タオルを返したアンジェリークは、ジッとクララが見つめてくるのに気が付きました。


「どうしたの?」

「今日は森には行かないのですか?」

「今日は屋敷に居るつもりよ。森に行くにはまだ未熟だと気が付いたの」

「未熟……」


 砦を単独で落として未熟とは一体……クララは遠い目をしました。

 アンジェリークは地下牢での一戦を思い出していました。二人目の腕、あれは切り落とすのではなく骨の近くまで斬りつけるつもりだったのですが、間合いを読み違えて切り落としてしまったのです。やたらよく切れる太刀のおかげでスルリと切れましたが、平凡な太刀であれば骨で止まっていたことでしょう。

 間合いを読み違えた原因は分かっています。前世と今世での体格の差です。今のアンジェリークは同年代の少女と比べてやや小柄、一四〇センチ後半ぐらいですが、前世では身長二メートル十センチ、体重百四十キロという超巨漢でした。今世では近接戦闘の経験がないため前世の誤差が上手く埋められませんでした。

 戦闘で間合いを間違えるのは死に繋がります。なのでまずは今の体になれるべきだと思い、鍛錬に励んでいるのです。

 さらに前世のような体格を活かした剛剣は捨て、今の体に合う戦法を確立しなくてはなりません。幸い、それは昨日の戦いで大体の方針は掴んだので後は詰めていくだけですが。

 水魔法で汗を流したアンジェリークが食堂へと行くと、公爵がホッとしたように笑顔を向けました。


「お父様、どうかされましたか?」

「いや、今日は森には出かけないんだなと思ってね」

「昨日、黒の森に行くにはまだ未熟だと感じましたから」

「未熟……」


 公爵はクララと同じように遠い目をしました。

 アンジェリークは祈りを捧げて食事へと取りかかります。しっかりと礼儀作法を守りつつ品を失わない程度に素早く食べていくアンジェリークを公爵はなんとも言えない様子で見つめています。二日前までは小食だったのに今では健啖家となっているからです。運動量が増えたのが大きいのですが、体を大きくするために頑張って食べています。


「今日は……なにか予定は決めてあるのか?」

「新しい魔法の研究開発と太刀の鍛錬をしようかと思ってます」


 普通の令嬢であれば習い事などの予定が入っているでしょうが、アンジェリークはすでに公爵令嬢として必要分を学習しているため習い事は復習程度であまり入ってません。以前からその分を魔法の研究に充てていました。


「今日は午後からお前に客が来る。時間を空けておきなさい」

「はい、お父様」


 アンジェリークは少々驚きつつも頷きを返しました。基本、客が来るときは何日も前に予定が組まれるものなのです。唐突になんだろうと不思議には思いましたが、別段困ることもないので素直に了承しました。

 食後、アンジェリークは早速魔法の研究開発に取りかかりました。魔法というのは魔力を媒体に魔法理論でイメージを具現化するものです。ゆえに魔法というのは術者が想像できる以上のことを行うのは難しく、例えば火焔魔法で言えば木の燃焼温度が殆どの魔法使いの炎の温度です。鉄まで融解させられるほどの高温をイメージできると大魔導士として恐れられます。アンジェリークも以前は鉄を赤化させることはできましたが融解させることはできませんでした。

 昨日使用した火焔魔法は煉瓦が赤化し融解一歩手前、おそらく千度を超えるぐらいの温度にはなっていたはずです。即興でそこまで行くのであれば魔法理論をしっかりと組みさえすれば鉄が融解する一五〇〇度強までは十分出せるでしょう。温度よりも熱量を意識する必要があるでしょうが。

 まあ、火焔魔法は暫く使う予定はないので研究は後回しになりますが。広範囲への攻撃は便利ですが、それよりも先に研究したい魔法があるからです。

 

 アンジェリークは基本的に太刀か長剣を主要武器にして近接戦闘を磨くつもりです。当然、魔法も近接戦闘に役立つものから研究するつもりです。

 剣術に限らず近接戦闘というのは体格に強く左右されます。魔法のない前世では単純にでかい=強い理論が成り立ったため彼は無双状態でしたが、今世では小柄でしかも少女です。当然ながら前世のような剛剣など使えるはずもなく、しかしながら戦法を変えるのであれば体格に合うものになります。

 小柄な少女という時点で前世であれば覆しようはなくどうにもなりませんが、今世には魔法というものがあるため大きく変わります。つまりは体の軽さを生かすため肉体強化を駆使して速度と手数で攻める戦法を基本とすることにしたのです。

 そして速度を活かすのに必要なのは足場です。昨日、木やら壁やらを蹴って移動したとおり、身体強化したアンジェリークの脚力は強すぎて平地では全力で走れないし曲がれません。ゆえに走ったり曲がったりするための足場を魔法で用意しようとアンジェリークは考えたのです。

