1610年7月イタリア半島、38歳
ミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジョ、38歳。ローマを追放され、ようやくローマに戻ることができそうだった。それがローマにたどり着くことなく、まさに死のうとしていた。
カラヴァッジョは流行りの熱病にうなされていた。喧嘩で殺されそうになったこともあった。死刑の宣告を受けて指名手配をされたこともあった。しかしそれでも生き延びた。それが1610年の夏、病気により命を落とそうとしていた。
恨まれる人生だった。忌み嫌われる人生だった。罪深い人生だった。一方で栄光を手にした人生だった。イタリアで一番の画家になった。弟子はいないが、多くのフォロワーを生んだ。
グレゴリオ暦1610年7月18日、ミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジョ、38歳は死んだ。
現代、カラヴァッジョはイタリアを代表する画家として高く評価されている。1983年には10万リラ紙幣に彼の肖像と『果物籠』が印刷された。
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