第9話 幼き頃の思い出


「おはよ~」


 天音はあくびをしながら教室に入った。


「あれ? 珍しいー。邪馬斗君と一緒に登校して来なかったのね」


 席につこうとした天音に、咲が声を掛けた。


「まぁーねー。寝坊しちゃってさー。遅刻するかと思ったよー」


 天音は椅子に座ると同時に、机にへばりつきながら言った。


「時間に余裕もって起きたらー?」

「咲まで邪馬斗と同じこと言うわけ?」

「邪馬斗君にも同じこと言われたんだ……」


 苦笑いしながら、咲は言った。

 まもなくすると、猿田先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。

 天音は、斜め前に座っている邪馬斗がイライラしているのに気づいた。


 よく見ると、小さい男の子が邪馬斗に突っついたりしてちょっかいを出していた。

 男の子は保育園児くらいに見える。

 周りが男の子の存在に気づいていないことに分かった天音は、その子が霊であることを確信した。


 昼休み。天音は邪馬斗に声を掛けた。


「邪馬斗、ちょっといい?」

「ジュースなら一人で買ってこい」

「そんなんじゃないって! いいから来て!」


 天音は、邪馬斗の腕を強引に引っ張って中庭まで連れて行った。


「ここならあまり人居ないから大丈夫そうね……」

「なんなんだよ、急に」

「今朝のホームルームの時のことなんだけど……」

「あー、こいつのことだろ」

「へ?」


 邪馬斗の視線を追うと、朝のホームルームで邪馬斗にちょっかいを出していた男の子が、邪馬斗の背後からひょっこりと出てきた。


「こんにちは」


 天音はしゃがんで男の子の視線に合わせ、笑顔で声を掛けた。


「邪馬斗君、このオバちゃん誰?」

「お……オバ……オバちゃんっ!?」


 天音は引きつった笑顔になって言った。


「このオバちゃんはな、俺の家の隣に住んでいるオバちゃんだ。天音って言うオバちゃんだ」


 邪馬斗は面白そうに、天音のことを何回もオバちゃんと言いまくる。


「ちょっと邪馬斗! そんなに何回もオバちゃんって言わなくても良くない!? ほんと失礼しちゃうわ!」

「オバちゃん、オバちゃんって言われるの嫌らしいから、お姉ちゃんって言ってあげてくれ」

「分かった! オバちゃん! じゃなくて、お姉ちゃん!」

「んで? その子は? なんで邪馬斗にピッタリついているわけ?」


 まだオバちゃんと言われたことに対して傷つきながら、天音は邪馬斗に聞いた。


「こいつの名前はしょう。五歳だが、生きていれば俺達と同じ高二だ。天音は保育園が別だったからわからないと思うが、俺と同じ保育園に通っていた子だ」

「あー、だから見たことなかったんだ」

「うん。翔は、車で両親と一緒に買い物から帰ってくる途中で事故にあって、両親と一緒に亡くなってしまったんだ」

「そうだったんだ……。邪馬斗あまり友達のこと話さないから初耳だったよ」

「まーなー」

「翔君がこの世に居るってことは、未練があるってことだよね」

「そうだ。でも、まだ聞いてないんだよ」

「なんで?」

「翔とは今朝教室で会ったばかりなんだ。教室に入ったら俺の席に座っててさ。周りに人も多いし、話すタイミングがなかったんだよ」

「そうだったんだ。まあ、そうだよね」


 周りには見えていないのに霊に話し掛けてしまっては、独り言のように見られてしまい怪しまれる。

 そのことを分かっている天音は邪馬斗に同情した。


「翔、何か後悔してることとかある?」


 邪馬斗は翔の顔を見て言った。


「あのね、ボクもう一度邪馬斗君と一緒に遊びたいんだ。ボクが死んじゃった次の日、邪馬斗君と遊ぶ約束をしていたんだよね」

「確かにそうだったな」

「ねー、遊ぼう!」

「学校が終わったらな」

「えー! いまー!」


 翔がダダをこね始めた。


「まだ午後の授業もあるから、終わったら遊ぼう。な」

「……わかった。あ、お姉ちゃんも一緒に遊ぼうよ!」

「良いよ。楽しみにしてるね」

「うん!」


 こうして天音と邪馬斗は、放課後に翔と遊ぶ約束をしたのであった。

 その後、三人は教室に戻った。

