第三八話 司法神(フォルセティ)
その動画は誰も気が付かないうちに、ひっそりとインターネット上の動画サイトへとアップされていた。
投稿者の名前は『forseti』……つまり北欧神話の真実を司る神、フォルセティと名乗っていて、今はこの一本の動画しかアップされていない。
とても遠くからデジタルズームを使って撮影しているらしく、画質が不鮮明で細かい部分が判別できない。とある繁華街の裏路地……二人の人物が戯れるように路地で何かをしている。
動画は酷く手ブレをしている……どうやら撮影者は手持ちでこの映像を撮影しているようだ。
動画の途中で、その二人が驚いたように後ろを振り返ると……画面の奥から現れた巨大な蛇のような怪物が一人へと襲いかかり……頭から噛みつかれ、倒れる人物に怪物がのしかかる様子が映っている。
もう一人は怯えて座り込んでいるようで、動かない。
そこへ、三人目の人影が現れる……その人物に気がついた怪物は身を震わせて、と言ってもブロックノイズになってしまって細かい部分は判別できないのだが、小刻みに動いているように見える。
三人目の人影は……何かを考えるような仕草に見える行動を取ったあと、一瞬後に腕を横に振り払うような動作で止まる。手には何かを持っているように見える。
その瞬間に怪物が切り裂かれ、何かを噴き出しながら倒れていく。その後三人目の人物は座り込んでいる人影と何かを話すような動きをしたあと、その場を離れる……動画はぶつ切りで終わる。
誰が見つけたのか、面白い動画だと思ったのか、この動画はクチコミで拡散され始めた。
『路地裏の怪奇! この時助けられた人物は一体!?』
『蛇みたいな怪物が現代に出現! これは夢か幻か?』
『三人目の人物の謎! これは男性なのか女性なのか!?』
動画はあらゆるメディアを通じて拡散し、デジタルズームによって生じるブロックノイズを除去しようとするものも現れたが……元々の動画のビットレートも低く、細かい部分の解析までは至っていない。
そう、今はまだ解析はできていない。
『この動画すごいバズってるよ! どうぜ歴史松の授業つまらないし見よう!』
私の手元にあったスマホに同じクラスのグループチャットの着信が届く。一斉に他の机に置かれたスマホが振動して……授業を進めていた松 雪子先生……通称歴史松、がその音に咳払いをするも、一応授業は止まる事なく進んでいる。
なんだろう? と思って授業中だがスマホを開くと、メッセージアプリに動画のURLが送られてきた。
授業中なんだけどなあ、と思いつつ周りを見るとみんなクラスの生徒たちはスマホを見ている……まあこれなら私一人が槍玉にあげられることはないだろうと判断し、スマホを操作してそのURLをタップした。
流れ始める動画……私はこの不鮮明な動画を見てふと……違和感を感じた。そう、少し前に私が倒した
「え? え? え? ど、どうして……」
そうだこれは確実にあの時の……
私は混乱のあまり、授業の内容が全く耳に入らず……スマホを見つめて考え込んでしまった。これは……色々な意味でまずいのではないだろうか? と。
授業が終わり、帰宅時間になるとミカちゃんが笑顔で私に声をかけてきた。まあ、隣の席だしな。
「あかりん、すごかったねあの動画! 本当にあんな怪物いるのかな?」
「う、うん……そ、そうだね……」
「どうしたの? 気分悪くなっちゃった?」
「ううん、ただちょっとびっくりしちゃっただけ、大丈夫だよ」
心配そうなミカちゃんの顔を見ながら、私は少し青い顔で苦笑いを浮かべて……再びあの動画について考えている。
八王子さんはこのことを知っているだろうか? 私たちは徹底的な人払をしてもらった上で、KoRJの任務を遂行している。基本的に私はあの活動をバイトと偽っており、近親者含めて私が夜な夜な化け物を斬り伏せている、などと知っている人は存在していない。
これは戦闘に関わっている全員が同じ認識だ。自分たちがそんなことをしている、などと吹聴している人はいないはずなのだ。職員さんについても、箝口令が敷かれており口外しないための魔術的な仕掛けを持たされている、と聞いている。
