第11話 <キール>

 ルークが門番になって半年くらい経った頃から、イリーナの様子が変わり始めた事に気がついた。いつものように、私が訪れても、「兄様!」と飛びついて来なくなった。最近、イリーナは一緒に勉強しても、話をしても、なんだか少し上の空だ。度々、扉の方に目を遣る。扉の外に気になってしょうがないものがあるかの様だ。


「ルークがね」と言いかけて、口を噤んだことがあった。

門番の名前を教えていないのに、名前を言ったと言うことは、話をしたという事だ。喰われていないという事は、扉の外と中で話しているのだろう。ルークが次の犠牲者になる前に、なんとかしなければならない。人を襲ってしまった後のイリーナは食欲がなくなり、眠ってはうなされ、憔悴しきってしまう。そんな事がこれ以上続けば、イリーナは壊れてしまうに違いない。それに……イリーナのうきうきした様子も気になった。


 様子を探る為、私は地下の詰所に顔を出した。夜は詰所に居るはずのルークはいなかった。トイレにもどこにもいない。嫌な予感がした為、足音を殺して地下室へと降りる。なんだか、年頃の娘を持つ心配性の父親になった気分だ。


 扉の前に立つと、扉がわずかに開いていた。隙間から覗くと、予想外な事に、イリーナの隣にルークが座り何やら優しげな言葉を囁きながら、そろそろと手に手を重ねようとしているところだった。思わず剣を抜いて部屋の中に飛び込んだ。背を見せているルークの首の後ろに、剣先を突きつけた。


「手をあげて、壁の方へ移動しろ」


 イリーナの前で乱暴な事は控えたかった為、ルークをぐるぐる巻きに縛り、眠り薬を鼻を摘んで無理やり飲ませ部屋の隅に転がしておいた。これで当分目覚める事はないだろう。それでもイリーナから見たら、十分乱暴だったようで、非難の言葉が飛んできた。目の縁には早くも涙が盛り上がっている。


「兄様! 何をするの?!」


イリーナの様子を見て、はっと気がついた。


「イリーナ、どうして、そのままの姿なんだ。日はとっくに落ちているのに。もしかしてルークは指輪を持っているのか?」


床に転がしたルークに目を向け、記憶の糸を辿った。


 ちらっとしか目にした事はなかったが、イリーナの家庭教師をしていた男の息子も確か、天使のような顔をしていた。私のいない間に、随分とイリーナと仲良くしていたと聞く。


「彼が、指輪を盗んだのか……」


「違うわ……。私がお別れの記念に、ルカに渡してしまったの……」


「ルークは偽名でルカが本名か。門番がルカだと分かった時点で知らせてくれれば良かったのに。何故、今まで言わなかったんだ……。確か、父親と共に城から逃げ出したと聞いた。その時に言っていれば、指輪を取り返す事が出来たかもしれず、地下に押し込められる事もなかったのに」


「それは、指輪がそれほど大事だと知らなかったから」


「ルカから指輪を返してもらった?」


イリーナは横に首を振った。銀の髪がふわりと踊る。それだけで、表情が緩みそうになったが、そんな場合ではないと引き締めた。ルカは、何やら怪しからぬことを囁きながら、大事なイリーナの手を取ろうとしていたのだ!


「今まで忘れていたから……」


イリーナはルカを庇っている。イリーナは指輪を持っていないが、魔物になっていない。大事な石を返してもらうのを忘れてしまうほど、ルカのことを?


「何故ルカから石を返してもらわず、そのまま持たせているんだ? 一生地下から出ないつもりか? いつまでもこんな所にいていい訳がない。君は次期女王なんだぞ! 地下で誰の目にも触れず、ずっと生きて行くつもりか?」


思わずイリーナの華奢な肩を掴んでしまった。最初にルカの正体に気が付かなかった自分の失態と、自分が迷っている間に、ルカが知らなかっただろうとは言え横恋慕した事に腹がたった。首を振ったイリーナから涙がハラハラとこぼれ落ちた。こんな事は初めてだった。自分がイリーナを泣かせてしまうなんて……。いつだって、すぐに泣いてしまう彼女を慰めることが私の役目だったのに。


「違う! 兄様、離して」


一瞬、イリーナの体がブレたような気がした。手を離す。イリーナの感情の揺れに呼応してか、イリーナの体がぶれ始める。止めることも出来たが、止めなかった。イリーナから一歩離れた。泣かせてしまった事に、罪悪感を抱きつつも、イリーナには一度、鏡の前で正気を保ったまま、自分の姿を見て欲しいと思った。自分の本当の姿をしっかりと見つめて欲しかった。

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