【完結】前世は剣聖の俺が、もしお嬢様に転生したのならば。

自転車和尚

第一章 恐怖の夜(テラーナイト)編

第一話 路地裏の戦乙女(ワルキューレ)

『この世界は危機に瀕している』


 昔どこかで聞いたような言葉、記憶の中にある古い一言。

 映画や小説でもよく語られる言葉。私もたくさんの同じ言葉を目にしたことがある。

 だけど私は知っている……本当にこの世界に危険が迫っていることを、私は知っている。


『この世界は危機に瀕している』


 口に出せば、誰もが耳を疑う言葉、誰も信じない危険を告げる一言。

 言葉を信じるのは、目の前に危険が迫ってくる時。その時初めて言葉が真実だと皆が信じる。

 だけど私は知っている……平和が続いている限り違和感は見過ごされることを、私は知っている。

 古い記憶でも人々はずっとそうやって生きていた、死ぬ間際に『これは夢だ』と誤魔化すために。


『この世界は危機に瀕している』


 この言葉の意味を皆が知るとき、その時世界は終わる。

 終わってしまったらどうなるのか? 誰にもわからない。

 世界の終わりが迫る時、人という存在は二つに分かれる。心から絶望するか、運命にあらがうか。

 だから私は戦っている……今も昔も滅びという運命を覆すために私は、私たちはあらがう。


 だから……私は今夜も戦っている。




「助け……て!」

 大都市東京、繁華街のとある路地……平和な国である日本においても、裏路地に足を踏み入れる人は少ない。

 表通りからひとつ奥に入った小さな路地、そこから小さな悲鳴が上がる。表通りの喧騒にかき消されてその声は届かない。再び小さな悲鳴が路地に響き……表通りにいた数人が物音に気がつくが、気のせいかとそのまま素通りしていく。普段の日常、普段の夜、普段の生活、違和感に目を瞑れば平和な日常は守られる。

 だから人に無関心であるべきだ、そんな上部だけは優しい世界。


「ひぃいいいっ!」

 東京で一人暮らし、それなりに大手のIT系企業に勤めている星川いずみは、生まれて初めてとも言える心からの恐怖を絞り出した悲鳴をあげていた。どうして、どうしてこんなことに。恋人と一緒に路地裏で少し戯れていただけなのに。

 腰を抜かし、涙を流しながらいずみは変わり果てた恋人の姿を見て慄く。その体の上に、見たこともないような不気味な生き物が覆い被さり、命を失ったその体を喰っている。

 何かが砕ける音が響きその化け物が恋人の腕を引きちぎり、咀嚼していく。


「ううっ……うげぇえあっ! そんな、マー君……食べられちゃう……」

 猛烈な嘔吐感に襲われ、いずみは二時間ほど前まで恋人と一緒に食べていた晩御飯の残骸を吐き出していた。

 彼が戯れに見せたスプラッター映画でもこのような光景は見たことがない。どうして、どうして、平和な日本でこんなことが。震えが止まらない、こんな現実にはありえないことが、まさか日本で起きる? 信じられない、これは現実なのだろうか? これは夢なのではないか? でも夢にしてはリアルすぎるのだ。


「間に合わなかった……」

 コツ、とブーツが地面にぶつかる音がする。いずみが涙でぐしゃぐしゃになった顔で音の方向を見上げると、そこには一人の女性が立っていた。

 その女性は、女子高校生が着るような一般的な紺色のブレザーを着ていた。


 背は高く一七〇センチメートルを超えている。スカートは膝上から高く、白く滑らかな太ももが覗いている。ブレザーの胸には学校のワッペンがついており、いずみはそのデザインを見て思い出した。この女性が着ているのは、都立高校の制服だったはず。足元には制服には合っていないゴツいブーツを履いていて……非日常を絵に描いたような、そんな姿だ。

 手には革製だろうか、グローブを嵌めておりその手には鞘に収められた日本刀が握られている。


 日本刀? この平和な日本で?


 その違和感にいずみは混乱する。

 さらにその女性を見上げていくと、女子高校生の頃に欲しいと思っていたブレザー越しでもわかるくらい大き目の胸部が見える。いずみの勝手な想像だが、かなり形も良いのだろう。対照的に腰は細身で、こういう状況でなければ嫉妬してしまうかもしれない。


 首筋も白くて細い……さわれば極上のシルクのような手触りだろう。そして美しい……この世のものとは思えないほど、整った少しきつめの表情をしているが美しい顔が見える。女神、という言葉がしっくりくるくらいの整った容姿だ。

 さらに彼女の髪の毛は長く、腰の長さまでストレートに伸ばされており、夜の暗闇を封じ込めたかのように黒く輝いている。その美しい黒髪が路地裏に吹いている生暖かい風に揺られてサラサラと煌めいている。


 化け物がその女性を見て今まで食べていた恋人を放置して、威嚇を開始する。化け物は震えているのか、まるで喧嘩に負けそうな猫が必死に敵に近づかせないかのように大きく唸る。大きな牙だらけの口が大きく開き、不気味な威嚇音があたりに響いている。