今回の動画は、完全にそれを破るようなものだ。つまり、この動画を撮影し拡散した人間はKoRJ以外の……何らかの形で封鎖線を抜けて撮影した誰か、という事になる。
スマホを見つめて……私は少し薄寒い気分になっていた。もしもっと近くでこの事件が撮影されていたとしたら? こうやって動画を拡散されて、私が
不安感が募る……こういう時私はどう行動すればいいのか、今はわかっていない。
家に帰宅して、程なく……スマホに着信が入る。ちょうど服を着替えるために制服を脱いでいる途中だったので、着替えを途中で止めるのが億劫になり、画面も碌に確認せずスピーカーモードにして通話ボタンをタップする。
「はい、新居です」
「あ、新居さん。青梅です」
画面をよく見てなかったので誰が出るのかと思っていたら、先輩だった……珍しいな、と思いつつ着替える手を休めずに私は先輩へと話しかける。
「お久しぶりです。どうされました?」
まあ多分動画のことだろうな、と思いつつ私は下着姿のまま普段着を出し始める。シャツは洗濯しないとダメかな……少し汗の匂いが出ている気がする。
「いきなりごめんね、多分知ってると思うけど今話題になってる動画の件で……ん? なんかお邪魔な感じかな?」
ああ、やはりか。と思い私は出してきた普段着に着替えつつ洗濯物になりそうな服をまとめていく。片付けをしながらなので、周囲の物音などもマイクに入ってしまっているのだろう。
「いえ、大丈夫です。先ほど学校から帰ってきたので、着替えているだけです……動画見ました」
「え?! 着替え中なの? ご、ごめん……そっか、着替えて……」
先輩の声が少し上擦った感じになった……多分今着替えを想像してるな先輩……うん、言葉選びを間違えたんだ私。
男性に『私、今着替えてるんです』なんて喋ったら、いくら清廉潔白さを感じる彼でもこうなるよな……。自分自身の壊滅的な言葉の選び方に内心ため息をついて、私は言葉を続ける。
「いえ、大丈夫です。もう着替え終わりましたので。先輩も見たんですよね?」
「え? いや君の着替えは見たことな……あ、動画か。うん、あれは新居さんの動画だったよね」
先輩の返答は前半はともかく想像通り動画の件、やはり先輩もあの動画は私だと気がついたのだろう。先輩の声に少しだけ緊張感が混じっていることに私は彼の話したいことを理解した。
私と考えていることは同じか……。
「はい、あれは私ですね……細かい部分が判別不可能な動画なので助かっていますけど……どういうことなのか知りたいと思っています」
そう、この動画が撮影された経緯を私は知りたい。
もしかして他の事件の動画なども撮影されている可能性もあるかもしれないし、封鎖している場所に把握していない人間が入ってしまったとしたら? 危険どころの騒ぎではなくなってしまうからだ。
最初の
先輩もそうだろう……彼は特に私よりもわかりやすい能力を持っている。周りの人にバレたら……と考えただけでそれは恐ろしくて、気が気ではないはずだ。
「それで僕は八王子さんと相談をしたいと思ってるんだけど、一緒に行かないか?」
あら、と思った。一人で行く人のように思っていたが……意外だな。
ただ今回先輩が誘ってくれたのは都合がいいかもしれない。私は少し考えた後に先輩に返答をする。
「わかりました、私も話をしたかったので。ご一緒します」
「そっか、ありがとう。じゃあ支部前ではなくてイケブクロで待ち合わせよう」
その言葉になぜか嬉しそうな声で反応する先輩の声に私は気がついた。
……ん? イケブクロで待ち合わせるの? これってデート的な何かになるのだろうか……。いやいや、私先輩と付き合ってるわけじゃないし、そもそも男性と付き合うとか前世が男性の私にとって苦痛だし……先輩の好意はわかってるつもりだけど、それはそれだしなあ。
とはいえ、変な格好で行くわけにもいかないので、私は頭をフル回転させてお出かけ用の服装を考え始めた……制服脱がなきゃよかったな……。
「はい、少し準備しますので……そうですね、一時間半後にイケフクロー像の前でお願いします」
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