 午後一発目の授業は国語であった。


「えーっと、次のページを……。巫山天音さん、読んでください」


 猿田先生が天音を指名した。天音は椅子から立ち上がり、教科書を持って音読を始めた。

 しかし、天音は文の初めの漢字が読めず、教科書を持ったまま固まっていた。


「えーっと……うーんと……」

「お姉ちゃん、漢字読めないの? もしかしておバカ? オバちゃん、なんとか言ったら?」


 翔にからかわれ、天音のこめかみに血管が浮かぶ。

 しかし、ここで声を出すと周りに気づかれると思い、顔を引きつらせながら耐えた。

 それでも、何も言ってこない天音に対し、更にしつこくからかってくる翔に対して、口をモゴモゴさせながらも喋らないように我慢をしていた。


「天音さん、体調悪そうですね。大丈夫ですか?」


 その様子に不審に思った猿田先生が、心配そうに天音に声を掛けた。


「いえ、大丈夫です……。ただ」

「大事を取って今日は早退してください」

「え? いや、大丈夫です! ただ私は……」

「邪馬斗君、天音さんを家まで送って行ってあげてください」


 天音は漢字を読めないだけであることを言おうとするも、猿田先生は心配そうに天音の話を遮りながら言った。


「えー! 何で俺が……」

「だって、大事な将来のお嫁さんでしょ?」

「はあー!?」

「えー!?」


 猿田先生はニコニコとした顔で言った。

 それに対して天音と邪馬斗は盛大に嫌そうな顔をする。


「ヒューヒュー!」

「いよっ! おしどり夫婦!」

「お幸せにー」


 猿田先生の余計な一言で、クラスメイト達は盛り上がり、歓声が教室中に響き渡った。

 天音と邪馬斗は、余計なことをと言いたそうに猿田先生を睨む。


「さあさあ。気をつけて帰ってねー」


 天音と邪馬斗が余計な一言のお陰で気を悪くしているというのに、猿田先生はニコニコしながら言った。


「邪馬斗、部活には休むこと言っておくから、天音ちゃんを家まで送ってきな」


 隣の席に居る幹弥が邪馬斗に言う。


「……。しゃーねーなー」


 邪馬斗はそう言って、荷物をまとめて天音の所まで行く。


「帰るぞ」

「あ……。うん」

「天音、部活には私から伝えておくから。お大事にね」

「あ、ありがとう……咲」


 天音は教科書を閉じ、荷物をまとめてカバンを持った。

 準備ができると、天音と邪馬斗は教室を後にした。

 

「もう、あんたのせいで赤っ恥かいちゃったじゃない!」


 天音は後ろをついてくる翔に言った。


「だってお姉ちゃん、漢字読めないんだもん」

「あれは読めて当然だよな」


 邪馬斗も翔に同情して言った。


「邪馬斗までそんな事言うの!? もう信じらんない。でも、私のお陰で早く帰れて遊べるんだから、感謝しなさいよね」

「そうだな。良かったな、翔」

「うん! お姉ちゃんがバカで良かったよ!」

「バカは余計でしょ!」


 靴を履き替え校舎を出ると、翔は楽しそうに飛び跳ねる。


「ところで、翔君は何をして遊びたいの? それによっては行く所が決まるんだけど……」


 天音は翔に問いかける。


「シャボン玉やりたい!」

「シャボン玉? そんなのでいいの?」


 思わぬ答えに、天音は思わず聞き返した。


「うん」

「シャボン玉かぁー。懐かしいな。昔よくやったなー」


 邪馬斗が懐かしそうに言った。


「んじゃー、神社のところでも良いな。家近くだから、すぐに道具準備できるし」

「そうね。じゃーみんなで神社に行こうか」

「うん!」


 三人は巫神社へと向かった。


「んじゃー俺、道具準備してくるから天音と翔は先に神社に行ってて」

「うん!」

「わかった」


 邪馬斗はシャボン玉の道具を取りに行くため、一度自宅に帰って行った。

 天音と翔は巫神社に行き、ベンチに座って邪馬斗が来るのを待った。


「また邪馬斗君と遊べるなんて嬉しいなー」


 足をぷらぷらさせながら、翔は楽しそうに言う。


「そんなに仲良かったんだー」

「うん、そうだよ。いつも一緒に遊んでた! ボクね、3歳の頃からピアノ習ってたんだ。それで、いつもボクのピアノと邪馬斗君の笛に合わせて演奏したりして遊んでいたんだよ」