 使用する魔法は土と氷です。屋外であれば基本土、念のため土が使えない場所を想定した氷魔法の二つで足場を作ることにしました。


 まずは足場を作る魔法というのが存在しないため、六元素魔法を構築します。森で使った科学を利用した魔法、科学魔法とでもいいましょうか、科学魔法単独で六元素論並みに理論化するには研究が足りていないため、六元素魔法を科学魔法へと変換する必要があるからです。面倒ですし科学魔法単独よりも効率も悪いでしょうが、科学魔法単独で構築できるようになるには数年単位の研究が必要と思われるため仕方がありません。取りあえず今すぐに使える魔法がアンジェリークには必要なのです。

 とりあえず自室で紙に魔法の設計を書きます。今回の魔法のイメージは陸上のスターティングブロックに近い足場です。できたら庭で実際に使い、足場として使えるか確かめます。最初の結果は土だと崩れ氷だと地面ごと抉れてどうにもなりませんでした。問題点は土魔法の硬度と氷魔法の浸透、そして魔法の展開速度なのでそれを修正するために部屋に戻って魔法を設計し直します。それを繰り返していたらお昼になったので昼食を取って今度は太刀の鍛錬をします。

 やるべきは間合いの修正です。太刀を構え、木人にギリギリ当たらないようにゆっくり振っていきます。振り下ろし横薙ぎ振り上げ、立ち位置を変え姿勢を変え動きながら、当てないように注意しながら振っていきます。

 一つ一つ確認するように動作を繰り返していると、クララから声をかけられました。


「お嬢様、お客様が参られました」

「すぐ用意するわ」


 クララから渡されたタオルで汗を拭き、すぐに着替えて客室へと向かいました。

 客室に居たのはシスターでした。高身長で肌は褐色に近く、この国では珍しい黒目に軽くウェーブのかかった黒い艶やかな髪を腰まで伸ばしています。修道服ということもあって全体的に柔和ですが、ややつり目気味の大きな目が強い意志を感じさせます。十代半ば……十七か十八ぐらい、若いわりに位が高いのが気になりました。


「初めまして、ローザと申します」

「アンジェリーク・フォン・ザクセンです」


 教会式の祈るような仕草の挨拶に、アンジェリークは笑顔で返答をします。


「本日はどういったご用件でしょうか?」


 前世も現世も信仰心の薄いアンジェリークは教会関係者が来る用件が思いつきません。


「公爵様にお嬢様を診断するように依頼を受けたのです」

「ああ……私がいうのもなんですが、若いのに随分と徳を積んでおられるのですね」


 徳を積むというのは高い位を指す隠語です。この世界で医療魔法が使えるのは教会で伝授された神父やシスターだけで、当然医療魔法が使える人間は教会内で地位は高くなるのです。ローザぐらいの若さで公爵の元に出張させられるということはかなり優秀なのが窺えます。


「けれど、何故私の診断をするのですか?」

「昨日、黒の森へ行って血塗れで帰ってこられたと窺っています。公爵様からは万が一のことがあってはならないからと」

「あ~、なるほど」


 確かに全身血塗れだったなとアンジェリークは思い返しました。賊とゴブリンの返り血ですが。


「全部返り血で特に怪我はなかったんですけどね」

「そ、それでも一応見てくれとのことなので……」


 困ったように首を傾げるアンジェリークにローザは口元をやや引き攣らせました。後ろで控えていたクララはこの人は昨日の詳細を聞いているんだなと思いました。


「分かりました。どうすればいいですか?」

「両手を拝借致します」


 机の上に伸ばしたローザの両掌にアンジェリークは顔には出しませんがウキウキで手を重ねます。前世の影響が濃いため美人と肉体的接触ができることにヒャッハーと悦びを感じていました。

 このまま握って良いかなと思っていると、暖かいものが手から登ってくるのを感じます。


「痛みはないですか?」

「ないですよ。暖かくて、なんだか清らかな気持ちになります」

 

 暖かさが腕から肩に回り、全身に回っていくにつれ邪な思いが失せていくのを感じました。むしろそんな思いを抱いたことを恥ずかしく思うほどです。

 頭からつま先まで温かな癒やしに包まれたところでローザが手を離しました。

 

「これが教会の癒やしの魔法ですか」

「ええ……そうですね。体に異常が無いかもこれで分かります」


 アンジェリークがキラキラと目を輝かせて手や全身を見回し、それを見たローザはそっと目を逸らしました。


「教会の秘技とは聞いてますけど、頑張れば再現できそうですね」

「信仰の技なので敬虔な信者にしか不可能です」

「私もそれは聞いたことがあります。どういう理屈なのか不思議じゃないですか?」

「……実際に研究目的で試して亡くなる方もいますから、絶対に試さないでくださいね?」


 ニコニコと、どこか脳天気に微笑むアンジェリークにローザは念を押すように言いました。無邪気に見えるアンジェリークの微笑みは何もなければ可愛らしいものですが、砦の賊を殲滅させていると知っているとどこか空恐ろしいものを感じます。

