新世界魔導士セリナ

葵彗星

第1話 セリナ魔導学園に入学

アズミアン王国歴1018年4月7日


 その日は誰もが晴れやかな気分になるような雲一つない晴天だった。


 そして15歳になったばかりの少女セリナ・フォード・オコーネルにとっても、人生で最も大事な出発点に立とうとしている。


「セリナ、もう準備できた?」

「うん、バッチリよ。お母さん! 似合う?」

「凄く素敵よ! 本当に立派になって……」

「あんなに小さかったのになぁ。改めて、お前の父親であることを誇りに思うよ」


 深緑色の服に身を包んだセリナの姿は一層輝いて見えた。母のニーナと父のイグニスは、そんな娘の制服姿を見ることができて感無量だった。


「お母さん、お父さん。私が本当に立派になるのはこれからよ!」

「そうだったわね。ママ気が早かったわ。」


 セリナが国家随一の魔導学園の制服姿に包まれたのは、紛れもなく喜ばしいことだった。母も父も入学が決まった時は、盛大に祝ってくれた。だがそれはあくまで始まりに過ぎない。


「私は……絶対偉大なる魔導士になってみせる。それが大賢者ライザの血を引く私の使命だから!」


 セリナの心と瞳に迷いの欠片もなかった。その言葉を真摯に聞いたイグニスは、申し訳なさそうな様子で伝えた。


「セリナ、お前の気持ちはわかるが……」

「辛くなったら、いつでも戻ってきていいんだからね」


 生まれながらに魔術の才能に恵まれ、大賢者の子孫にふさわしい逸材ではあったが、仮にも15歳になったばかりの少女であることに変わりはない。ニーナもイグニスもやはり娘のことが心配だった、その気持ちもセリナも十分理解していた。


 だがそれでもセリナには絶対に魔導士にならねばならない、強い動機があった。


「お母さん、私が小さい頃災魔に襲われたこと覚えてる?」


 セリナは突然昔話を語り始めた。が、その話の続きを語ったのはイグニスとニーナだった。


「あの時お前を助けてくれたのは、一人の女魔導士だったな。その魔導士が確か…」

「今の学園のエース……なのよね? 確か名前はディアナ、だっけ」


 セリナにとっては決して忘れることのない出来事だった。その魔導士は当時まだ7歳だったセリナの前に颯爽と現れ、身の丈3メートルほどはある狼型の災魔をいとも簡単に倒した。


「悔しかったというより、単純に私自身の力の未熟さを思い知ったわ。私も絶対あの人のようになってみせる、大賢者の末裔だもの!」

「やっぱりまだ憧れてるのね」


 幼い頃のセリナにとって強烈すぎた出来事だった。その魔導士の姿が奇しくも、子供の頃に読んだ伝記に記されていたライザの姿と重なったのだ。それ以来セリナの心の中で、その魔導士への強い憧れが生まれた。


「セリナ、いいか。魔導士本来の使命を忘れるな」


 イグニスはセリナを諭した。


「憧れとか、周りの連中を見返すとか、自分が一番強い魔導士になるとか、そんなこと考えるよりも、もっと大事な使命があるだろ」

「この世界を蔓延る悪の元凶を倒す、よね?」


 セリナも幼い頃何度も両親と祖父母から聞いた話だ。自分達のいるアズミアン王国から一歩でも領域外に出れば、忽ち災魔と呼ばれる恐ろしい怪物達の蔓延る世界だ。そしてその災魔を束ね、世界を支配している存在こそ魔神だ。


 セリナは両親の言葉を今一度心に刻み、玄関から家の外に出た。朝日を浴び、深呼吸をして振り返って外に置いてあった車輪付きの大荷物と、リュックを手に取って馬車に乗る手前まで来て、両親に向かって深くお辞儀をした。


「では、行って参ります。お母様、お父様。巍然たる白の女神のご加護があらんことを」


 ニーナもイグニスも思わず面食らった。あの小さかった子供がこれほどの立派なセリフを、正しい作法で一切の無駄な動作もなく言えたことに思わず感動しつつ、改めてセリナの決意の固さを思い知った


「準備はいいですか? 出発しますよ」馬車の中にいる馭者が声をかけた。セリナは足早に馬車の中に乗り込み、馭者に出発を促した。


 翼の生えた馬の鳴き声とともに、セリナの乗った馬車は出発した。馬車はどんどんと離れていった。両親もじっとそれを見送り続けた。だが数百mほど進んだところで、突如荷車の屋根からセリナが身を乗り出し、両親に向かって大声で叫んだ。


「お母さーん、お父さーん! ご飯はちゃんと食べてねー!! あと毎日女神様へのお祈り忘れないで―!!」


 セリナの突拍子もない大声はちゃんと二人の耳に届いた。さっき見せた凛々しさが嘘のように変わって、まるで一人の少女のような声を聞いて、二人ともある種の安心感を覚えた。