「笛?」

「うん。神社のお祭りで邪馬斗君がいつも吹いているあの笛だよ」

「ピアノと笛って……。あまり見ない組み合わせね……」


 天音と翔が話していると、シャボン玉の道具を持った邪馬斗が走って来た。


「おまたせー。ほら、翔」


 邪馬斗はシャボン玉の道具を翔に手渡そうとした。

 しかし、シャボン玉の道具は翔の手に触れることもなく、すり抜けてしまった。

 霊体で体が透けている翔には、邪馬斗の手に触れることも、物を掴むことも出来ないのであった。


「あれ? ……あー、お前、持てねーんだったな……」

「えー。やりたいやりたい!」

「と言われても。どうすれば……」


 その時であった。神社の本堂の中が光った。


「邪馬斗! 本堂が!」


 天音が本堂を指差しながら叫んだ。

 その光が翔に向かって飛んできた。


「翔!」

「翔君!」


 天音と邪馬斗が叫んだ。

 一瞬光に包まれたがすぐに消え、翔が呆然と立っている。


「あー、びっくりしたぁ~」


 翔は目を大きく開き、驚きながら言った。


「大丈夫か!?」


 邪馬斗が翔に駆け寄った。


「うん……。でもなんか不思議な感じがするー。……もしかして」


 翔はそう言って、シャボン玉の道具に触れた。

 すると、さっきまで持つことが出来なかった道具を持つことが出来るようになっていた。


「やったー! 持てたよ、邪馬斗君!」

「なにが起こったんだ……」


 邪馬斗は呆然としていた。


「本堂に何か秘密でもあるのかしら?」


 そう言って天音は本堂の中を覗き込んだ。


「邪馬斗! 見て!」


 天音は驚きながら邪馬斗を呼んだ。邪馬斗は言われるまま本堂の中を覗き込んだ。


「これは……。今までこんなのあったか?」

「なかった」


 本堂の中を見ると、神鏡があった台に神鏡の破片と思われるものがキラキラと光って浮かんでいた。

 まるで、その部分のパーツであるかのように破片がまばらに浮かんでいる。


「もしかして、今まで魂送りしてきたから神鏡の破片が戻って、同時に神社の力も戻ってきたからその力で、翔君が物に触れることが出来たのかも」

「翔の願いが神社に伝わったってことか……。この神社にこんな強い力があったとは……」


 天音と邪馬斗が真剣な顔をしながら言っていると、


「冷た!」


 と、邪馬斗が飛び跳ねた。


「なんだ!?」


 邪馬斗が振り向くと、翔が邪馬斗に向かってシャボン玉を飛ばしていた。


「すきありー!」

「やったなー!」


 邪馬斗はシャボン玉の道具を手に、逃げる翔を目掛けながらシャボン玉を飛ばし始めた。

 無邪気に走り回りながら、シャボン玉を吹き飛ばし合っている邪馬斗と翔。


「ほんと、男子ってわんぱくよねー」


 その様子を眺めながら天音が言った。


「おバカなお姉ちゃんもやろうよ!」

「だから、バカは余計だって言ってるでしょ! もう! こらしめてあげるんだから!」


 天音も道具を持って、シャボン玉を翔に向かって吹き飛ばした。

 神社には三人の楽しそうな笑い声が響き渡っていた。


「あ、なくなっちゃった……」

「俺もだ」

「私もー」


 あっという間に三人のシャボン玉液が底をついた。


「あー! 楽しかったー!」

「うん。保育園の時を思い出した」

「こんなに……シャボン玉で遊ぶのって……ハードだったっけ?」


 満足している邪馬斗と翔をよそに、天音は息を切らしながらベンチに座って言った。


「お姉ちゃんバテてるー」

「オバちゃんだから体力ないんだよ」

「そっかー」

「こら! あんたたちのシャボン玉の遊び方が激しいんだよ!」

「俺ら、シャボン玉で遊ぶ時、いつもこんな感じで走り回りながらやってたぞ」

「はいはい、そうですか……」


 天音が呆れながら額に流れる汗を拭う。


「邪馬斗君」

