第九〇話 世界の敵(パブリックエネミー)

「先輩が帰ってこない……? 八王子さん……何があったんですか?」


 KoRJの部長室にて、私は八王子さんから先輩が先日の探索任務から既に二日以上戻っていない、と聞かされて少なからず動揺をしている。

 昨日全く連絡がなくてメッセージアプリで何度かメッセージを送ったけども既読がつかなくて心配だったのだが……そんなことになっているとは。

「先日とある地下街の調査を依頼して、途中までは生存が確認できていたのだが……ある時間を境に急に反応が消えた。今現在では生きているかどうかすらわからない……」


「そ、そんな……」

 八王子さんの言葉に、少しだけ背筋が寒くなった気分になってしまい、私はそのままソファへとすとんと腰を落として目の前に置かれた紅茶の入ったカップを見つめる……なんだ、この感情は。

 私は……心配しているだけじゃなくて、強い焦燥感を感じて少し戸惑う、先輩を探しにいかなければいけない、という気持ちが沸々と心に沸き立つ。

 だめだ、彼を死なせてはいけない……私の感情ではなく、魂の奥底から何かが叫んでいる気がする。

「八王子さん、私先輩を探しに行きます」


「いや、新居くん……落ち着け、闇雲に探しても仕方ないだろう」

 八王子さんがいてもたってもいられない私を宥めるように落ち着くように促す……私は言葉を返そうとして……一度押し黙る。確かに……地下街とは言ってもどこを探せば見つかるのか、わかっていないのだから慌てて走り回っても仕方ないのは確かだ。

 指摘が正しいことは理解できる……でも、先輩が死んでしまったら、私はどうなるだろうか? 彼の家族だけでなくミカちゃんですら……どう受け止めていいのかわからないだろう。

「そうだね、だから僕が招待状を持ってきたよ」


 いきなり入口から声をかけられて私はすぐにソファを立ち上がり、八王子さんも椅子を蹴って身構える。そこには……パーカーとジーンズというラフな格好に身を包んだ暗褐色の肌を持った一人の若者……だがその耳は大きく尖った形状をしており、にやにやと笑うその表情と、美しいまでの翠玉エメラルドのような眼が輝いている。

「あなたは……」


「やあお嬢さん、君の前に姿を現すのは初めてだったかな? そしてそちらの男性は初めましてだね、僕はララインサル……君たち、いや世界の敵パブリックエネミーだよ」

 邪悪だが、非常に理性的な笑みを浮かべたララインサルはまるで無防備に八王子さんの机へと歩み寄っていく。あまりに余裕のあるその姿に私も八王子さんも動くことができない。

 ど、どうやってここまで入った? そもそもKoRJは外部からはわからないが軽い要塞のような作りになっている……普通の人間は入ることすらできないし、許可証のない人間が自由に行き来できるほど警備はゆるくない。

「き、貴様どこから……」


「クフフ……その顔いいねえ、なんていうの? 絶望感というか屈辱感が入り混じっててすごくいいね。君たちは自分達の警備を抜けられるものなどいないとか思ってるかもしれないけど、僕にとっては街中を歩いているのと変わらないからね」

 八王子さんの苦々しい顔を尻目に、ララインサルは笑顔を絶やさずに机の上に一枚のUSBメモリを置く。ごく普通のメモリだ……八王子さんはそのメモリを受け取ると、何度か確認をしているが……その様子がよほどおかしかったのか、ララインサルは口元を抑えて堪えきれないかのように吹き出す。


「クハハハッ! この世界で買ったものだから何も仕込んではいないよ……僕らだってこの世界に溶け込んで生きているし、君たちと同じものを食べているんだ」

 腹を抱えて笑い出すララインサルを見て、八王子さんが苦々しい顔を浮かべる……私はそんな彼の様子を見ながら、この場に日本刀を持ってきていないことを後悔しつつ、何か武器になりそうなものがないかどうか辺りを見渡す。

 ないな……そもそもKoRJの保安基準はそれなりに高く、私は武器を持ってこの部屋に入ることすらできないわけで……仕方ない殴るか。

 私は一気にララインサルとの距離を音もなく縮めると、武神流竜爪ドラゴンクローで一気に彼の首筋に拳を突きつける……そこで驚いたが、ララインサルは避けるそぶりすら見せなかった。

「……どうしたの? 殺さないの?」


「くっ……」

 私は……この場でララインサルを殺すという選択肢が取れなかった。なぜか……ここで彼を殺したところで先輩は帰ってこない。むしろ手がかりを持っているのはこの不気味な男だけだという事実。もう一つ……今ここにいる彼は本体ではない、気がするからだ。