 治療なり検査なりが終わるということはローザもこの館に居る用事がなくなります。それはちょっと勿体ないなとアンジェリークは思いました。


「ローザさん、お時間に余裕はありますか?」

「あ、はい。この後は特に急ぐ用事はありません」

「でしたら、お茶をしませんか? せっかくだからお話をしたくて」

「はい、喜んで」


 どこか棒読み気味の承諾を得たアンジェリークはクララにお茶を入れるように伝えると早速ローザに質問を飛ばしました。内容は教会での過ごし方が主で、未知の世界だから興味を持ったとローザに説明しました。

 完璧な令嬢と呼ばれたアンジェリークの会話能力は少し警戒しているシスターが抗えるものではありません。質問から切っ掛けを掴むと、ユーモア、称賛、共感、憧憬など様々な感情を揺るがせて好感を引き出して情報を引き出し、好きな食べ物や小さな愚痴を聞き、アンジェリークの小さな悩みなどをうち明けるなどをしてローザの懐にするりと踏み込んでいきました。

 そして、ローザはふと窓の外を見て日が大分落ちてきていることに気が付き戦慄しました。いつの間にかアンジェリークに全く警戒をせずに話をしていたのです。


「す、すいません。そろそろお暇を頂きたいのですが……」


 ローザは即座に撤退を決めました。


「ああ、ごめんなさい。つい楽しくて時間を忘れて喋ってしまいました」

「いえ、こちらこそ申し訳ございません」


 ローザはすこし寂しそうなアンジェリークに後ろ髪を引かれる自らの心に気合いを入れて立ち上がりました。


「またお茶をしたいのだけど宜しいですか?」

「すみません。実は私は皇都の本部所属で来週には戻ってしまうんです」

「そうなんですか……じゃあ、お手紙を書いても宜しいですか?」

「もちろん、こちらこそありがたいです」


 正直ローザは断りたかったのですが、公爵令嬢からの手紙を断るなどと言う恐ろしいことをする勇気はありません。アンジェリークは連絡先をゲットだぜとテンションが上がりました。


「それでは、失礼致しますアンジェリーク様」

「アンジェと呼んでください。お友達になりたいのです」


 ローザは一瞬うっと固まった後、微笑んでアンジェリークに頭を下げました


「……では、アンジェ様。またお会いしましょう」

「はい。ローザも元気で」


 ローザが部屋を出て行くのを見届けると、すぐにクララが話し掛けてきました。


「あの方のこと、随分気に入られたのですね」

「そうね。可愛らしい方だったもの」


 アンジェリークはにっこり笑って答え、残ったお茶を飲み干しました。


「もちろん、貴女のことも大好きよクララ」

「ありがとうございます」


 クララは羞恥に頬を染めて言いました。少し嫉妬していたことに気付いたのです。





 客室から出たローザは屋敷の出口を通り過ぎ、そのまま公爵の部屋へと向かいました。


「娘はどうだった?」

「邪も聖も取り付いてはおりませんでした」


 ローザは公爵からアンジェリークへのエクソシスムを依頼されていたのです。アンジェリークが癒やしの魔法といっていた魔法が邪を祓う聖なる魔法でした。消えたのはアンジェリークの邪な感情でしたが。

 ローザの答えに公爵は納得していない様子です。可愛い娘が唐突に撫で斬りマシンとなったら悪魔にでも取り付かれたと思いたいでしょう。悪魔が理由なら仕方ないですから。実際は思い出しちゃっただけですが。


「お嬢様とお茶をさせて頂きましたが、正直に申せばとても砦の賊を殲滅したとは信じられません」

「私も信じられんよ。だから君を呼んだのだ」

「……私としては少なくとも悪ではないとしか」

「確かに、悪ではないか」


 砦の賊を皆殺しにしたとはいえ捕らえられていた女性達を救出して街まで連れてきたのだから善なる行いと言えるでしょう。例え魔法の実験が主目的だったとしても。

 公爵が伏せていた顔を上げます。


「思えば言っていることも性格も殆ど変わっていない。いきなり剣を習いたいと言って森で暴れ回ったようだから異常だと思ったが、あの子はあの子のままなのか……」

 

 普通の令嬢として教育を受けていた娘が唐突に剣を振り回し賊をぶち殺すのはどう考えても異常なのですが、公爵はそこから目をそらしました。


「……もう少し様子を見てみよう。もしかしたらこのまま落ち着くかも知れない」

「なにかあればご連絡を。それと、お嬢様から手紙を頂く約束をして頂きましたので何か気付きましたら連絡申し上げます」


 大分憔悴した公爵を見て、ローザはせめて少しでも力になればと言いました。


「ああ、頼むよ……君に何か困った事があれば相談してくれ。力になろう」


 ローザの素直な優しさが心に染みた公爵はそう約束しました。

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