「なんだ?」

「最後にもう一つお願いいいかな?」

「いいぞ」


 翔はモジモジしながら言った。


「お姉ちゃんと話してて思ったんだけど……。また邪馬斗君と一緒に、ボクのピアノと邪馬斗君の笛で演奏したいな」

「懐かしいな……。確か、家にキーボードあったな。今持ってくるから待ってて」


 邪馬斗はそう言って家に向かって走っていき、キーボードを抱えてきた。


「ありがとう!」


 翔はキーボードの電源を入れて、試しに音を鳴らした。


「わーい、こっちも音が出るー。久しぶりだなー」

「翔、何やるー?」

「シャボン玉!」

「いいよ、お前この曲好きで演奏する時は、必ず演奏してたもんなー」

「うん! じゃー、準備はいい?」

「あ、私歌いたい!」

「良いよー! じゃーいくよー。……いちにのさん、はい」


 翔の合図で演奏が始まり、天音はそれに合わせて歌った。

 ピアノと笛の音に合わせながら、神社の木の葉も風に揺れて音を立てていた。

 

「翔君、ピアノ上手だね」


 演奏が終わるとすぐ、天音は感動しながら翔に言った。


「お母さんがピアノの教室の先生だったから、お母さんに教わったんだー」

「そうだったんだ」


 翔は大きく深呼吸をして、青い空を見上げた。


「ボク、そろそろお母さんとお父さんの所に帰らなきゃ!」

「……そうか……そうだもんな。ご両親が天国で待っているんだもんな……」


 邪馬斗も空を見上げ、言葉を詰まらせながら言った。


「邪馬斗君、おバカなお姉ちゃん。一緒に遊んでくれてありがとう! 楽しかったよ!」

「それは何より」

「だーかーらー、おバカは余計だっての!」


 天音は苦笑いを浮かべる。


「邪馬斗君。ボクのこと覚えててくれて嬉しかったよ! 元気でね。笛、続けてね! 邪馬斗君が吹く笛、ボクすんごく大好きだから!」

「あぁ……続ける。翔もピアノ続けろよ。また一緒に演奏しような」

「うん!」

「じゃー、天音。やるか」

「うん。じゃーね、翔君」

「うん!」


 邪馬斗の笛に合わせ、天音は鈴を使って舞い、魂送りをする。


『彷徨える御霊よ、安らかに眠りたまえ。幽世へ行き来世の幸を祈ろうぞ』


 淡い光に包まれた翔は、舞が終わると天に向かって行った。


「ありがとうな、天音」

「何よ、急に。いつものことじゃない。何、改まってさ」

「まーな……」


 邪馬斗は翔が向かって行った空を見上げて言った。

 すると、空から光の玉が降りてきた。

 その光の玉が本堂へと入って行くのを見て、邪馬斗は追いかけるように本堂へと向かった。


「ちょっと、邪馬斗!」


 天音も邪馬斗を追いかける。

 二人は本堂の中を覗いた。

 すると、神鏡の台に浮かんでいた神鏡の破片が一つ増えていた。


「魂送りすると、こうやって破片が戻るんだな」

「なにげに普通の神社だと思っていたけど……。不思議な神社なのね。謎だらけ」

「そうだなー。神鏡が元に戻るまで頑張らないとな」

「そうだね! てか、邪馬斗。笛、上達してない?」

「そうか? てかお前だって踊り、上手くなってないか? 気持ちが入っているように見えるような……」

「そう? 実感ない。さー、帰ろっか。いくら早退してきたからとは言え、宿題はやらないとね。ということで、宿題教えて!」

「漢字検定五級レベルの漢字も読めないもんなー」

「いやいや。五級は合格してるから! 三級は落ちたけど……」

「翔と遊んでくれたお礼もあるから良いぞ。その代わり、スパルタな」

「えぇー! どうか優しくお願いします! 邪馬斗先生!」


 先行く邪馬斗を、天音が慌てて追いかける。

 翔との再会で、懐かしい幼少時代の思い出に浸ることが出来た邪馬斗であった。

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