「やっぱりまだ子供だな…」

「そうね…」


 そしてセリナの乗った馬車を引く馬は翼を広げ、魔導学園エルグランドがある首府サロニア地区へ飛び立った。




 一時間後、セリナが馬車を降りると目の前には巨大な正門があった。その正門の上には『ようこそ選ばれし新入生!』と書かれた大きな横断幕が飾られていた。

 

 偉大なるアズミアン王国の首府サロニアの中心部からやや離れた位置にある魔導学園エルグランドは、全国から選りすぐりの魔導士の卵が集まる学園だ。その偉大なる学園の正門の前に立ち、これから入学することに、セリナの心は打ち震え、夢と希望に満ち溢れていた。


 念願の魔導学園に入学することができ、さらには昔助けてもらった命の恩人にも会える嬉しさもあった。背負っていたリュックの重さも気にならなくなるほどだ。


(私も今日からこの学園の生徒になるんだ。そして、憧れのあの人にも会える……)


 セリナは周囲を見渡し、その人物がいないかどうかが気になって探した。だが目に付くのは、自分と同じ深緑色の制服姿の生徒ばかりだ。


(深緑ばっか、新入生こんなに多いんだ。噂には聞いていたけど……)


 セリナも制服の色で自分と同じ新入生だとすぐにわかった。魔導学園の特徴として学年ごとに同じ色の制服姿で統一される決まりがあった。


 横断幕の下を潜り抜けた先は学園の校庭だ。校庭から中央の大校舎の入口まで、学園の教職者だけでなく王国政府の関係者や国王の側近、大聖堂の神官も多数いた。


 そして校庭に入ってくる新入生達を、一人一人が拍手で歓迎してくれた。「ご入学おめでとうございます!」という掛け声を、新入生一人一人に丁寧にかけ、さらにピンク色の花飾りをプレゼントした。


 セリナも拍手で歓迎された一人だ。そして制服の胸ポケットの上あたりに花飾りをつけ、大校舎の入口の前まで進んだところで、一人の男性の騎士から声を掛けられた。


「おお、セリナじゃないか!」

「あ!レギオ……じゃなくてレギオス副騎士団長殿!」


 セリナの父親イグニスの知人でもあり、現王国騎士団の副騎士団長を務める男だ。全身に礼装用の銀白色の高貴な軍服を着ていた。昔から自宅に何度も訪問していたこともあって、すっかりセリナとの交友も深まっていた。10歳以上も離れているが、レギオスはセリナのことをすっかり妹分のように扱ってくれた。


「入学おめでとう、セリナ! 君なら絶対入れると思っていたよ」


 レギオスもセリナの入学を心から歓迎してくれた。それだけでなく、セリナの才能にも自信があった。この学園は単に魔術の才能があるだけでは入学できるほど易しいところではない。入学するためには入学試験を突破する必要があるのだが、それも突破できるとレギオールは信じていた。


「ありがとうございます、レギオス様!」

「セリナ、呼び方は昔と同じでいいよ。“レギオ”か、“お兄ちゃん”な」

「うん。ありがとう、レギオ!」


 久しぶりに会った知人と再会できたことに喜んでいたセリナだったが、今度は背後からもっと高貴な人物に声を掛けられた。


「久しぶりだね、セリナ」

「ふ、フリッツ親王殿下!?」


 振り返ると、いかにも高貴な雰囲気を漂わせている金髪の長身の男性がいた。セリナも思わず縮こまった。明らかに自分が面と向かうのは場違いな立場の人間なのは間違いなかったが、現国王陛下の孫にあたるフリッツは笑顔でセリナと握手を交わしてくれた。


「僕のこと覚えていてくれたんだね、嬉しいよ。それは何より入学おめでとう!」

「い、いえとんでもございま……せん。わ、私こそまさか……こんな場所で……貴殿からお祝いの御言葉を拝借……いや、えぇと、い、いただきまして、誠に……その……も、申し訳ございません。た、大変うれしいです!」


 セリナは尊敬語と謙譲語の違いもよくわかっていなかったがために、顔を赤らめ慎重に言葉を選びながら話した。フリッツはセリナと同じ年、大賢者の末裔という家系であることから、昔から王族関係者とも交流が深かっただけに、二人はよく遊ぶ仲だった。


 だが年齢が上がるにつれ、王族との接し方と喋り方を変えるよう両親から何度も注意された。ましてや相手が親王殿下、しかもここは入学式という場だ。普通に話す方が無礼だとはセリナも感じていた。