 いずみはその化け物をようやく注視することができた。巨大な頭はナシ○ジオで見たコモドオオトカゲのようにも見える。巨大な赤い眼は不気味な光を湛えている。そして数メートルはあるであろう巨大な蛇の胴体、不思議なのはその背中にコウモリのような羽が生えていることだ。


「この生物は一体……」

 こんな生物は見たことがない……映画? 漫画? ゲーム? 何かで見た気もするが現実離れしすぎている。

「分類三級降魔デーモン、小型の蛇竜ワームですね。民間人を襲っています。斬って良いですか?」

 女性はインカムに問いかける。蛇竜ワーム? 斬っていい? なんのことなの? いずみはこの状況下で全く緊張も、恐怖も感じさせない女性の声に戸惑う。この化け物を倒すってこと? 無理じゃないの!?

「あ、あ、あ……」

 恐怖で言葉が出ない。危ないと言いたいのに口が回らない。危ない、早く逃げて。

「はい、後始末はよろしくお願いします」


 蛇竜ワームは再び女性を威嚇する、蛇のように体を揺らし、羽を大きく広げ……そして大きな口を開けてダラダラと涎を垂らしている。口の端に恋人の服の切れ端が見えて……いずみは再び戦慄する。

 女性が鞘に収まっている日本刀の鯉口を切った。チンッ! と鈴が鳴るような軽めの金属音が響く。


「ミカガミ流剣術……閃光センコウ


 その音と同時に、抜く手も見せずに斬撃を放った女性、あまりの鋭さ、早さにいずみの脳の処理能力が追いつかない。

 目の前で威嚇をしていた蛇竜ワームの頭と胴体が簡単に切り離される。一瞬遅れて周りのビルの壁に斬撃の跡が刻み込まれた。

 何をしたの? 何が起きているの? 女性は血すらついていない日本刀をくるっと回し鞘に収める。それと同時に轟音を立てて蛇竜ワームが地面へと倒れ伏す。飛び散る血飛沫、赤い血があたりに撒き散らされる。蛇竜ワームの胴体は硬直したように動かないが、時折びくん、と大きく痙攣する。目の前の非現実が、さらに非現実となった。いずみは蛇竜ワームが撒き散らした血を被りながら、呆然としていた。

 そしてその女性はいずみを見つめて……やはり無表情で口を開く。


「亡くなった男性……あなたの恋人ですか? ……大変お気の毒ですが……」

 頭を下げ、いずみへと深々とお辞儀をして……再び、マー君だった……残骸を見つめて少しだけ悲しそうな表情を浮かべるが……すぐに表情は元に戻る。

「わ、私……生きてるの……? でもマー君……死んじゃった……」

 いずみは命が助かった、という現実が受け入れられない。今のこの状況が現実離れしていて理解ができない。女性はその言葉に少し考えたような仕草を見せた後、間を置いてからいずみに話しかける。


「記憶を消してもらったほうが良いでしょう。辛いだけですので……この後処理班が来ます。その人たちのいうことを聞いてくださいね」

 表情を変えずに、いずみに一方的に話しかける女性。記憶を消す? 処理班? なんのことなの? 何を言っているのか全然わからない! 急に恐怖がぶり返してくる。全身の震えが止まらない、ガタガタと震えて体を抱えながら、いずみは泣き始める。どうして私がこんなことに。彼も……マー君は本当に死んでしまった。


 そんないずみの様子を見つつ女性がインカムに話しかける。

「コードネーム、戰乙女ワルキューレ。ミッション完了、襲われていた女性のケアをお願いします。それと一名……亡くなられています」

 インカムを操作して通信を切ると、女性は再びいずみを見下ろし、泣いている彼女に向かって何かを話そうとするが、すぐに言い淀む。声をかけても……心に負った痛みは和らがないのだと知っている。時間が、長い時間をかけて克服するか、記憶を操作してこの辛い出来事を忘れてしまうか……それしかないから。


 女性は軽く息を吐き出して……踵を返して歩き出す。その途中で足を止め、独り言のようにいずみに話しかけた。

「お辛いでしょうが……忘れてください。今日のこの夜も、そして私のことも」

「……待って! あなたは何者なの!? 名前を教えて!」

 いずみは名前を聞きたくて呼び止める。その言葉に女性は足を止め、いずみをキョトンとした顔で見つめる。

 少し間があってそれまで無表情だった彼女の顔に、優しい笑みが浮かぶ。年相応のはにかんだような柔らかい表情を見て、いずみは目の前の女性が本当に自分より年下で……女子高校生なのだ、と理解した。


降魔デーモンと戦うものです」

 去っていく女性と入れ替わりに、防護服の男達がこちらへやってくる。いずみはそんな光景を見ながら、彼女と会うことはもう無いのかもしれない、と考えていた。


 路地裏から歩いて去っていく女性の後ろ姿が、とても神々しく見えた。

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