「うんうん、合格〜。僕のこの体は僕自身ではあるんだけど、僕自身ではないんだよね。よくわかったね」

 ララインサルはニタリと笑うと私の掌底をその手でそっと退けていく……勢いを削がれた私は、どうしていいかわからなくなりそのまま押し戻されて、すとんとソファに座ってしまった。


「ほら〜、中身見てよ。苦労したんだよ? 使い方がよくわからなくてさ」

 な、なんだ? 力が急に抜けた? 呆然としている私を見て八王子さんが少し驚いたような顔を見せるが……ララインサルはそんな彼に向かって、メモリを指差して笑う。

 八王子さんは油断なくララインサルに注意を払いながらも、メモリの中を確認して中に入っていたであろう動画ファイルをモニターへと映し出す。


『あ、テオーデリヒそこのボタン押した? あ、じゃあもう撮れてるのかな』

 あまりに緊張感のないララインサルの声が響く……カメラは天井を向いているようで石の壁を写しているが……すぐにカメラを移動したのか、ニコニコ笑うララインサルがアップで映し出される。

『あ、僕を写してどうするんだよ、移すのはそっちだって』

『す、すまんな……』


「せ、せんぱ……嘘……」

 なぜか訳のわからない映像が続いたのち、モニターに映し出された光景を見て私は絶句してしまう……モニターに血だらけで、おそらく生きてはいるが虫の息で椅子に縛り付けられた先輩の姿が映し出される。

 私は息をするのも忘れて、口を覆って……震える……まさか自分と近しい人がこんな目に遭っているなんて……嘘でしょ……。

 モニターに映る先輩は上半身裸で、肉体の各所に大きな傷と血痕がついており、激しい戦闘の末に捕まったのだと理解できる。


「おや? 動揺してるね。テオーデリヒが彼を捕らえようって言った時はおかしなことを言うなって思ってたけど……どうやら君の弱点の一つだったか」

 ララインサルが私の顔を見てニヤニヤと笑う……私はララインサルをつかんで机へと押し付ける。頭に血がのぼる、心の底からの怒りを表情に出したまま私は叫ぶ。

「せ、先輩に何をした! 彼が死んだら……私は……お前を……」


「どうするの? 殺す? 僕は無防備だよぉ?」

 ララインサルは私に首を掴みかかられたまま、不気味な笑みを浮かべている。まるで殺されたところでどうでもいいと言わんばかりのそんな表情だ。

 私はその目を見てはっと気がつく……そうだ、こいつを殺したところで先輩は戻ってこない……私の怒りの矛先が行き場を失って、私は歯噛みをしながらぎりぎりと歯を食いしばる。

「殺さないわ……殺さないけど、本体を見つけたら絶対殺す」

 殺気の篭った目をララインサルに向けるがその間もモニターではララインサルの気の抜けたような会話が続いている。


『えーと、KoRJの皆さん、君たちの仲間を捕まえました、僕らがいるのは星幽迷宮アストラルメイズ……この子が調査してた地下街から入れるよ』

『ぼ、僕は負けた……だけどKoRJにはもっと強い仲間がいる……お前を倒すものがいるんだ……』

 先輩が震える口をなんとか開いて、絞り出すように声を張り上げる……だめだよ、先輩無理したら死んじゃう……喋らないで……私はモニターを見つめて、先輩が喋る言葉を聞きながら、目から溢れる涙を抑えることができない。

 いやだいやだいやだ、もう私の大切な人たちを悲しませたくないんだ……先輩も、ミカちゃんも……もうそういう領域に入っている人たちなんだ、死なせたくない、絶対に死なせない。

『そうだな、オウメ……お前は素晴らしい素質の持ち主だ、でも私は荒野の魔女ウイッチを倒した彼女と戦いたい』

 カメラを持っているであろうテオーデリヒと呼ばれているものの言葉が響く。


「テオーデリヒは、君と戦いたいってずっと言ってるよ、だから……星幽迷宮アストラルメイズへ来てほしい、アカリ アライ」

 私が押さえつけているララインサルはぐにゃりと笑う。

 その顔を見た私はそのままララインサルの顔面へと拳を叩きつける……その威力は確実に相手を殺すレベルの、机を両断するレベルの威力を持っていたが、ララインサルは不気味なくらいに手応えがなく……どろりと黒い液体のような状態となって……私の拳をすり抜ける。

「おやおや、随分と直情的だなあ……戦士だね君は」


 上半身が泥のような不気味な液体の状態のまま、ララインサルは私との距離をとりつつ、まるで粘土が再びその形を取り戻すかのように再び彼の形を再構成して、まるで元に戻ったかのようにララインサルはその場に立っている。

 私は拳を震わせながら、ララインサルに指を突きつけて……宣言する。その表情を見てララインサルは本当に嬉しそうな顔で、グニャリと笑った……。


「挑戦承ったわ……お前らは全員殺す……私が全員殺すわ……鏖殺みなごろしにしてやるわ……」

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