「はは、セリナ。喋り方は普通でいいよ。それに僕もね……」

「え、フリッツ殿下、その制服はもしかして……」


 フリッツはなんとセリナと同じ深緑色の制服を着ていた。そして自分の胸につけていたピンク色の花飾りをセリナに見せた。


「もしかして殿下も……?」

「そうセリナと同じさ。僕も晴れて今年から、エルグランドの学園生だ」


 フリッツもセリナと同じく新入生の一人だった。


「フリッツ殿下の魔術の才覚もかなり恵まれていが、陛下の3親等以内の親族が学園に入学することに反対する意見は多い。陛下も慎重意見を崩さなかったが……」

「僕が直訴したんだ。入学しないと王位は継がないって言ってね。」


 レギオスとフリッツが入学までの経緯を、簡単に説明してくれた。セリナはそれを聞いて思わず涙がこぼれそうになった。


「フリッツ! う、嬉しい!!」


 仮にも幼馴染でずっと遊んでいた仲だけに、これから一緒の学園生活を送れることは感無量だった。


「ということは、試験にも合格したのね! でもあなたなら絶対できると思ってたわ!」

「正直、入学試験はギリギリだったけどね。だけど君は凄いな、ぶっちぎりの成績だったんだろ?」

「い、いえとんでもございません。実は私も……その……」

「え、もしかして?」


 セリナも数か月前に入学試験を受け合格はしたものの、自分の順位を正直に言おうか躊躇った。大賢者の末裔だというのに、あろうことか合格者の中では、下から数えた方が早かったなんて言いたくなかった。相手が親王殿下であろうと。


「わかった、セリナ。順位は聞かないことにするよ」

「ご、ごめんなさい、フリッツ……」

「気にするな。それにそろそろ入学式が始まる。大聖堂に行かないと」

「そうね。でもその前に…」


 セリナはそわそわと周囲を見渡した。それを見たレギオスもセリナの気持ちを察した。


「セリナ。荷物は俺が預かってやるよ」

「あ、レギオ、ありがとう!」

「生徒寮は確か西校舎の隣だったな。」


 レギオスはセリナが持っていた大荷物を全て受け取り、西校舎へと向かっていった。そしてセリナとフリッツは「入学式の案内」と書かれた紙を取り出し、セリナと一緒に中央の大校舎へ入っていった。


(夢にまで見たエルグランド学園の大校舎、まさかフリッツと一緒に入れるだなんて……)


 セリナはこれまで以上にないほどの幸せな気持ちに満ち溢れていた。


 しかしそんな気持ちに浸りながらも、セリナはある一人の魔導士を探していた。自分を昔災魔から救ってくれた命の恩人である、女魔導士の姿だ。


 その女魔導士は今の学園の最上級生であり、学園エースということも知っていた。最上級生はセリナの記憶によれば、藍色の制服を着ていたはずだが、そもそも校庭には他の色の制服を着た生徒の姿すら見えなかった。


 だがセリナは知らなかった。セリナが中央の校舎に入ろうとしていた姿を、東にある校舎の4階の教室の窓から、真紅の色に染まった制服を着た複数の生徒が眺めていた。


「あれが……今年の新入生って……」

「あぁ早いなぁ、あれから一年か。今度は俺らが見下ろす番になるなんて」

「ていうか、本当にフリッツいるじゃん。国王の孫が入るってヤバくない?」

「別に王族だからって、魔術の才能に恵まれてるわけじゃないでしょ。案外期待外れだったりして」

「はは! だったら俺ら中級生がバシバシ学園の厳しさを教えてやんねえと」


 生徒らも今年入ってきた新入生らの様子が気になっていた。そして胸に金色の花形のブローチをつけた一人の女子生徒が、フリッツの隣にいたセリナのことが気になった。


「フリッツの隣にいるのってさぁ、誰?」


 その女子生徒は長い茶髪を手でとかしながら訊ねた。


「さぁ、誰だろう。ほかに王族の奴が入るって情報ないし……」

「私知ってる。確かセリナって名前だよ」

「セリナ? 誰、それ?」

「え、あのライザとかっていう大賢者の末裔でしょ。モニカ、知らないの?」


 モニカと言われた女子生徒は興味が増したのか、セリナをじっと見つめたまま腕を組んだ。


「ふぅん、大賢者の末裔ねぇ……」


 周りの生徒の反応も騒めき出し、続々と窓の外を見始めた。


「マジか? あれが噂の?」

「なんだよ。大賢者の末裔って言うから、どんだけヤバそうな奴と思ってたら、俺らとあんまり変わんないじゃん」

「普通にフリッツの方が強そうだよな」


 モニカが何を思ったのか、時計を見ながら質問した。


「入学式が終わる時間ってさぁ、何時だっけ?」

「正午には終わるはずだよ、なんで?」


 モニカは不敵な意味を浮かべながら答えた。


「ちょっと軽く挨拶してやろうかなぁ……」

「モニカ、もしかして……」


 モニカは同学年の女子生徒の中では、かなり背が高い方だった。そして魔術の腕前も学年で随一であり、もはや真紅のエースとも言われていた。その真紅のエースが不敵な笑みを浮かべつつ、下級生に普通の入学祝をするわけはないと周りの生徒も察していた。


 そして学園全体に、朝の授業の始まりを告げる鐘の音が鳴り響いた。しかしその鐘の音は、今日だけは授業の始まりではなく、中央の大聖堂で行われる入学式の開始の合図に変わっていた。

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